平成25年9月27日
静岡県議会では、定例会開催中に全議員を対象とした議員研修を開催します。そのほとんどは外部から講師をお呼びし、時局講演として県政・国政に関わる課題を扱います。
今回は、講師に高崎経済大学地域政策学部教授の八木秀次先生をお招きし、「グローバル化する世界と日本の国柄 -憲法・皇室典範・教育再生-」と題し、講演をいただきました。
(県議会会議室を会場に開催された八木先生の講演)
最初に「グローバル化とは」について、インターネットが普及し国境を意識することが少なくなった。しかし、世界のグローバル化が進む中、日本は取り残されている。
国は、グローバル人材育成に力を入れており、その中身は「語学力」、「自らの考えを適切に伝えられる交渉力」、「異文化を理解する力」である。
グローバル化が進むと、自分たちが何であるかを強く意識する必要がある。つまり、自国のアイデンティティをしっかり持つことが重要である。語学力では間違いなく英語が話せる必要性が高まるが、同時に母国語が衰退することになれば、アイデンティティを失うことになりかねない。
日本は単一民族国家としては世界最大で、マーケットも大きく、経済は国内だけでもまわってきたが、今後は海外進出が盛んになり、真のグローバル化の波にしっかりと乗らなければならない。
私の経験では、講師が話された上記の内容はその通りだと理解できます。大学を卒業し企業勤めの中、海外勤務も経験しましたが、アイデンティティの重要性は感じました。それが無ければ外国人は私たちを認めてくれず、自らを自問自答しながら苦労した苦い経験があります。
憲法改正では、憲法は「国柄を示すもの」で自分たちの国はどういう国なのかを定義するものだ。国としての独自性である「ナショナルアイデンティティ」をしっかり表していなければならない。しかし、戦後の憲法が作られた背景から、敗戦国としての立場で制定された憲法は、外国の憲法を雛形にしているものの、戦前の日本が長らく培ってきた日本独自のアイデンティティが反映されていない。終戦時のポツダム体制からその後サンフランシスコ体制に替わり、戦後を脱却して新たに歩み始めた日本に対し、敗戦国としての立場を永久に押しつけられるとすれば、日本のナショナルアイデンティティを形成することはできない。その変わり目にさしかかり、議論が深まりつつあるのが現在の日本の姿である。
皇室典範の書き換えについては、グローバル化が進めば日本のアイデンティティの関わる問題として認識できる。天皇の国事行為では、内閣総理大臣は天皇から指名されなければその任につくことができない。大変重い責任を持っている。また、天皇の地位継承は能力原理でなく血統原理により進められてきた。この決定方法では、争いが起きることがない。創設以来、全て男子が継承しており、もし第一位継承者に男子がいない場合もしくは子どもがいない場合は、分家にその地位が引き継がれ、決まった方法で地位継承がなされるために争いは起きない。それがずっと守られてきた。
日本に老舗が多いのもこの皇室の存在が大きいと言われている。一般国民を巻き込むような大きな戦乱がなかったからである。
日本人の特性は、勤勉、誠実であり努力が報われてきた。これらは日本が外国に誇るもので、教育の中でもしっかり教えていく必要がある。
教育再生では、教育に大きな力を入れることは世界中でどこでも同じである。教育により国の将来が左右されるからである。我が国はグローバル人材の育成に重点を置いている。最近、静岡県の教育力低下が大きな問題になっているが、これを考えるときに、日本国内での位置付けよりも、グローバルな視点でどうなのかを考えていかねばならない。
教育委員会の在り方が問題になり、改革が求められている。この解決において首長の関わりどうなのか。教育に対する首長の権限を強めることは、首長の責任を明確にすることになり、教育再生で避けて通れない課題である。
「教育再生」とは、最近の言葉であり、従来の教育界の言葉ではない。国家戦略として認識され始めた最近出てきた言葉である。
アメリカはかつて日本との経済競争に負けたことがある。この原因分析で得た教訓は、教育を国家戦略に盛り込むことに至った。(「危機の立つ国家」著書から)
国が破れた原因は教育であり、教育の立て直しにより、国が再生できると。
その中で重要なことは、その国に帰属していることへの「自信と誇り」をどう教えていくかが大きな鍵となる。母国がどういう国なのかをしっかり教えていくためには、アイデンティティの確認が必要である。これは理想とする教育論につながると考える。