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鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

富士山かぐや姫ミュージアム落成式

2016年04月29日 | 議会活動

平成28年4月29日(金)

 

 富士市立博物館が、耐震化リニューアル事業に伴い展示内容も大きく変わり、装い新たに「富士山かぐや姫ミュージアム」として誕生し、その落成式が行われ、テープカットの後には多くの市民で賑わいました。

(開式の前に木遣り保存会がお祝いの発声を)


(テープカットで市民が入場)


(富士山かぐや姫ミュージアム開設を記念してつくられた、テーマソング)

 

 富士市立博物館は「富士に生きる紙のまちの歴史と文化」をメインテーマに掲げ、岳南地域の歴史と文化、ならびに基幹産業である製紙に関する調査研究・保管・展示・教育普及を目的に昭和56年4月に落成しました。

 これだけでは、あたかも「紙の街」「産業」というイメージが強く感じられますが、これ以外にも地域の様々な、その時々の関心事をテーマに、また、県東部地区の博物館と協力して特別展など実施してきました。

例えば、東日本大震災の発生後は、地域の災害史をテーマとして、また、富士山が世界遺産登録された前後には、富士市に構成遺産がないといっても、それに匹敵するような「六所家東泉院」の富士山信仰に関わる調査報告など、広く発信する機関として功績を残してきました。

 しかし、耐震性の強度不足や施設の老朽化、展示公開エリアの狭隘などが問題となり、検討委員会を設置して準備を進めてきました。

平成25年6月には、富士山が世界文化遺産に登録され、これに伴う富士山と地域に関連する展示内容の見直しなども盛り込まれました。

 

 新たに「富士山かぐや姫ミュージアム」の愛称を付けた背景には、この博物館が「世界遺産となった富士山の麓」の歴史や文化を色濃く出すこと、そのためには、「構成資産」のあるなしに関わらず、富士山世界文化遺産登録の意義が「信仰と芸術の源泉」と表現しているように、地域に埋没している資源を発掘して、市民が共有し、また内外に発信することで、地域の魅力度を高めようとするものと理解しています。

 さらに、一般的に普及している「竹取物語」では、最後のかぐや姫が帰っていくところは「月」ですが、「富士に伝わるかぐや姫伝説」は、「富士山に帰っていく」となっていることから、特色のある物語の背景なども文献の調査で明らかになっており、施設の愛称に「かぐや姫」をつけたことも納得のいくところです。

 

 リニューアルのコンセプトでは、「博物館によるシティプロモーションとそのブランド化を推進」を掲げ、博物館と隣接する広見公園の歴史ゾーンとの一体化や、特別展以外の入場料無料化、博物館の個性を表す名称、富士山世界文化遺産と地域をテーマにした展示などを挙げています。

 「展示・公開エリアのリファインによる魅力度アップ」では、展示室・公開エリアの拡大、常設展示を見直し「自然災害史」や「現代的課題」に直結した展示、「富士山信仰と富士のかぐや姫物語」を中核に据えた展示、静岡県と連携し富士宮市に設置される「富士山世界遺産センター」との連携などが盛り込まれました。

(新たな展示、富士山とかぐや姫物語)


(富士のかぐや姫にちなんだ施設を紹介)


(デジタルコンテンツは、新たな感激が)


(富士山周辺の情景を描いた屏風)


(富士山世界文化遺産の意義は「信仰と文化の源泉」。その特設コーナーが設置された)


(文化や信仰の視点で描いた富士山)


(市内の旧家の祭壇を再現。富士山信仰の表れを感じる)


(峰入修行という、富士山信仰の原点)


(12年に一度、富士山頂の鳥居を建て替える富士市岩渕地区の「鳥居興」)


(川合玉堂が描いた富士山)


(横山大観が描いた富士山)

 

(日米親善大使を象徴する「冨士山三保子」。次のいわれを参考に)


(冨士山三保子について)


(アメリカから送られ、県内の残る人形)


(アメリカから送られた人形達)

 

