鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

静岡県議会 2月定例会 代表質問はじまる

2013年02月27日 | 議会活動

平成25年2月27日(水)

 今日から2月議会の代表質問と一般質問が始まりました。

(静岡県議会 本館 議事堂正面玄関)

(本会議開催の案内)

(玄関正面にはいつもの富士山と茶畑の写真が掲げられている)

 注目は、知事野党自民改革会議と知事与党ふじのくに民主党による、川勝知事の任期4年間を振り返ってのそれぞれの評価に対する論戦です。

 両会派が直接対決するのではなく、それぞれの評価を知事に示し政治姿勢や感想を求めるもので、立場の違いがその評価結果に大きく表れています。

 身内は甘く、外部は厳しいというのは当然のことです。端的に評価を数字で表すのであれば、100点満点中自民は40点、民主は95点です。

 私の所属する自民改革会議はマニュフェスト検証チームを立ち上げ、時間をかけて検証してきました。評価の詳細は当局に提出し、記者会見で公にしており県民向け配付資料も用意してありますが、ここでは省略します。(希望される方は県議会自民改革会議の事務局に申し出下さい。)

 基本的な評価方法は、4年前に知事が選挙公約したマニュフェストの達成度を数値化したものです。一般的に、どの政治家も選挙時の公約は次回選挙の時に有権者との約束の達成度としてその結果が評価されます。特に当事者以外が、できれば公平な第三者機関などが評価することが望ましいと思います。しかし、我々議会は与党・野党に関係なく知事と対峙し、監視する立場ですから当然評価をすべき責任があります。

 知事の答弁では、選挙時のマニュフェストは県の総合計画にほぼ置き換えて実現あるいは取り組んできたと言っています。その結果、達成度は95%というようなニュアンスなのですが、総合計画の進捗状況は、「ふじのくに白書」という形で外部評価されていて、その中では知事の言うような評価には到っていません。

 我々の認識では外部評価はやっと50点を超えたという捉え方をしています。またその結果、自民の評価40点、外部評価50数点と大きな開きがあるとは思えず、いわゆる評価の幅の範囲に収まっていると理解しています。

 我々のこだわりは、選挙中の知事の発言にも注目しています。それは「4年で達成できないものは8年でもできない」です。候補者が自らをこのような厳しい状況に追い込み、その決意を表明したことに敬意を表しますが、当然、4年後にはその言葉の重みが検証されてしかるべきと考えます。

 県民の前で始めた知事の4年間の実績に関する検証の論戦は始まったばかりです。残念ながら、それぞれがかみ合った状況での論戦ではありませんが、客観的な第三者の評価も参考にしながら、県民の理解が得られる結果を求めていきたいと思います。

 

 話題は変わりますが、県議会議事堂の通路や会議室の壁面が県内産木材でリニューアルしました。私も2年前の9月議会、昨年の12月議会で県産材の利用について当局を糾してきました。特に12月議会では公共施設における県産材利用を奨めてきた立場から歓迎の事業です。

(議事堂内、通路の県産材によるリニューアル)

(富士桧の表示)

 我が会派の周辺に富士桧が使われていることに感謝します。

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親子でつくる親守詩

2013年02月25日 | 議会活動

平成25年2月25日(月)

「親守詩」を聞いたことがあるでしょうか。

 先日、焼津市立吉田小学校の6年生国語の授業で初めて触れてきました。効果としては国語の授業の枠にとらわれない、親子の絆や想いを詩で共鳴し合うもので、授業参観している私たちも感銘しました。

(会場となった焼津市立豊田小学校の正門前で)

 この授業参観のきっかけは、静岡県議会自民改革会議が主催する「親学推進議員連盟」立ち上げ後、「親学とは何か」その取り組みの具体例を視察しようと、小学校の協力と理解を得て、年間予定の学校公開日に外部から参加したものです。

(まずは学校紹介資料から)

(親守詩を紹介した資料)

 参加者は、議連所属役員議員7名と中野焼津市長、県教育委員会などで、最初に校長先生をはじめ学校管理者との懇談がありました。学校側も初めての試みということで、大変興味を示していました。

