goo blog サービス終了のお知らせ 

鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

富士市環境フェアを視察

2019年11月30日 | 議会活動

令和元年11月30日(土)

 

 富士市が主催する第13回富士市環境フェアが、ふじさんめっせを会場に開催されました。当初、この環境フェアは富士市内で活動する環境関連団体や企業が地球温暖化防止などをテーマに、市民に対する啓発活動を展開する場として始まったと記憶しています。

 私が所属する、富士市STOP温暖化地域協議会もこの10年間の活動を通じて、環境フェアを支えてきましたが、今回初めてお休みをいただき、客観的な視点でこの環境フェアを見させていただきました。

(会場となったふじさんめっせ)


(外では間伐材を使った紹介コーナーも)


(太陽熱暖房を取り入れた住宅の紹介)

 

 行政主導で始まりましたが、それは事務局機能として今も変わらないものの、環境をテーマにより身近な生活の中でも感じられる幅広い取り組みとして、親しみの感じられる内容になりました。

 地球温暖化防止はもちろんのこと、生物の多様性や、自然体験、ゴミ問題、公共交通、省エネなど、テーマは堅いイメージですが、出展者はそれを楽しく、わかりやすく体験やクイズを通じて説明しています。「COOL CHOICE」や「SUSTINABLE DEVELOPMENT GOALS」などのキャンペーンのもと、環境の定義が幅広くなってきたこともうかがえます。

 それを意識してか、環境をテーマにしているほか、健康や福祉関連、そして市政全般に関わる事業紹介のブースも多数出展し多くの来訪者で賑わっていました。食育や、青少年相談センター等もあり、定義の範囲が広がったことを実感しました。

(おなじみとなった自転車発電の体験)


(こちらもおなじみの子ども環境クラブのパッカー車事業)


(障害者団体が公共交通の課題を提起)


 子どもたちに人気だったブースは、海の生き物展示とは虫類とのふれあいコーナーでした。伊豆三津シーパラダイスや体験型動物園を展開するiZooなどの協力で、ペンギンやナマコ、ニシキヘビやトカゲなどに実際に触れることができ、長蛇の列に驚かされました。

 このイベントではクイズコーナーも多く、参加すると商品がもらえ、来場すれば何かしらのお土産をいただいて帰ることができます。私もいくつかのブースに参加、ゴミ袋やトイレットペーパーなどをいただきました。

 意外に時間を要したのは、中古本の無料配布で、ほしいタイトルの本探しには展示の担当者も手伝っていただき、5冊ほどをいただきました。

 

 先ほどの水族館が出展したブースの横では、海洋プラスチック問題を啓発するコーナーが設けられ、その対面には、市内の製紙会社が商品化した、紙ストローが展示され、最新の環境問題なども扱っていました。

(水素自動車のカットモデル)


(紙製ストローを開発した製紙会社のブース)


(最近の課題もブースで紹介)

 

 私の所属団体がブースの出展をしなかった事で、他の出展者から今年はどうしたのかと問われる場面もありましたが、その分、2時間ほどじっくりと見て回れたことは、大きな収穫でした。新たな出展者も増え、内容の変化もあり、今後の運営もどのように進んでいくのか関心の高まる視察でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異国で力を発揮する同郷の皆様

2019年11月29日 | 議会活動

令和元年11月29日(金)

 

 ミャンマー視察二日間の強行軍を終え、早朝帰国しました。視察先の気温34度から10度の日本へ。6時間の夜行便の疲れと大きな気温差に訪問団一行も県内各地へ向かう電車の中で、爆睡している人が目立ちました。それぞれが短期間であるにもかかわらず、大きな成果を得たと満足気味でしたが、月曜日から始まる県議会12月定例会に向け、頭の中はそちらの準備に向かっているはずです。この貴重な体験を、議会開催までに報告書に取りまとめ、頭を切り換えていかねばなりません。

 

 さて、視察中のブログでも触れましたが、初日の夕食会に本県出身あるいはゆかりのある方9人が懇談会に出席していただき、思い出深い一時を過ごすことができました。ミャンマー発展のために日本を代表する物流、プラントメーカー、航空会社、商社、広告会社、人材育成企業などで、現地の責任者、あるいはそれに準じた立場の方々です。