 これまでは、少し暗いイメージのある施設でしたが、大変魅力のある施設に生まれ変わりました。まずは施設に足を運び、直接目で見て感じてください。富士市の気付かなかった魅力が体験できます。

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街の治安維持と行政・市民協働の環境施策の展望

2016年04月28日 | 議会活動

平成28年4月28日(木)

 

 昨日に引き続き、地域内の県関連機関と富士市への年度替わりのごあいさつと意見交換に出かけました。

 

 県関連は、地元の警察署を訪れ、新たに着任した署長と、地域課題について意見交換をさせていただきました。

 署長は平成2年頃、地元の署に配属されていたと言うことで、当時はバブルの最中で地域経済も活発な時期であると同時に、当時最悪と言われた麻薬覚醒剤などの薬物事案が、全国ワースト4という誠に不名誉な時期で、当時を振り返りながら犯罪撲滅に向けた苦労話などをお聞きしました。

 現在でも薬物犯罪は決して少なくなったわけではなく、最近報道された中学生の子どもを巻き込んだ家族での事件など、耳を疑いたくなるような事案も発生しており、改めて犯罪撲滅に向け、お力を発揮していただかなければなりません。

 そのほか、交通安全対策、特殊詐欺対策、熊本地震への広域緊急救助隊派遣や、5月下旬の三重県伊勢志摩サミットに向けた警備応援のために、警察官が派遣されている状況などもお聞きしました。

 

 富士市は環境部を訪問し、部長と環境総務課長および環境政策に関わる担当者と意見交換を行いました。部長と課長は共に新たにポストに就いたということで、環境政策担当の職員から実質的な説明をいただきました。

 

 部長は防災畑から、課長は農政分野からの異動ですが、環境政策は幅広い分野の知見を生かして立案されるもので、彼らのこれまでの経験が富士市の新しい環境施策に活かされることを期待します。

 

 今日の意見交換の柱は、地球温暖化防止への取り組みのうち、小学生を対象とした環境教育と省エネ対策についてでした。

 私は、地球温暖化防止活動を目的とする市民活動に関わり、また、富士市の環境アドバイザーを担っていますので、市の市民・企業向の環境施策において、これらの活動を通じて支援しています。

 

 平成28年度以降の富士市の環境施策の取り組みでは、環境教育を充実させていこうという方針が示されています。市内の全小学校にて、対象は4年生の総合学習の中で展開しようということでした。

 これまでも、各校からの要望に応える形で、また市からの委託事業として環境教育を実施しています。ただ、そこで使用する副読本は小学生では内容が少し高度なので、この教本から作り直すことを検討しています。

 市が主体で作成すると言うことですが、私は「富士市らしさ」を素材として用いることを検討してはどうかと提案しました。

 これまで利用してきた教本は、県が作成したものを引用していて地域性は感じられません。「地球温暖化対策」とはいえ、その解決には一人ひとりが理解と行動で解消することが重要です。

 身近な問題として受け入れるためには、外国の砂漠化や遠い島国の海面上昇による消滅の話題だけでなく、身近なところでも温暖化の進行により生物、特に農産物への影響も明らかになりつつあり、地元農家から長年の農業を通じて感じる温暖化の影響などについて聞いてみるなど、地域から情報を得ることは可能です。

 

 さらに、中小企業の省エネ対策では、私の所属する市民団体にはその診断ができる専門家を有していて、設備投資の前のアドバイスが可能です。既に、この支援事業はここ数年実施してきました。

 また、エネルギー関連では「小水力発電」の導入に向けても意見交換が行われました。

 

 行政と強調して、市民が持つノウハウを活用して、市民が率先して取り組む活動展開に期待したいと思います。

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田子の浦港安全宣言

2016年04月27日 | 議会活動

平成28年4月27日(水)

 

 年度替わりは、人事異動で赴任してきた県の出先機関などの担当者とあいさつと意見交換を行うのが習わしとなっています。

 赴任したてでは、担当者も管轄自治体などへのあいさつ回りや事務打ち合わせなどがあると思われましたので、私は先週当たりから、双方の時間調整を図り、今後の課題などについて意見交換を始めました。今日も2箇所、明日は1箇所を予定しています。