 授業は45分間で、担任の先生の指導方法は、私たちも知らないうちに授業に引き込まれてしまうほどすばらしいものでした。

 最初は、「家の人に感謝の気持ちを表現しよう」と題し、やっとの思いで授かった子どもを阪神淡路大震災で失った母親の心理が紹介され、親子の愛情を感じ取りました。そしてその情景は特別なものではなく、どの親でもこのような事態になればとるべき行動が同じであろうという認識で一致しました。その共通の感情を得て親守詩の原型となる、俳句と短歌について学びました。既にその構造や違いについては学んでいたようで、ためらいもなく進んでいきました。最初は古典的な例題で説明を受けていましたが、テレビコマーシャルなどの事例から、俳句や短歌の原点である「七五調」が今も脈々と引用されていることで文化の継承や発展を感じ取りました。

(担任の先生のテクニックは素晴らしかった)

 俳句と短歌の次は連歌について、上句と下句を別々の人が作った歌をつなげて一つの歌にします。この連歌の上句と下句をそれぞれ親子で歌うのが親守詩となります。

(親守詩のコンテスト静岡県大会がこの夏計画されている)

 授業参観に訪れた保護者が子どもと一緒に親守詩に挑戦し、初めてのことで不慣れさはあったものの、親への感謝の意気持ちと子どもを慈しむ親の気持ちは簡素ではありましたが、ほほえましく感じました。

 少し残念だったのは、父親を詠む詩が無かったことではありますが、子ども達にとっていつも身近にいる母親の存在は絶大なのかもしれません。しかし、父親から子どもに親守詩を持ちかけたら、どんな詩を返してくれるのか、興味津々です。

 自分の子どもは既に成長し、彼らの子育てを妻に任せっきりだった駄目な父親ではありますが、親学を学び直して襟を正していきたいと思います。

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フィリピン レイテ島戦没者慰霊祭から学ぶこと

2013年02月07日 | 議会活動

平成25年2月6日(水)

 静岡県議会「英霊に応える議員連盟」の一員として、フィリピンにあるレイテ島で開催された「静岡県慰霊碑」慰霊祭に、参加させていただきました。同行者は県議会議員の他に各地市議、神道政治連盟、遺族会の皆様です。マニラから飛行機で日帰りの強行軍でした。

(マニラから1時間15分でレイテ島に到着)

(飛行機はタラップで乗り降り。小さな待合室の空港)

 

 レイテ島は、フィリピン中部、ビサヤ諸島に位置する島で、人口は約190万人、南北180km、東西は広いところで65kmと南北に長い島です。

 レイテ湾とその周辺海域は、太平洋戦争中に、世界海戦史上最大の激戦となったレイテ沖海戦の舞台として有名なところです。

 マッカーサー元帥率いるアメリカ軍部隊は、1944年10月20日レイテ湾に上陸、ここからフィリッピン奪回の第一歩を記しました。その後、フィリッピンにおける決戦・レイテ島の戦いが全島を戦場として起こりましたが、日本軍は物資補給・兵員補給の輸送船が途中で沈められ、補給を断たれた8万人以上の兵士が、戦死や病死・餓死で、ほぼ全滅するという惨敗を喫した場所でもあります。

(マッカーサー元帥が上陸した地点付近の海域)

 生き残りはわずか3%ともいわれ、多くの島民が日本軍とのゲリラ戦に参加し、戦闘の巻き添えで一般人も犠牲となりました。

 

 静岡県議会「英霊に応える議員連盟」では、2006年1月にレイテ島ブラウエンに、静岡県慰霊碑「平和之碑」(石川嘉延前知事筆耕)を建立し、以後継続して参拝活動を行ってきました。昨年は同敷地内の本県慰霊碑の配置替え、環境整備工事を実施しました。

 今回は、昨年6月の竣工確認を兼ねた慰霊碑参拝に続き、遺族会との合同慰霊祭を実施しました。

(空港から車で約1時間、平和之碑は山の麓にある) 

(椰子の木とバナナの木、水田が広がる)

(川縁まで椰子の木が生い茂る。映画のシーンにもありそうな風景)

 慰霊碑が建つ場所には、大阪府の碑もあったそうですが、祀る人がいなくなったのか、現在は碑が見当たりません。この場所は全て静岡県関係で利用させていただいています。

(平和之碑を正面から)

(平和之碑を背面から)

