平成24年3月28日(水)
今日は、台湾視察の最終日です。明日は帰国の移動のため視察はありません。
視察三日間で一番多忙の日でした。特徴的なのは県、市のトップへの表見訪問で、いずれも女性であり話の内容、迫力は政治家としての評価はかなり高いものと感じました。同行の女性同僚議員2名が羨望のまなざしで見ていた姿が忘れられません。
<高雄市長表敬訪問>
(高雄市役所の正面玄関。中は大きな吹き抜け。)
高雄市は高雄県を吸収したような形で行政運営する人口270万人を超える台湾第二の都市で、日本で言えば政令市のような都市です。今は中国に抜かれてしまいましたが、港湾の荷物扱い量も多く、清水港にも直接の航路を持つ港湾都市であり、このたびの富士山静岡空港と台北との航路開設に続き、高雄との直行便就航を期待する意味も含め、表敬訪問させていただきました。
当初の訪問先入っていたものの、本日が議会初日で時間がとれないような返事がありましたが、三日前に高雄市から了解が得られ、議会前の多忙にもかかわらず、市長を始め幹部5名が議会開始ぎりぎりまで対応していただきました。
市長さんは女性でありましたが、その語り口はとてもはっきりして迫力のあるものでした。
(市長及び市幹部5人が訪問団と歓談。市長は中央の女性。)
(高雄市長は女性で陳菊氏。政治家として行政のトップとしてすばらしい)
<台湾糖業博物館視察>
台湾精糖(株)は今の台湾経済の原点のような企業であり、現在は市場の変化により精糖業はほとんどやっていませんが、サトウキビ畑を国中に有していたことから、その広大な土地を有効利用してこれからの国作りの原点となっています。
(台湾精糖の生い立ちと現在を説明する役員)
この企業を立ち上げたのは、静岡県森町出身の鈴木藤三郎氏です。彼は1855年に誕生し1913年に亡くなるまで「日本精糖業の父」と呼ばれ、日本以外に台湾にも精糖会社を立ち上げ、台湾の発展に大きく寄与した人物です。優れた発明家として知られ、特許総数は実に159件を数え、藍綬褒章を受けるなど、機械の豊田佐吉とともに発明王・特許王とも呼ばれ日本の産業革命のリーダーの一人でした。
今回は、鈴木藤三郎が立ち上げた台湾精糖の初期からの偉業を伝える博物館を訪問し、関係者から当時の様子をうかがいました。
(鈴木藤三郎氏が住んでいた建物。台湾で最初のコンクリート建築)
<烏山頭ダム、八田与一の台湾への貢献>
烏頭山ダムは、台湾が日本の統治科にあった頃、石川県出身の日本人技術者八田与一が台南地域の干ばつ被害をなくすために灌漑施設として完成させたもので、水力発電も行っています。この設備によりこの地域の農業は安定的なものとなり、地元のみならず現在は国としても八田与一への大きな賛辞を寄せています。同時に第二次世界大戦の最中に新たな事業への取り組みでフィリピンに移動中に、乗船した船がアメリカの潜水艦攻撃で撃沈さ死亡してしまい、その数年後、終戦直後には妻もかつて夫が完成させたダムの放水口に身を投じて死亡するなど悲劇が襲いました。しかし、台湾市民はこの恩に報いるために、八田夫妻の第二のふるさととして国を挙げその功績を残すために台湾国内はもちろんのこと、矢田夫妻の母国へも情報発信しています。さらに、この事業に参加した人の中には静岡県出身者もおり、現地に入ることでこの偉業と台湾国民の日本への強い親しみを感じました。
(ダム堤の上からダム湖を臨む)
(ダムの放水口。八田の妻が身を投じた場所でもある。)
(八田与一の銅像に献花する議連訪問団長森県議。)
<嘉義県知事及び県議会議長表敬訪問>
1. 馬祖文化体験
馬(馬は女ヘンに馬が正しい字)祖とは航海・漁業の守護神として、中国沿岸部を中心に信仰を集める道教の女神のことです。日本では寺院が多い中、台湾では赤・黄・緑などの原色で彩られた「廟」が多く存在しています。これは宗教の施設でありますが、外国を、特にその国民を理解する上では宗教も重要な要素となります。
このたび、嘉義県知事と県議会関係者を公式訪問するにあたり、嘉義県知事の張花冠氏から、訪問はこの文化体験から始まる旨の意向があり、それに従って体験をさせていただきました。
(廟入り口。マスコミのカメラが大勢待ち受けていた)
(訪問団歓迎の掲示の前でインタビューに答える張花冠知事)
訪問した廟は、嘉義県新港郷の奉天宮で、バスで入り口に着くやいなや数社の報道陣に取り囲まれ、それに続いて張知事が現れ廟内部に導かれました。報道陣に加え参拝客も何事かのような素振りで、こちらの方が戸惑ってしまいました。
結局、拝殿に訪問者全員と知事、嘉義県議会議長等が並び、儀式に乗っ取って参拝させていただきました。この様子は、テレビカメラが数台並ぶ中でしたからおそらくどこかの時間帯に、この地域内で放映されたかもしれません。
参拝が終了すると、拝殿の奥から位牌のようなものと書き物が一枚運び出され、その中には日本の「今上天皇」が昭和3年に本地を訪れ参拝したことが記されていました。昭和20年の終戦までの約50年間は、台湾は日本の統治下にありましたから、何の不思議もないといえます。
(今上天皇が訪問したとされる書きものを知事が説明。)
2. 嘉義県野球場視察
台湾は日本が統治していた頃から野球が盛んでした。今でも台湾の野球選手が日本やアメリカで活躍しています。
(野球場入り口に掲げられた当県議会歓迎の横断幕。説明するのは知事。)
昨年11月11日から15日まで、静岡県内の野球場において、日本/台湾の高校生の親善試合が開催されました。今年24年度は日本の高校生が台湾を訪問し、開催されます。
そんなご縁で、知事はこの親善試合を契機に野球でもさらなる交流を深めたい意思表示なのか、私たち訪問団を知事公室での歓迎レセプションに招待する直前に、大変すばらしい野球場にて模擬試合を観戦させていただきました。
(模擬試合の様子)
3. 歓迎レセプション
最後は知事公邸内で開催された歓迎レセプションの報告です。会場に着くと最大級のおもてなしを受けました。まず最初に茶席とでも言うべき、庭にいくつものウーロン茶の野点ブースを設け、それぞれに通訳を待機させ、台湾のお茶生産地の誇りを存分に堪能することができました。
(まずは地元産ウーロン茶でもてなし)
レセプションでは知事を始め、県幹部と県議会議長他議員も参列し、みごとなホステス、ホストぶりに感激しました。
知事はとてもパワフルで華麗な印象を受けました。帰りには、「静岡県と嘉義県友好の深化についてぜひとも力添えを」との言葉を静岡県議会議員を始め、随行者一人一人に声がけしていました。
(貴賓室における知事)
(歓迎レセプションで挨拶する知事)