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鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

富士市最大の夏の祭典 富士まつり

2012年07月22日 | 日記

平成24年7月22日(日)

 富士市最大、全市民参加型の「富士まつり」が、富士市中央公園・中央公園前青葉通りを会場に、午前11時から午後9時頃まで、多くの市民が参加して開催されました。

 

(富士まつり開会式。幼稚園児によるオープニング)

 

(つけナポリタンのマスコット「ナポリン」)

 

(富士青年会議所が企画した紙で作られた「かぐや姫」)

 

(かぐや姫に飾られた子どもたちの夢を書い短冊) 

 お祭りの内容は、太鼓の共演、メインイベントの一つである「かぐや姫コンテスト決勝審査」、よさこい「あっぱれ富士」、模擬店、音楽パレードや市民総踊り(Fujiサンバ・富士ばやし)、御輿の練り歩き・木遣り・まとい・はしご乗り・竿灯など、そしてメインイベントである「かぐや姫絵巻パレード」、最後に花火大会と盛りだくさんの見応えあるイベントでした。

 

(よさこいグループの一つ「姫陣よしなが」の女性達)

 

 フィナーレを飾る花火大会は、昨年は会場を分けて日程も異なったため、市民からは不評だったようですが、今年は例年通り、お祭り会場での打ち上げとなり、厳しい経済状況ではありますが、「予想を超えたスポンサー」が集まり、会場の市民は見応えのある花火大会となりました。

 

 この全てに参加することは、時間的にも体力的にも不可能なので、恒例となった「かぐや姫絵巻パレード」だけに参加させていただきました。その他は、応援で時間を過ごしました。 

 かつて若かった頃(20年前)は、地元の第六天太鼓保存会という和太鼓グループに所属していましたので、午前の第一ステージの太鼓の共演を始め、最終の花火大会前まで、ほぼ太鼓をたたいて過ごしていた記憶があり、よく体力が持ったと改めて驚いています。

 

 また、「かぐや姫絵巻パレード」とは富士青年会議所(JC)の先輩達が15年以上前に立ち上げ、運営がJCから離れた後も、JCOBを柱とする組織が現在まで継続し、私も数年前に会長に就かせていただきました。

 このパレードは、地元に伝わる「竹取物語」を題材に、かぐや姫が成長する過程を、「誕生期」、「幼少期」、「求婚期」、「昇天期」に分け、パレードするものです。

 

(かぐや姫絵巻パレードの準備。山車の上には翁夫婦として市長夫妻も)

 

(山車の上にはかぐや姫が)

 

(私もこのような姿で参加しました)

 

 それぞれの期において、かぐや姫とそのまわりの関係者(翁や媼など)が乗る山車が4台、やかぐや姫の成長過程で関わる村の子どもや村人、国史、武者など、幼児から小学生中学生、高校生、大学生から社会人まで、多いときには400名のスタッフで構成された、準備する方も大変苦労したイベントです。詳しくは下記を参照して下さい。

 http://kaguyahime-emaki.com/index.html

 このパレードでは、市長や市議会議長、県議会議員や市議会議員も、翁や媼、国史や武士として参加しています。私もそのひとりとして、毎年参加させていただいています。

 なお、富士吉原ライオンズクラブの招きで、ベトナムからホームステイしている2名の女子学生も、初めての日本の着物を着て、「天女」役で山車に乗り、興奮していました。

 

(まつりのクライマックスは花火大会)

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夏まつり三昧 富士市東部地区

2012年07月21日 | 日記

平成24年7月21日(土)

 朝方からの雨模様も昼から上がり、各地で夏まつりを準備された関係者もほっと胸をなで下ろしていました。

 昨年は、東日本大震災被災地への配慮から、多くの地域で夏まつりが自粛されていたこともあり、今年はその分も考慮し、企画に準備に力が入っていたようです。

 そこに住む住民のみなさん、そこをふるさととして外に出ていった「元住民のみなさん」も、年に一度のこの機会に集まり、会場のいたるところで「笑顔」が満ちあふれていました。

 どの会場でも、主催者や来賓達があいさつの中で取り上げる話題は「絆」で、まつりの最大の効果と期待がこの一文字に集約されています。

 今日はあまり解説をせず、訪問させていただいた三カ所の会場の様子を写真でお伝えします。

 

<桑崎陽光台東町ふるさとまつり>

 富士市桑崎陽光台東町は、愛鷹山の西南山麓にある街です。開発されてから30年ほど経ち、当時移り住んだ現役世代の主役達も既に高齢者となりました。その子どもや孫達も、この場所を大切なふるさととして守っています。出身地も全国規模で、住民の皆さんと話していると、広範囲なお話が聞ける楽しみのある地域です。

 

(陽光台東町ふるさとまつり 会場全景)

 

(陽光台東町ふるさとまつり 主催者あいさつ)

 