 土地の所有者は沖縄出身の仲村秀子さん。アメリカ人のご主人と結婚され、この地にやってきました。もう90歳を超えているのではないかと思われますが、車いすに腰掛けながら遠方から訪れた私たちを優しく受け止めてくれました。もう病院通いが日課とかで、ご自宅まで出向き少しの間お話をさせていただきました。周辺の掃除もやっていただいているようで、頭の下がる思いです。

(仲村秀子さんと)

(碑の建立に協力していただいたことへの感謝の証)

(仲村宅を私たちが訪問すると、多くの子どもが集まってきた)

 式中、真夏の太陽に真冬の日本から来た私たちにとっては過酷なものでした。しかし、この地で多くの日本人が戦争で亡くなったことを思うと、そんなことは言っていられません。

 慰霊祭は神式で進められ、その中での献水は富士山頂の湧水「欽明水・銀明水」が捧げられました。今年は富士山が世界文化遺産に登録されるかどうかの節目の年。この願いを富士山が見えるところで生まれ育ち、戦地で尊い命を捧げた戦没者達に届き叶うことを祈るばかりです。

(式典の準備)

 この式典で一番の印象に残ったことは、高齢の男性によるハーモニカ演奏で、全員で「ふるさと」と「里の秋」を合唱したことでした。この激戦の地の悲惨さは歴史の文献を読んだり、人から聞くことしかありませんでした。この2曲は決して珍しい歌ではありませんし、むしろよく歌うものでしょう。しかし、通常は1番のみで3番まで歌うことは決して多くないでしょう。しかも、その歌の意味をしっかりと受け止めることなどあまりないかもしれません。

 この歌は、生まれ故郷を想い出しながら、遠方に出征した息子が故郷の父母を思う気持ちと、遠方に出征した父のことを、留守を守る母子が無事を祈って歌うものと受け止めました。この歌に込められた家族親子の愛を感じたとき、全員が涙を流しながら歌っていた姿は、生涯忘れることができません。この様子を見ていた地元のフィリピン国民はどう感じたでしょうか。

 遺族の皆様のお気持ちをしっかり受け止めて、県民のために使命を果たそうと誓った一瞬でした。尊い命を捧げた英霊の皆様にも恩返しをするために。

(全員で泣いた「ふるさと」と「里の秋」の合唱)

(「おとうさんやっと来られました」現地の土を持ち帰る遺族)

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柑橘議連 愛媛県松山市 視察報告

2013年02月05日 | 議会活動

 先週、県議会柑橘議員連盟の有志で愛媛県を訪問しました。

 かつては静岡県が生産量日本一と思っていましたが、生産量ばかりでなく種類の多さは愛媛県が一番。まさに柑橘類の本場である愛媛県から学ぶものがあるはずだという思いから三カ所を訪問し、お話を聞いてきましたので報告します。

 

<視察先1:第35回えひめみかん祭り>

 「愛あるかんきつ 心いっぱい!愛顔いっぱい!」をテーマに開催さる。愛媛県オリジナルである「紅まどんな」や「甘平」、「ひめのつき」などをはじめ、約18種類の柑橘類の品評会や生産者による対面販売を実施し、柑橘に関わる様々なイベントを通じて消費拡大を図る。

主催者は、愛媛県、JA全農えひめ、愛媛県果樹研究同志会、愛媛県女性果樹同志会、愛媛県新聞社となっている。

(参加者全員で記念撮影)

  

(愛媛の柑橘類の多さに驚嘆)

 会場は、デパートと併設された特設会場である「スカイドーム」で、一般の買い物客による相乗効果もあってか、かなりにぎわっていた。試食などを通して好みの農産品を選び、購入される客も多かった。

 会場で見られた柑橘類は以下の通りである。

 紅まどんな、甘平、ひめのつき、温州みかん、はれひめ、デコポン、いよかん、ポンカン、天草、はるみ、せとか、八朔、甘夏、はるか、清見、カラ、河内晩柑、レモンなどである。

 

(農林大臣賞を受賞した産品)

(子供向けみかん皮むき競争)

 

 

(会場の様子)

 

<視察先2:えひめ中央農協北条選果場>

 えひめ中央農協北条選果場は、平成11年の4月に12のJAが合併し、JAえひめ中央として発足した後、平成14年12月に落成した施設である。

 選果場は、北条選果場の他、松山選果場、堀江選果場、中島選果場と伊予選果場がある。この中で北条選果場は最大かつ最新の機器が導入されている。しかし設置後10年を経過し、途中での機器更新や増築などは行われていない。