 

 さて、今日の訪問先に田子の浦港管理事務所がありました。所長は、前任が本庁で港湾関連の管理職として精励され、私も一般質問で港湾整備の質疑における助言など大変お世話になった方でした。会合には、所長を含め4名の職員に対応していただきました。

 

 あいさつの後、早速、本年度事業の概要と予算について説明があり、継続事業では年々予算確保が困難になってきていることが明かされました。

 田子の浦港は昭和40年代前半までの高度成長期に、工場排水などにより大変汚れた港として不名誉な時代を過ごしています。港底にはダイオキシンなどの有害物質の堆積もあって、長年その処理が大きな課題となっていました。

(かつて港内はこんな汚染が。しかし、その後の浄化対策で見かけはきれいになった)


(港に注ぐ河川からの堆積土砂は毎年浚渫を行う)


(潤井川の河口。田子の浦港に注ぐ)


 処理については、法の整備や処理技術が確立したものの、処理を経て規制値内に収まる廃棄物となっても受け入れるところがなく、最終的には港近くの2箇所に安全対策を講じて埋設することが決まり、その最終処理に目途がつきました。さらに、埋設後は覆土して市民に開放される公園として整備されつつあります。

(浚渫土を埋めた跡地の公園計画)


 この過程において、港周辺の住民に理解を求める作業は大変困難を伴いましたが、行政担当者と住民との間に合意が得られ、今に至っています。そして、その工事は今も進行中です。

 

 ところが、先ほど触れた予算確保が困難という事態は、予定された事業の完成が遠のくことを意味し、地元説明により住民の理解を得て進めているだけに、県事業の窓口となる事務所担当者にしてみれば、事業計画の見直しと今後の目途について、改めて地元説明会を開くなど頭の痛い話で、ご苦労が想像尽きます。

 

 田子の浦港はいくつもの河川が港内に流れ込むことから、港底に土砂が溜まり大型船の入港に支障が出るため、毎年、浚渫を実施しなければ港湾機能が止まってしまいます。

 この浚渫土の処理費も多額なもので、流入量は毎年そんなに変化するものではありませんので、一定額の処理費(県単独の維持浚渫費は3億7千万円ほど)が発生します。処理費は、港湾管理者の県が主に負担していますが、流域にある工場排水に含まれる製造過程から出る残渣なども含まれることから、一定の負担金なども生じていると聞きます。特に、浚渫後の処理過程の負担が大きいといわれています。塩分除去や泥(シルト)など取り除かなければならない処理費と処分場などに運ぶ運搬費などの最終処分費などがあります。

 私は、以前の県議会一般質問でもこの問題を取り上げました。ここ最近は、防災面から津波対策として避難のための「命山」を建設するために、沼津市や湖西市で利用していただくなど、公共事業での活路が見られます。

 今後は、民間にも参加していただき、どのような利活用が可能か呼びかけていくと言うことです。

 田子の浦港事業費全般の中では、この処理費が大きな負担となっていますので、先に述べたような取り組みで処理費のコストダウンが図られれば、厳しい予算傾向でも他の港湾整備等にプラスの効果が出てくるのではと期待しています。

 

 冒頭、タイトルに記しました「田子の浦港安全宣言」ですが、田子の浦港の中央泊地・航路地区の底質に含まれる汚染物質が、「ダイオキシン類の水底の環境基準」である150pg-TEQ/gを全て下回っていることが確認されました。

 平成16年度から平成27年度までの汚染底質浚渫除去が行われ、平成26年7月と平成28年2月に対策の効果確認のための調査を実施した結果と言うことです。

 提供いただいた資料では、まだ一部、平成28年度以降に浚渫除去を行わねばならない箇所が存在していて、現時点では「完全とは認めがたい」状況ですが、先に触れた河川からの土砂の流入の影響がない場所がほとんどなので、「ほぼ安全」と言えるように思えます。