 訪問団全員がゲストの皆さん全員と個別に懇談できるように配慮し、私も自分のミャンマー観についてお伝えし、最新の現地情報に詳しい皆さんから、様々な意見をいただくことができました。また、彼らにとっても日本を離れて久しい方もいて、久し振りの故郷の話題が聞けることで、懐かしさを覚える場面もあったはずです。

(県人会との懇談会開催を宣言する団長の森県議)


(県人会でお会いした企業の方と)

 

 どの方の話も興味深く聞かせていただき、その一つ一つについて触れてみたいと思いますが、その中から私の若い頃の体験と重なり、相手の方も「同じ臭いのする仲間」と受け止めていただき、懇談会が終わってもホテルのロビーで長話になってしまった一件をご紹介したいと思います。

 

 彼は、日本を代表するプラントメーカーの現地責任者で、ミャンマーのインフラ整備などに関わっています。年齢は私と一回り違いますが、その職責をこなすだけの素晴らしい人格と識見をお持ちで、話を聞いているだけで興味が次から次に湧いてきました。

 私と「同じ臭いがする」と共感したのは、私も30歳代までは彼と同じ類いの某重電機メーカーに勤務し、日本のODAの一端として、アジア地域でのインフラ整備に関わってきた経験があります。

 日本の国際貢献に関わる仕事は、特別な思いがあり誇りでもあります。一方で、開発途上国は多くの人が仕事をすることで、その成果が現れ、そしてそこに関わる人たちの収入源となります。私の頃は、日本の高度な技術力で多くの人に頼らず、精度の高い仕事をこなす仕組みを提供してきましたが、それはそこで仕事をしてきた人たちから仕事を取り上げてしまうことも少なくありませんでした。私はそのような葛藤を直接現地の人から聞かされたことがありました。それ以来、気持ちの上ではここに住む国民の思いを受け止めながら、この国のために仕事をしていきたいという思いを強くしてきました。

 30歳代後半にその仕事から離れましたが、今の日本の国際貢献は、ハード支援は勿論ですが、ソフト面での支援が強調され、人材育成や教育に力を入れていることが大変嬉しく思います。この国が自立するためにはそこの国民が自らの手で国をつくることが最も重要で、将来を支える人材育成こそが本当の貢献ではないかと考えています。

 

 今回お会いしたプラントメーカーの方も同じ経験を積まれ同じ思いを共有できる方と受け止めました。ここでは記事にできませんが、それぞれが歩んできた所属する企業の内情まで話題に上がり、昔からお付き合いの遭った方のように親しく、そして久し振りにこのような国際貢献の現場で会話が弾んだことは、最高の収穫の一つでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミャンマー経済特区視察

2019年11月28日 | 議会活動

令和元年11月28日(木)

 

 ミャンマーの代表的な経済特区であるティラワ工業団地と本県を拠点とする自動車メーカーの現地工場を視察しました。

(工業団地の入り口にて)


(日本企業が多く進出しています)

 

 最初に、本県の本社があるススキ自動車の現地法人、スズキミャンマーモーターの工場を視察させていただきました。この工場は昨年の3月から稼働し始めたばかりで、今年度の生産目標は年間15,000台で、新車市場が拡大するミャンマー国内で先発メーカーとして取り組んでいます。

 ミャンマーは、近年自動車の普及が増加しており、そのほとんどが海外からの中古車、特に日本車が市中を走っています。ヤンゴン市内では、アジアの新興国でよく見られるバイクの乗り入れが禁止され、ほとんど走っていません。そのことも自動車が増える理由になっているのかもしれません。

 ミャンマーでは、日本車のような右ハンドル車の輸入を禁止する方針を打ち出したため、今後、経済力が高まり、個人所得も増えると予想されることから、新車の導入も進み、ますます自動車メーカーの進出が増えるものと考えられます。

 聞くところによれば、一般的にこのような大手メーカーの進出に追従して、部品などのサプライヤーなどが進出していきますが、まだその状況は見られないといいます。その背景には、現況の生産台数や販売実績などから、事業化が困難であり、しばらくは、日本や周辺諸国にある関連工場から部品を調達して、組み立てだけを行う方式が続くのではということでした。

 本県は、大手自動車・二輪メーカー企業が多く、それを支えるサプライヤーが数多く存在しており、今後はこちらへの進出もあり得ます。その実態把握をしておくことは重要であり、今回の視察で関連情報を収集することができました。