(選果場の看板)

     

(場長と参加者全員で)

 

 平成13年度の農業生産振興施設整備事業として、建物・設備取得費の総経費は21億3千万円余で50%の国庫補助を受けている。

 事業内容は集出荷施設であり、構造は鉄骨造一部3階建て、延べ床面積は13,330㎡となっている。選果機は光センサー式選果設備で240t/日の能力がある。1階は事務所・荷受け及び滞荷場・出荷場で、2階は選果施設と休憩室、3階は段ボール滞荷場となっている。

(久保場長から概要説明を受ける)

(出荷口の様子)

 

 常駐職員が7名で、非常勤のパートなどが70名余りで作業されていた。

 訪問したときの出荷量は100t/日である。30キロ詰めの段ボール換算で最大17,000ケースの出荷が行われている。

 取扱品目は、12月は温州みかん、1月は伊予甘、2月は伊予甘と八朔などを取り扱うそうである。扱い品目も時代とともに変化し、当初は温州みかんで始まり、その後、伊予甘、紅マドンナ、デコポン、せとか、マンダリンへ移っていったそうである。

 ここでは味センサーを導入し、等級の評価と選別を行っている。

 余談であるが、説明いただいた久保場長は20年以上前にかつての静岡県柑橘試験場で学んだことがあると伺った。

 

(選果場の内部)   

(糖度検査を行っている)

 

<視察先3:(株)えひめ飲料松山工場 バイオエタノール製造実証プラント>

 (株)えひめ飲料は「ポンジュース」を登録商標とする飲料メーカーで、元の経営母体は愛媛県青果販売農業協同組合連合(現在の愛媛県農業協同組合連合会)である。農協設立は昭和23年10月で、昭和27年12月から既にポンジュースは製造されていた。この歴史はポンジュースを不動のものとしている。

 愛媛県では、平成16年6月に策定した「えひめバイオマス利活用マスタープラン」の主要施策として、地産地消による先導的なバイオ燃料の製造・利活用を推進する「えひめバイオマスエネルギープロジェクト」を展開しており、今回視察した施設は、愛媛県が提案したバイオエタノール製造の事業化モデルを元に、環境省地球温暖化対策技術開発事業「みかん搾汁残さを原料としたバイオエタノール効率的製造技術開発研究」の実証プラントとして製作されたものである。建設費は全額環境省が負担し、約13億5千万円かかっている。脱汁液100kL/日からエタノール5kLを製造することができる。

(ポンジュースの看板)

(ポンジュースブランド製品)

 工場内はエアーシャワーがついたクリーンルームとなっており、見学者も白衣と帽子をかぶり所定の手続きの後、入室が許可される。中ではペットボトルやテトラパックに充填されたポンジュースが、人が歩く速さよりも早く箱詰めにされる。愛媛県産の柑橘類を長年の研究成果を元に、消費者のニーズにあった味に仕上げるために調整を諮りながら、100%あるいは濃縮果汁として市場に発送されていく。農業の6次産業化の最先端を見た気がする。

 

(愛媛飲料の工場長と幹部)

(愛媛県環境政策課課長ほか職員)

 果汁の搾り残さは、脱汁液と脱汁残さに分けられ、脱汁残さは香料、飼料となる。脱汁液はバイオエタノール製造実証プラントに送られ、蒸留されて90%エタノールへ、またさらにそれを脱水して99.5%エタノールが生成される。蒸留廃液は液肥となる。

 90%エタノールは、工場内のボイラー燃料として使われ、99.5%エタノールはガソリンの代替え燃料となる。しかし、バイオエタノールを市場で使うためには石油連盟の理解と協力が必要であるがそこまでに到っていない。また、製造コストが260円/L(廃液処理費を含む)、200円/L(廃液処理費を含まない)とガソリンの代替え燃料にしては高すぎてしまう。市場に普及させるためには製造コストを初め、関係団体の壁など課題が多い。ただ、今回の実証プラントは製造メーカーにとって大変重要な設備開発の後ろ盾になったことは間違いない。

 

(バイオエタノール製造実証プラント)

(エタノールで運転するボイラー)

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