 最後の詰めの部分を注視し、本当の意味での「完全」を追求していきたいと思います。

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大学閉校の影響

2016年04月26日 | 議会活動

平成28年4月26日(火)

 

 少子化による大学の定員割れが大きな問題となっています。地方の大学は特に深刻で、その大きな原因の一つとして、立地が悪いとなれば都市部の校舎に集約されるなど、閉校の可能性は顕著になってきました。

 

 ただ、全ての地方大学が同じ傾向とはいえません。大学に進学する学生を支える保護者の負担軽減を図るために、自宅から通える場所や経済的負担の少ない公立大学、地方にも学びたい大学があるなどが選択要件になってきます。従って、地方大学でも人気のあるところの定員割れはありません。

 

 大学も生き残りをかけて、学生が選んでくれる環境づくりを積極的に取り組んでいます。その代表的な例は、校舎を利便性の高い場所に集約するなどがあります。これには相当の経済的負担もあって、大学としても決して容易に実現するものではないと思います。

 建前論で行けば、大学の魅力は「最高学府としての学問の力」が一番重要であり、卒業後の就職が優位な大学ということになるでしょう。

 私たちが若い頃は、あこがれた難関大学を受験するためには、そこを受験するための前提条件として、高校は上位の進学校に入れるかが鍵でした。入学した高校で大学の進学先がだいたい見えていた時代でした。今は、推薦入学などの枠も広がり、どこの高校からも人数はともかく難関大学へ入学するようになりまし。ただ、入学のハードルは下がっても、卒業のハードルは決して下がってはいないと思います。それが、卒業後の進学や就職に結果として表れています。アメリカ型になってきたのでしょうか。

 

 少し話が逸れたようですが、今でも、大学の中身の評価が問われていることに代わりはありません。

 

 元東海大学沼津校舎開発工学部は、昨年3月末で閉校しました。愛鷹山の中腹にあって、周囲はお茶畑に囲まれ、南に駿河湾や伊豆半島を、北西には富士山を望む学習・研究環境としては申し分のないところでした。

 しかし、実際に行ってみると、根方街道から車で急勾配の道路を10分ほど走るところにあり、通学には不便なところと感じました。閉校になった理由はよく知りませんが、この不便さがその理由の一つだったかもしれません。

(閉校になった東海大学沼津校舎。茶畑に囲まれ富士山を眺める)


(南は駿河湾と伊豆半島を望む)

 

 麓には大学生専用の下宿もあり、多くの学生が利用していたと思われます。「賄い付き下宿」という看板も目につき、私が大学生の頃、習志野で経験したような光景でした。その下宿は、閉校になって以降、次の入居者がほとんど見られず、所有者にとっても大変な負担を強いられていることも見て取れます。

 かつて、多くの学生を当て込んで栄えていた学生街も、一挙に疲弊しています。

(かつて大学生で栄えた賄い付き下宿も、今は居住者がいない)

 

 そんな厳しい状況下、明るい話題も見えてきました。

 大学側は、耐震性のない建物を撤去して更地とし、耐震性のある建物と全敷地を沼津市に寄付するとのことです。また、静岡県は残された施設を「機能性のある農作物の研究開発するための先端研究施設」として活用する方針を表明しています。既に平成15年度2月補正予算にこの関連予算を盛り込みました。静岡県が目指す今後の農業振興の大きな柱の一つとして期待されています。

 大学が生まれ変わって活用されることは大変良いことではありますが、多くの学生により賑わっていた街を取り戻すことは大変厳しい状況と言わざるを得ません。

 

 常葉大学富士キャンパス(もとの富士常葉大学)は、3月下旬に静岡市駿河区に移転し集約するとの報道発表がありました。

 富士市大淵の丘陵地帯にあり、隣には静岡県富士水泳場や富士市総合運動公園の一角に位置し、周辺はお茶畑に囲まれ、駿河湾を見下ろし富士山を仰ぎ見る絶景地でもあります。ここへは、富士駅や新富士駅などから大学が運行する専用バスで、30分以上かけて通学しています。周辺には学生達が喜びそうな、いわゆる学生街にありそうな施設はなく、校内の食堂が唯一の憩いの場といって良いかもしれません。