 さらに、技能者教育などを社内で実施しており、この教育の場は日本や周辺諸国にある自社で行い、ここに戻って生産ラインに立つといいます。今後、日本企業の進出が進むと、社内で育てた人材の流失も懸念されます。

 車の組み立て作業では女性従業員が仕上げなどにつき、きめ細やかさと正確さで男性よりも適しているというお話を伺いました。

(ススキミャンマーモータースの関係者と一緒に)

 

 その後、ティラワ工業団地事務所を訪れ、担当者から説明を受けた後、質疑応答がありました。またその後、広い工業団地内を車で移動し、企業の立地状況などを見て回りました。

(工業団地事務所)


(説明いただいた工業団地管理企業の役員と)

 

 この工業団地は日本とミャンマーが2014年に共同開発したもので、ミャンマー総合特区法により認められ、日本の民間出資(商社と金融機関)が39%、日本政府出資(JICA)10%、ミャンマー民間出資(9社と個人)41%、ミャンマー政府出資10%の割合で出資しています。全体開発総面積は、2,400haの面積を有し、第1期は405haで東京ドーム85個分の広さで、この中に本県の自動車メーカーが進出し稼働中で、区画はほぼ完売しています。第2期分は224haでこちらには日本の別の大手自動車メーカーが新たに進出することが決まっています。日本からは54社が進出しています。また全体では他の国籍やミャンマー企業などを併せ、106社が存在します。

 企業分野では、建設資材6社、包装・容器10社、縫製9社、食品・飲料9社、農業8社、自動車7社医療6社、電力・電気6社、靴3社など多岐にわたっています。

 工業団地の企業活動を支援するために、電力、給排水、通信、産業廃棄物処理のほか、物流センター、保税倉庫、銀行、損害保険、クリニック等のインフラ整備も整っています。さらに特徴的なのは、人材紹介や行政手続きの相談窓口などを担うワンストップサービスセンター、職業訓練施設などもあり、日本の企業、本県企業が進出する場合でもそれに必要な支援機能が整っていることには驚かされました。

 日本はベトナムやインドネシアなどでこのような形態の工業団地を整備してきており、そのノウハウの蓄積が反映され、充実度が高まっているといえます。

 

 ミャンマーはこの工業団地をモデルにさらに各地での整備を計画しているようですが、この工業団地の特徴であるワンストップサービスは、ミャンマー政府の行政機能にも導入することが政府高官から明示されたということでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミャンマーと日本の経済交流

2019年11月27日 | 議会活動

令和元年11月27日(水)

 

 会派によるミャンマーと日本の経済交流の実態調査に出かけています。今日と明日の二日間ですが、大変厳しい日程の中、精一杯の視察をこなしてきました。

(黄金のパゴダが市内に点在)

(いろいろな宗教が共存する国)


(こんな町並み)

 

 現在、東および東南アジア地域は、米中の経済摩擦などのほか、朝鮮半島の不安定などによる地域情勢の悪化に伴い、日本のアジア地域内での経済活動への影響が懸念されています。かつて、本県からも多くの企業が中国へ進出し、その後は政情の不安定さにより中国の周辺国への脱出が見受けられるようになりました。本県としては、何か現地で問題が生じれば県内に戻ればと考えますが、相手国内での経済活動は、こちらの都合だけで済むものでなく、全くの移転というよりは、従来の国での活動は減少させ、軸足を周辺へずらすというケースが見受けられます。

 

 中国のアジア地域全体への影響力は日増しに強くなり、日本がこれまで果たしてきた貢献が薄れる危険性も出てきました。日本の貢献とは、その国の将来を想定して、経済的にも自立するために必要な技術移転や人材育成など、ハードよりもソフト面での貢献が強みです。しかし、その成果が現れるまでには時間がかかります。

 しかし、ハード整備には莫大の資金が必要であり、短期間でその取り組みが目に見えることから、見栄えのする貢献が目立っています。貢献といっても融資や借金を重ねているケースが多く、債務国となって将来に禍根を残すことに警鐘をならす論調も見受けられます。

 

 本県企業はベトナムやタイ、インドネシアなどに進出し、この地域の西の外れとなるミャンマーにも進出するようになりました。私はこの国に一度も行ったことがなく、先に触れたような課題を掲げながらも、今後の発展に注目されている国でもあることから、日本企業の、とりわけ本県企業の進出状況を調査する視察団員の一人として参加させていただきました。