<浮島春山まつり>

 富士市の最東部地区、その名の通り浮島と呼ばれた湿地帯が広がる地域で、地名は、境、西船津、船津があります。今は、きれいに整備された水田が広がっています。住民の皆さんの中には旧家も多く、いつも優しくもてなしていただける、心地よい地域です。

 

(浮島春山まつり 開会式の舞台)

 

(浮島春山まつり 会場全景)

 

<須津ふるさとまつり>

 根方街道沿いの中では比較的多くの住民が住み、旧市街地と新興住宅地が混在する地域です。町内会は19町内で、地名は中里、神谷、増川、江尾、川尻などがあります。

 富士市唯一の渓谷で、愛鷹山麓の中腹にある須津渓谷の入口にあたり、茶畑や水田がひろがる日本のふるさとを代表するような地域です。

 

(須津ふるさとまつり 開会式直前舞台)

 

(須津ふるさとまつり 会場全景)

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145年の歴史に幕 天王祭の御輿

2012年07月14日 | 日記

平成24年7月14日(土)

 「天王祭」(おてんのうさん)と呼ばれる、御輿で町内を練り歩くお祭りは、富士市内各地で開催されます。

 ここからは、私の町内の天王祭について説明します。

 地元の氏神様を守護神とするこのお祭りの主役は子どもたち。大人御輿がある地域もあると聞きますが、私の町内は子ども御輿だけ。昔から7月14日が祭典日とされてきましたが、主役が子どもだけに学校の休日(7月14日に一番近い土曜日)に開催されるようになりました。

 

(この御輿は今年が最後。神主さんに神事をお願いした)

 

(お祭りを盛り上げる第六天太鼓保存会のメンバーも神事に参加) 

 祭典時間は、午後3時から午後8時くらまでの長丁場でしたが、子どもの数が減って休憩時間を増やしたり、町内の軒数が増えて練り歩く距離が増え、ここ数年は午後9時過ぎまで掛かることもあります。これは大変な体力を必要とし、途中で大人が手助けする場面もあります。

 そんな地域一体のお祭りだからこそ、長年に渡り地域で大切に守られてきたと思うのです。

 祭りの準備は当番組といって、20近い「組」と称する10戸から30戸ほどの町内組が、毎年輪番制で担当していきます。御輿の整備から、祭典当日の運営全てを、そして翌日の片づけまでを担う、祭典が安全に進行できるための裏方で、この方々がいなければ祭りが実現できません。

 主役の子どもは、中学1年生から3年生までが御輿を担ぐことができます。かつては、男子のみに許されていましたが、少子化の現在、女子中学生も参加しなければ、御輿が動きません。

 小学5年生と6年生が「高張り」という長い竹竿の最上部に付けられた提灯を持ち、先導する役割を担います。小学4年生までは提灯を個々に持ち、御輿について廻ります。

 子どもの頃、小学4年生までは、提灯(自分の名前入り)を親に作ってもらうことが大きな楽しみでした。同時に、5年生になったら高張り提灯を持つこと、中学生になったら御輿を担ぐことにあこがれ、お祭りを通じて少しずつ成長していく自分を感じていました。当時の先輩達は、年下の子どもたちの面倒をよく見ていたので、下の子どもたちは先輩達に尊敬の念を抱いていました。そのころの想い出は、今でも忘れていません。

 祭典翌日、当番組の人たちが子どもたちを、カレーライスで慰労してくれたこと、それが一番の楽しみだったことなど、今考えれば地域で子どもが育てられていることを実感しました。

 

(145年間頑張ってきた御輿)

 

(このような激しい揺すり方がこの地区の天王祭流)

 

(トラックを山車に改装。太鼓や笛で祭りを盛り上げる) 

 御輿は、地域の名家から145年前に寄付をしていただいたもので、通常、御輿は「練り歩く」という表現が一般的ですが、私の所は「担ぐ」と表現し、上下・左右に激しく動かし、端から見ていると「乱暴に揺すっている」ように見えます。祭りの度に、「梶棒」という御輿から2本出ている担ぎ手が張り付く棒を、3本から5本くらい折ってしまうのがこの祭りの特徴で、この激しさ故に、御輿本体は何回ともなく修理され、使われてきました。さすがの樫の木でも傷みがひどく、よく145年も耐えてきたと感心していました。

 現在の御輿の状況は、専門家に見ていただいたところ、「そんなに長く持たないかもしれない」との助言もあり、新調することになりました。しかし、このような材料は手に入りにくく、また、このような立派な御輿を作る職人は見つからないということでした。神社や地域の役員が集まり、何回も議論した結果、「新調はするものの、同じような御輿の担ぎ方はできない」という結論に至り、145年続いたお祭りの形態が変わることとなり、今年がその祭り納めとなりました。

 

(夜になってさらに祭りの雰囲気は盛り上がる)

 

(この御輿もあとわずか) 

 来年からは新しい御輿で、新しい祭りに生まれ変わり、「天王祭」を続けていくことになります。

 先人達の意思をしっかり引き継ぎ、祭りに参加した子どもたちが大人になったときに、故郷の想い出に必ず残るお祭りを目指さなければならないと思います。

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凧揚げにお邪魔しました。

2012年01月22日 | 日記

平成24年1月22日(日)

<富士南地区三世代交流凧揚げ大会>

 寒風の吹く富士川河川敷で開催された、30年以上続く富士南地区ききょうの里凧揚げ大会は、三世代交流という冠がついたまさに地域全体が参加する行事でした。初めての訪問でしたが、役員をはじめ地域の皆様に親しく接していただき大変感謝しています。

 

 富士川河川敷は、今も毎年「紙飛行機大会」が開催されており、その立ち上げにかつて所属していた富士青年会議所が関わっていた縁で、何年もの間裏方としてお手伝いしてきた経緯があり、何回か来ているところです。市内にはこれほど広い敷地はどこにも見あたらなく、サッカー場や野球場が多く設置されており、スポーツ振興、スポーツ観光産業に期待がかかります。

 

 会場に着くだいぶ手前から多くの凧が揚がっているのがよく見え、凧揚げには絶好の天候であることがうかがえました。昨夜は雨だったので中止の可能性もあったと思いますが、地域の皆様の心がけが天に届いたのでしょう。相当な高度に揚がった凧は小さく見えていたましたが、会場に着いて地上に降りている凧を見せていただいたところ大きさは3mくらい。各地域を代表した凧は干支の辰をはじめ、いろいろな絵柄を楽しむことができました。そんな中、昨年の大震災復興を意識しているようで、「絆」の文字が多く使われていました。

 

 開会式では、市長をはじめ、県議会議員、地元市会議員が来賓として紹介されました。(写真は鈴木尚富士市長)

<元吉原地区凧揚げ大会>

 こちらは「交通安全大会」を主題に地域の安全・安心を願って凧揚げ大会が開催されました。先ほどの富士南地区凧揚げ会場からの移動で時間がかかり、少し遅刻。会場の隅で始まったばかりの開会式を見ていると、地域の役員さんのご配慮で、黄色い「交通安全」のたすきを付けていただき来賓席へ。何とかセーフ。

 

 開会式後は地元「柏原保育園」の園児による安全宣言。このくらいの年齢の子どもは何をやってもかわいい。

 会場は元吉原海岸で、地元の方にうかがったところ昨年の台風の影響により、例年と海岸の様子が変わっているとのこと。かつて砂利が多かったところへ良質な砂が波で運ばれ、子どもたちが走り回るのには好都合でした。しかし、凧揚げに重要な風は今ひとつ。

 会場内では顔見知りも多く、久しぶりにお会いしたこともあり、宿題をいっぱいいただきました。人の集まるところでは貴重な意見交換の場になります。

 今年は本当によい年でありますように。

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子どもエコクラブ「富士川っ子の会」のなめこ菌打ち体験を訪問

2012年01月15日 | 日記

平成24年1月15日(日)

 旧富士川町地域を活動エリアとする、子どもエコクラブ「NPO法人 富士川っ子の会」(紹介HPhttp://www.city.fuji.shizuoka.jp/hp/page000010500/hpg000010448.htm)(活動ブログ http://fujikawattuko.cocolog-nifty.com/blog/)の冬季事業である「なめこ菌打ち体験」を訪問しました。

 会場は富士川サービスエリアの西側山麓の中腹にあるエコクラブ専用農園。眼下には手前に富士川、富士市全体を臨み、駿河湾の向こうには伊豆半島が横たわる、絶景の場所。

 

 あいにくの曇り空ではありましたが、クラブを支える地域の農業や自然体験、子育ての達人達が子どもたちの到着まで、農園の整備や菌打ちの準備を急いでいました。枯れた葉っぱやツルを一カ所に集め、燃やして灰に。いい肥料となります。こんな風景で思いつくのが「焼き芋」でしたが残念ながら今回はなし。しばらくして、さっぱりとした畑は、暖かくなる頃、次の作植えの準備が整いました。

 

 やがて、麓から歩いて登ってきた子どもたちは、畑の一角に設けられた「なめこの菌打ち会場」に入り、エコクラブを支える別の市民団体の農業の達人達の指導により、用意された約1,500の菌打ちを短時間で完了。最初はたどたどしかった子どもも、後半は達人に。覚えの早いこと。早くも、収穫の時に期待がかかります。

 

 作業の合間に会長の柚木さん、副会長の吉田さん、助っ人の山口さんにお話を伺いました。それぞれ、子どもの教育、特に環境教育へのこだわり、組織の運営について、農業の専門知識など、それぞれの得意技を連携して運営するこのエコクラブのすばらしさを知ることができました。10年の年輪を感じます。

 私も幾いつかのエコクラブの創設や運営に携わってきましたが、ここのクラブの活動は他の見本となる優秀な、そして独自性のあるものだと感心しています。これからも機会ある毎に、参加して学ばせていただこうと思います。

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