(富士駅から専用バスで30分の常葉大学富士キャンパス)


(西側には県営富士水泳場が隣接する)


 このキャンパスも、立地が最大のネックで移転となるようです。

 設置に最大限の協力をした富士市にとっても、約1,000人の学生がいなくなるわけですから、様々な影響は免れません。

 今後、跡地利用がどのようになるのかは想像ができませんが、大変気がかりな出来事です。

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吉原タウンマネージメント総会

2016年04月25日 | 議会活動

平成28年4月25日(月)

 

 吉原タウンマネージメント(TMO)の定時総会が開催され、参加してきました。

(主催者あいさつ。落語が好きな会長は、最後までそのノリでしゃべりまくった)


(配布された総会資料)

 

 タウンマネージメントとは、中心市街地の活性化のために活動を行う組織で、富士市では平成15年度に富士市中心市街地活性化基本計画を策定し、富士駅周辺と吉原商店街の2つの地域を中心市街地として指定しました。

 私は、地元に近い吉原商店街のTMOに参加し、商店街の活性化に取り組む市民の活動を支援しています。

 

 定時総会と言うことで、平成27年度の事業報告と決算、平成28年度人事および事業計画と予算について審議が行われました。

 来賓には、富士市商工会議所会頭と専務理事、富士市産業経済部長と課長が出席されていました。

 

 事業報告では、平成29年2月に「B-1グランプリ(東海・北陸支部)」の開催が決定しており、このプレイベントとして本年2月に開催された「吉原まるごとフェスタ2016」では、二日間で4万3千人の来場者が集まり大盛況だったことや、主催イベントとして実施した「吉原本宿講座」では、毎年6月に開催される「吉原祇園祭」の歴史についてと、富士山世界遺産登録を契機に富士山信仰と文化に関わる講座の実施状況が報告されました。

 また、「空き店舗対策プロジェクト」では、富士市や富士TMOが実施する「あなたも商店主支援事業」を活用し、商店街の空き店舗を利用した開業支援など、さらに、老朽化した建物を再整備するための「再開発プロジェクト」など、ハード、ソフトを取り混ぜた「商店街の再生と活性化」を目指しています。

 最近では、B-1グランプリに出場し続ける吉原商店街の「つけナポリタン」や、岳南電車と工場夜景、地元フィルムコミッションの仲介による地域資源を活用した映画やドラマ、バラエティ番組など、全国に情報発信していることから、来訪者も増えてきているとのことでした。

 視察受け入れでは、NHK「家族に乾杯」や朝日テレビ「マニアックな富士山ファン&ネタ探し」、第一テレビ「まるごとワイド」、日本テレビ「ヒルナンデス」、SBSテレビ「しずおか遊びたい券案内人と行く街歩きとスイーツ巡り」、日本テレビ「土曜スペシャル ナイトウ旅行社」など、一年間の代表的なテレビ番組を挙げただけでもこれだけあるのですから、まさに「旬」を迎えているという感じです。

 この背景には、「富士山の世界文化遺産登録」が後押ししていることも大きな要素かもしれません。もちろん、商店街の「やる気」が一番であることは言うまでもありませんが。

 

 今後もこのチャンスを継続的に活かしていくための苦労は覚悟しなければなりませんが、商店街の若い衆の積極的な取り組みを見ていると、まだまだ行けそうな気配です。

 とはいえ、商店街の最大の応援団であるはずの周辺地域や地元に住む人達が、もっと商店街を訪れてくれるようにならなければ、真の活性化を達成したとはいえないのかもしれません。

 

 最後に、事業報告や事業計画では、国や県の支援、助成なども盛り込まれていましたので、関係方面の情報収集に努め、支援をしていきたいと思います。

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