 

 初日は、JETROのヤンゴン事務所、JICAミャンマー事務所、静岡日本語学校などを視察し、ミャンマー駐在の本県関係者との意見交換を行いました。

 

 日本貿易機構(JETRO)ヤンゴン事務所では、所長からミャンマーの投資・ビジネス環境とセクター別動向として、様々なデータを提供いただき、現在は日本企業が続々と進出している現状や課題などについて説明をいただきました。日本は2013年から2014年頃、ミャンマーへの進出の気運が高まる前提条件の現地調査が盛んに行われ、ここ最近になって進出ラッシュになったといいます。ミャンマーは、中国、タイ、ラオス、インド、バングラデシュに周囲を囲まれ、世界人口の約4割である30億人規模の巨大市場に陸路でつながっている特性があります。かつて中国は、戦略的な理由からミャンマーの港から中国までの天然ガスや石油の輸送ルートを確立しました。本来ミャンマーは自国のためのインフラ整備を進めていくべきですが、様々な思惑がこの地に寄せられているのも事実です。日本の支援は相手国の発展を第一に考えており、日本の国際支援の基本でもあります。経済支援でもミャンマー国内の人材教育などに重点を置き、ソフト面での支援が目立ちます。経済支援では、民間の力を欠かすことはできず、日本企業の投資は相手国のために必要なことです。Win-Winの関係を築くことが重要です。進出分野は、建設、流通サービス、工業などが上位を占め、これから発展する国の特徴が現れています。

 ミャンマーの人口ピラミッドは、理想的な形であり、かつて同じように言われたベトナムはすでにそのピークを越えたといいます。今後ますます、ミャンマーには注目が集まりそうです。

 質疑応答では、電力事情について主力は水力発電ですが、天然ガス資源が発見されたことから、ガス発電による安定化が見込まれている。日本企業をはじめとする海外企業の誘致では、日本とミャンマーの協力により総合特区を設け、工業団地を整備し、本県内企業も進出している。ミャンマー人材育成の日本の役割についてなどをお聞きしました。

(JETROの事務所)


(説明いただいた事務所長)


 

 日本の国際援助を行うJICAでは、日本がミャンマーで果たしてきた役割や、今後の取り組みと課題などをお聞きしました。ミャンマーとは1954年に大戦後の「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」を締結し、技術協力が始まりました。1968年に円借款第1号案件供与、1975年に無償資金協力第1号案件供与などを実施するなど、戦後処理をいち早く取り入れています。しかし、1988年の大規模な民主化運動と軍事クーデターが発生したことで、新政権が誕生した2011年までの間は日本からの円借款は凍結しましたが、2011年以降は順調に推移しています。

 ミャンマーに対する日本やJICAの協力については、国民の生活向上のため、保健医療、農業・農村開発、基礎教育、少数民族地域支援、防災等を支援しています。また、人材教育・制度整備では、高等教育・産業人材育成、法整備、財政・金融、貿易・投資、観光分野を支援しています。さらに、持続的経済成長では、電力・エネルギー、運輸・交通、上下水道、情報・通信等で支援しており、これだけの広い分野での支援は、国を基礎から立ち上げていくのと同等な支援となります。日本の国際援助では、世界で最も力を入れている国ともいえ、それを現地で支えるJICAの職員数も世界最多ということでした。

(説明いただいた担当者)

 

 JETROやJICAの取り組みを理解して、本県からの企業進出の拡大や人材育成などで協力できるチャンスは大きいと感じています。

 

 次に訪れた、静岡日本語学校や、MJ―SEDA日本語人材育成コースでは、静岡県内の大学に留学した人や仕事で訪れた人たちなどが、静岡での経験を活かしその魅力を感じつつ、日本との交流拡大を図る取り組みを視察し、意見交換を行いました。

 民間レベルでは県内にも彼らを支える支援組織が立ち上がっているケースも見受けられますが、県政の場において、国内での共通課題である人材不足が深厚な問題と捉え、その対策を論じている割には、このように海外から熱いまなざしで見られている、しかも静岡県に縁があった人たちに対して、どう受け皿を構築していくかは喫緊の課題ともいえます。介護人材が話題になっていますが、フィリピンやベトナム以外にも、静岡県との縁で活動しているミャンマーの人たちの熱い思いに心が揺さぶられました。

(静岡日本語学校の校長先生と卒業生たち)


(学校の案内)


(MJ-SEDA日本語人材育成のスタッフ)

 

 夕食時には、今回訪問しているヤンゴン市内で活躍する県内企業関係者をお招きし、本県のミャンマーとの交流の現状や課題などについて、貴重なご意見をいただく機会となりました。

 

 明日は、工業団地に進出した県内企業を視察し、そのまま夜中の便で帰国する予定です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域の助け合いと健康なまちづくり

2019年11月26日 | 議会活動

令和元年11月26日(火)

 

 市民団体である静岡県傾聴ボランティアネットワークが主催する、「心身ともに健康なまちづくりスタディセッション」が沼津市のプラザヴェルデを会場に開催され、出席してきました。県の健康福祉部や県東部市町の首長及びその代理、国・県・市・町議会議員の他、このテーマに関心を寄せた多くの市民が集いました。

(講師の前岩沼市長井口経明氏)


(東部市町の発表から)

 

 その中から、基調講演をいただいた、前宮城県岩沼市長の井口経明氏の「ソーシャルキャピタル(地域の助け合い)と健康なまちづくり」と題し、東日本大震災で多くの犠牲者を出しながらも、その後の復興では持ち前のリーダーシップを発揮して、コミュニティごとの集団移転で、仮設住宅での一人の自殺者を出さず、震災復興のトップランナーとして評価されたその取り組みなどをお聞きしました。

 

 岩沼市は「健幸先進都市いわぬま」を実現するため、様々な取組を進めています。WHOは健康の定義を、「身体的、精神的、社会的良好な状態にあることをいう。」としています。まちづくりの基本理念は、自助・共助・公助を行政の基本とし、市民一人ひとりが自覚を持ち、まちづくりに主体的に取り組み、行政が積極的に支援します。これらに基づくまちづくり指標には、「幸福感の向上」、「健康寿命の延伸」などが掲げられています。

 2010年から始まった「岩沼プロジェクト」は、健康長寿社会を目指した予防政策の科学的基盤づくりに同調し、全国の市町村と共同研究を進めてきたものですが、始まったこの年に、市内65歳以上の3,565人を対象に健康調査を実施しました。そして、震災後の2013年に同じ対象者に健康状態を調査し、震災前後での比較データが集まりました。

 この結果に大きな影響を与えたのが、コミュニティごとの集団移転で、他地域と大きく異なる復旧対策を講じたことです。

 その結果を分析すると、震災前に地域の繋がりが豊かな地域は、認知症の進行が12%低かった。地域の繋がりが豊かであることから、認知症にならない要望的な効果が3倍あった。

 市内99の行政区を地域コミュニティの単位として解析した結果、震災前の個人及び、地域コミュニティの社会的結びつきは、外傷性ストレス障害(PTSD)の発症を4分の3抑制していた。

 集団移転することで、大災害後も社会的結びつきが維持され、それによって健康が維持されている可能性が示唆された。

 震災後のうつ病発症と住居の転居の関連を調査すると、仮設住宅へ入居した人は、震災後のうつ病リスクは2倍となっていた。

 災害時死亡リスク、うつ傾向で約4倍でしたが、友人との交流があることで約半減していたことなどが、分析結果として出ました。

 このように、被災地に暮らす高齢者の健康に及ぼす影響を学術的に検証できたことは、災害時のみならず、これから迎える超高齢化社会において、特に2025年問題が迫る中、地域包括ケアシステムの構築を進める上では、健康とコミュニティのあり方がいかに重要かを示す、大きな成果といえます。

 

 私は質問として、市長のリーダーシップは勿論ポイントですが、議会や地域住民の理解も重要であり、当時の取り組みにおける課題・対応について、コミュニティが地方でも崩壊し始めている現状についての認識と所見、この成果を地域包括ケアシステムに反映していくための考察などをお聞きし、大変有意義な時間を過ごすことができました。

 

 基調講演の後は、「健康寿命の延伸を願うまちづくりの懇談会」と称して、県東部の8市町から報告を受け、それぞれの取り組みを共有しました。

 

 基調講演の講師を務めた、井口前市長とは初対面ではありましたが、一緒に昼食を取る機会があり、講演内容以外にも大変興味をそそる話題で盛り上がり、貴重な時間を過ごすことができました。また機会があれば再会して、私の地元富士市と彼の地元岩沼市の共通課題で盛り上がりたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする