鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

イタリア企業視察

2015年08月31日 | 議会活動

平成27年8月31日

 昨日に引き続き、ミラノ万博以外の視察について報告します。視察を受け入れてくださった3つの企業は、ボローニャで創立されたスポーツ関連企業の世界戦略、ブドウ農家がつくるワインと食の合体した経営、青い筋の入った日本でも有名なチーズ、ゴルゴンゾーラを製造する企業でした。

 

 まず最初に、スポーツ関連企業のMacron(マクロン)の本社と工場を視察しました。ミラノから車で約3時間の距離にある、Bologna(ボローニャ)にあるスポーツ用品を企画製造する企業です。   参考  http://www.macron.com/en/

(MACRON本社)


(訪問団と海外担当マネージャー。)


 説明いただいたのは、海外担当マネージャーの、NICOLA CLERICO氏。1971年に創業し、今はメジャーとなった大手スポーツ用品メーカーの下請けとして、高品質のスポーツウェアを製造していました。しかし、縫製は製造コストの安い中国等に流れこのまま事業を続けていくことに疑問を感じ、高品質の製品を作る技術を生かし、オリジナルブランドを立ち上げ、付加価値を高めて企業としての存在感を広げています。特に、スポーツごとに特化した、technical sportswear(専用のスポーツウェア)に力を入れていきました。会社の成長率はこの頃(2004年)から2011年までは、前年比平均20%、多い年は38%に達した時もあったそうです。売り上げのうち、チームウェアが54%、企画製品が44%、レジャーウェアが2%となっており、出荷先は、イタリア国内が37%、イタリア以外のEU圏が56%、その他が7%となっています。アジアと南米には本格的な進出はしていませんが、日本では一部で購入できるそうです。直販店方式なので各メーカー製品を取り扱うスポーツ店などでは、購入することが難しそうです。独自の販売ルートと販売方式が商品価値を上げているのかもしれません。さらに、今後は中国での販売に力を入れていくそうです。

(製品のラインアップ)


 創業当時は野球ウェアから始まったそうですが、現在の主力はサッカーが全体の75%を締め、その他、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、野球、ランニング、ハンドボールなどが続きます。サッカーは特にEU圏では大変人気があり強豪チームが存在するだけに、そのスポンサーにもなったり、メーカーのロゴがスポーツ選手の胸に輝くことで、それを模した一般向けのスポーツウェアへの販売効果は大きなものがあります。

(macronがスポンサーとなっている、ボローニャFC。)


 この他、既存のサッカースタジアムのネーミングライツを購入し、macron stadiumとして企業イメージを高めています。

(macron stadium)


 200名あまりの中小企業ではありますが、ものづくりの技術を生かし、下請けの宿命である製造コストの安い国へ仕事が流れていく危機感を乗り越え、企画から製造、市場開拓などを独自の視線で実現してきた企業は、大手とは違う手法で確実に生き残っていることを知らされました。デザイン性は元々イタリアに大きな評価があります。メイドイン イタリアは、国の大きなブランドであることに改めて気付かされました。

 我が日本も品質では世界を凌駕しています。中小企業があえいでいる現状は、イタリアも日本も同じです。どんな戦略で生き残っていくか、大変刺激的な視察をさせていただきました。

 

 次に訪れたのは、こだわりのブドウ作りとワイナリー、地場の食材を生かしたレストラン、リゾートを経営する起業家を訪問しました。オーナーは、Enriko Crola氏です。

参考  http://www.cantinecrola.it/index.php/eng?p=1291567664

 

(立っている人がオーナーのエンリコ氏。)

 イタリアといえば、ワインとチーズ、パスタとピザなど共通したイメージが思い浮かぶでしょう。その一つ一つにこだわりと本物が放つ光は、今までの既成概念が大きく変わります。そんな丁寧に、地場の素材を生かし、その全てがそろってハーモニーとなった時の食は、芸術と思えるそんな視察でした。

(丹精込めたブドウから、こだわりのワインを作り出している。)


(チーズフォンデュ。チーズや野菜は地場の選りすぐったもの。)


 作る側がこだわりを持つのであれば、食べる側もこだわりを持って食を選ぶ。こんな関係が食の新しい発見です。和食も世界的ブームになりつつありますが、「もどき」が多く、和食を正しく理解されていないという危機感について、先日のミラノ万博のブログで触れました。イタリア料理も日本で食べる味は、日本人の口に合わせて作られると聞きます。和食もその国の国民にあったもので味が変わっていくのかもしれません。しかし、それを和食と呼んで良いのだろうか。日本人の一人として、本物の和食を是非味わっていただき、普及してほしいと思います。そのためには、味わう前の料理方法や素材についてのこだわりを理解することの普及を積極的に推進することが重要で、ミラノ万博の開催意義を会場の外で実感しました。

 

 最後に、チーズ(ゴルゴンゾーラ)づくりで世界的に名の知れたIGOR(イゴール)社の本社と工場を視察しました。 参考 http://www.igornovara.it/storia.php

 会社はミラノ空港からほど近いところにあり、工場は近代的な設備を導入し、1個12kgのゴルゴンゾーラを1日に4,000個出荷することができます。1935年に創業してから現在まで三代にわたるレオナルディー家は当初は手作業でチーズを作り、貴族をはじめ多くの人々に愛されてきました。以来、その品質は時間を経ても変わるものではなく、食の伝統文化を支えてきました。

(IGORの本社工場。)


(訪問団一行。)


 今回私たちを受け入れ説明いただいたのは、Expart ManagerのPAOLO LEONARDI氏と、CEOのFABIO LEONARDI氏(創業家)です。

(中央の女性がCEOのレオナルディー氏。創業家でもある。)


 製造工程は完全自動化されており、全てコンピューターで安全管理、品質管理が行われています。原料である牛乳の搬入から人が直接触れることはありません。牛乳がタンクに投入される前には、サンプルを取り出し生体検査が行われます。これは、衛生検査だけでなく成分等品質検査も同時に行われます。問題がなければ、適切な温度管理がされた牛乳槽の中を適度に撹拌されながら液体から豆腐のような反固形のチーズが生成されていきます。さらに水分が取り除かれ、丸いチーズができあがり、塩をまぶし、カビなども添加され、冷蔵庫に保管されていきます。適切な時期を待って青カビがしっかり定着した時点で梱包されたゴルゴンゾーラは、国内外に出荷されていきます。人が触れることができるのは塩をまぶす工程からです。

(見事なゴルゴンゾーラ。)


 その国の伝統的な食品は、先進的な製造技術が導入されても、食品としての基本が変わるものではありません。それを、守り続けている人々の誇りと自信を関係者から感じ取ることができました。

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ミラノ万博と現地企業視察

2015年08月30日 | 議会活動

平成27年8月30日

 食をテーマに開催されているミラノ万博とボローニャで創立されたスポーツ関連企業の世界戦略、ワイン醸造所が手がけるワインと食の合体した経営、青い筋の入った日本でも有名なチーズ、ゴルゴンゾーラを製造する企業の視察に行って来ました。

 中東ドバイ経由で、行き帰りに移動だけでも24時間を超え、実質現地は3日というハードスケジュールでした。万博に1日、スポーツ関連企業はミラノから車で片道3時間掛かることから1日、その他企業訪問で1日、合間にミラノ市内にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世、ドゥオーモ、スフォルツェスコ城などの史跡を足早に見て回り、あっという間の時間が過ぎてしまいました。


 今回の視察の目的は、食に関する世界情報発信拠点としてのミラノ万博において、日本一の農業生産品目数を誇る静岡県がこの期間に集中的に「静岡県フェア」を開催し、県内産のお茶や海産物、日本酒のPRを集中的に開催する日程に合わせ、視察したものです。日本食の中で本県の魅力を世界に発信する良い機会であったことは間違いありません。この期間中には、難波静岡県副知事、田辺静岡市長など県内自治体の行政関係者や産地を代表する市民団体、日本文化を特に県内の郷土芸能などを発信する訪問団が日本館の特別ブースでPR活動を行っていました。

(日本館特別ブースにて。4名の県議で訪問しました。)

 私たちが訪問した時間には、田辺静岡市長が自ら県内産日本茶の来訪者にサーブを行い、藤枝市の職員や市民団体も、県内特産酵母と日本酒米で醸造した日本酒を数種類持ち込み、駿河湾産のちりめんじゃこをおつまみに提供。多くの外国人が日本の味、静岡の味を堪能していました。舞台上では、神楽や茶席を披露、日本の味と共に日本文化を発信していました。

(特別ブースでは、静岡県が紹介されていた。静岡のお茶紹介。)


(中央の緑色の法被を着て日本茶を振る舞う、田辺静岡市長)


(藤枝市職員も、静岡特産の日本酒とちりめんじゃこ、トマトを紹介。)


 通訳の方にイタリア人の日本食への評価を聞いたところ、女性は多くが関心を持ち感激していたようですが、男性は「それほどでも」という感想を頂きました。男女で関心の度合いが違うことは当然あるでしょう。また、日本食ブームは世界的に広がっており、各地で日本食を口にする機会が多くなりました。しかし、名前だけ日本食でも日本食をつくる技術が無いまま、「もどき」で提供される機会の方が多く、間違った日本食の認識を持つことへの危機感が感じられます。今回の万博では、そのような日本食への疑念が払拭され、本物を食す機会に触れることにより、真の日本食ブームが訪れるかもしれません。

 今回の視察を前に、日本の食材の欧州への輸出に関し、安全基準であるとか様々な規制が明らかになっています。例えば海産物の燻製などもその対象になりました。万博向けに特別な配慮がなされたようですが、静岡県の特産品が日本食の基本となるものが多く、その恒久的な対策は国への働きかけなど新たに取り組まねばなりません。

 ミラノはイタリアの北部にある大都市ですが、一般的にイタリアと言えば、スパゲッティやピザなどの小麦製品を思い浮かべます。しかし、ミラノでは元々稲作が農業として定着していて、米を食する文化もあるとのことでした。


 改めて、ミラノ万博全体と大変お世話になった日本館の紹介に触れておきます。

(日本館応接室にて対応いただいた、館長であり政府副代表の小林様。中央のスーツ姿。)

 

(訪問記念として記帳させていただいた。


 2015年ミラノ国際博覧会(EXPO MILANO 2015)は、本年5月1日から、10月31日まで開催されています。開催地はイタリア北部、ミラノ市内。開催テーマは、“Feeding the planet, Energy for Life”(地球に食料を、生命にエネルギーを)で、食と栄養に関するあらゆる展示や、世界の食を体感できます。博覧会のコンセプトを表している展示場が、パビリオン・ゼロと呼ばれ、自然と食、歴史を学びます。ブースの中で関心を集めていたのは、廃棄される食糧についての問題提起でした。

(パビリオン ゼロ。万博のコンセプトが展示されていた。)


(開催国イタリア館とモニュメント。)


(気温44度の日もあったとか。このメインロードの下は日陰で涼しい。)


 パビリオンは集成材を利用した木造の建物が目につきました。日本館も法隆寺に代表されるような伝統的工法で、継ぎ手・仕口といった釘を使わない木同士の「めり込み作用」を用いた立体木格子による構造です。これは、粘り強く耐震性に優れた構造体です。日本の伝統文化と先端技術の融合による革新的な手法をアピールしていました。

(伝統技術の木組み格子による壁面。酒樽には全国都道府県名が表示。)


(人気の日本館は2時間待ち。)


 日本館の入り口には全国都道府県の名前を書き入れた日本酒の酒樽の壁があり、それを囲むように配置された先に触れた木組みの壁が、他国にはない日本のすばらしさをアピールしています。出展テーマは、「共存する多様性」。メインメッセージは、日本の農林水産業や食を取り巻く様々な取り組み、「日本食」や「日本食文化」に詰め込まれた様々な知恵や技が、人類共通の課題解決に貢献するとともに、多様で持続可能な未来の共生社会を切り拓くとしています。サブメッセージとして、「いただきます。もったいない、おすそわけの日本精神が世界を救う」でした。

 展示は映像と音楽による立体的な手法や、和食の食材の豊富さを解りやすく展示するなど、また、仮想体験などを通じて、日本食や日本文化の深さを伝えていました。博覧会に出展したパビリオンの中ではトップクラスの人気と言うことで、視察の中でその評価がしっかり伝わってきます。日本が世界に発信している、「COOL JAPAN」(カッコいい日本)の得意な分野が、ここにも生かされていました。

(立体映像と音楽が日本の四季と農業、文化を伝える。)


(和食が見学者の方に映像で流れてくる。それをたぐり寄せるしぐさで

 自らの前に料理が集まってくるという仕掛け)


(和食の素材を紹介する展示。)


(仮想レストラン。テーブル席に座り、注文した料理が映像で現れる。

 自らが箸を使い、その映像から料理を食べているような錯覚を得ることができる。)


 スポンサーには、食に関する日本のトップ企業とJA等が名を連ね、食の祭典らしさを感じます。

 今回の博覧会視察に関し、日本館の館長で政府副代表の小林浩人様、日本貿易振興機構(ジェトロ)静岡貿易情報センターの臼井一雄様には、いずれも現地で大変お世話になり、限られた時間の中で得るものが多い視察となった事を心から感謝しています。

 この視察を通し、日本食のすばらしさを改めてかみしめ、その素材を供給する農林水産業が国内外で発展できるよう、政策面でしっかりと応援していきたいと思います。

 現地企業視察については、改めて後日報告する予定です。

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恩師 渡邉勝氏との別れ

2015年08月29日 | 議会活動

平成27年8月29日

 昨日までの約1週間、ミラノ万博へ行っていましたので、ブログはお休みとさせていただきました。中東ドバイ経由で、行き帰りに移動だけでも24時間を超え、実質現地は3日というハードスケジュールでした。なお、この視察については、近日報告させていただきます。

 さて、処暑を迎えた今月23日、私の政治の恩師である元富士市議会議員の渡邉勝氏が逝去されました。その知らせを知ったのは14時頃。亡くなってまもなくのことでした。既にこの日は夜からミラノに向け旅立つ直前であったため、とりあえず、自宅へ慰問に出向き、ご家族の皆様、特に奥様に弔いのご挨拶をさせていただきました。

 渡邉勝氏は、市議6期24年間を務め、富士市議会議長も歴任されています。彼との出会いは、平成9年頃に遡り、当時、私は一市民として一般・産業併用廃棄物の最終処分場が富士山麓に新たに設置される計画に疑問を感じ、施設の安全性や地下水の水質汚濁等に関して住民勉強会を開催したり、設置者である富士市に疑問を投げかけるなど、住民運動に参加している頃でした。

 当時は、かつてのような過激な環境運動とは異なり、話し合いで情報公開を求め、議論しながら問題解決していこうという姿勢で臨んでいましたが、同時に、政治の世界とは無縁の立場で行政に関わっていくことの難しさを痛感していた時でもありました。

 彼は、当時既に市議会議員で、「山を守る」「水を守る」という政治信条で政治に関わっていた議会内では唯一の環境派議員でした。保守系に所属し、これも当時ですが、珍しい存在であったかもしれません。

 そんな彼が、市内で孤軍奮闘している奴がいると聞きつけたらしく、自宅まで駆けつけ様々な相談に乗ってくれました。親子ほどの年齢差はありましたが、私の思いをしっかり受け止めていただき、行政への働きかけや情報提供、知識人の紹介など、行き詰まりかけていた私にとっては、大変ありがたい存在が現れました。

 やがて、平成11年の統一地方選挙間近になり、私の周囲では政治家になって今の地域課題に取り組むことが地域のためになるという意見が出始め、同級生などが支えとなって市議選に初出馬し当選を果たすことができました。渡邉勝氏も市議四期目への挑戦中でしたが、彼の周囲にも私への期待と支援の輪を広げていただき、それも大きな追い風になったことは間違いないと思います。

 在任中は同じ会派に属し、政治の現場で様々なご指導をいただき、今の私の政治家としての礎を支えていただいた恩師でもあります。歯に衣着せない表現、住民目線の取り組みなど、行政とも住民とも本音で議論しあえる方でした。私に対しては、これと言って厳しい言葉をぶつけることはありませんでしたが、中身の濃さと、本音、わかりやすさで説いていただくことばかりでした。各地の会合などに同席し、彼の挨拶を聞くと、住民の皆様だけでなく私自身も大変参考になることが多かったように記憶しています。

 一期目の最終年度を迎えた頃、市議としての活動を県政に広げたらどうか、私が取り組む課題が県政の範疇に及ぶものが多く、そのために県議選への挑戦を促していただいたのも渡邉勝氏でした。しかし、思いはあっても、選挙は甘くありません。ましては、市議選の何倍もの得票により当選が果たせることになり、それを支える体制、戦法も十分備えることができないまま、次点ながら2,000票という大差で落選の辛酸をなめることになりました。

 選挙の結果は、全てを謙虚に受け入れることが当然で、その責任は全て候補者にあります。渡邉勝氏は、亡くなるまであの時のつらい思いを私や私の家族と同じように共有し続けていたようです。奥様には、県議選へ推薦し結果が出なかったことへの責任を感じていたと話していたそうです。改めて、私の不覚、親不孝を痛感しました。

 以来、浪人中の私ども夫婦は、渡邉勝氏ご夫妻から子どものようにかわいがっていただき、支えていただきました。普段の生活の中では、奥様の方が前面に出て、勝氏が少し控えめな、あまり政治を意識しない関係が続きました。私自身は、落選後すぐに、捲土重来、再起を目指し宣言していましたので、政治を見据え再稼働できました。しかし、私の家族は正直なところ、立ち直るには少し時間が掛かったようにも思えます。その大事な時期に、何気なく寄り添ってくれたのは、奥様でした。

 再起をかけた2回目の挑戦。これもなんと次点でその差51票。前回と差は縮まったとはいえ、負けは負けです。私は不思議なくらい再々挑戦を目指す気持ちが高まり、家族とも相談してラストチャンスの思いで原点に立ち返り、こつこつと支援者づくりから取り組みました。家族も、最初の困難を経験したこと、周囲に支えられたこと、特に渡邉勝氏ご夫妻に支えられたことで、一回り逆境に強くなれたようにも思えます。

 おかげさまで、3回目にしてようやく初当選。この時の渡邉勝氏の喜びは格別なものだったと思います。できの悪い息子ではあるがよく頑張ったと受け止めてくれたと思います。

 しかし、勝氏は、私が当選するのと入れ替えに市議を引退し、次世代に託されました。県市議会の違いはあっても、同じ議員同士で連携して地元のために頑張ろうと思っていたのですがその思いは果たせませんでした。彼の後継者も市議に初当選し、彼の思いを引き継いだということで、その後の4年間一緒に仕事をさせていただいたことは、少し恩返しができたと感じています。

 私は、今年の統一地方選挙で県議二期目の当選を果たし、勝氏には大変喜んでいただきましたが、既に病魔は彼の身体をむしばんでいました。この8月のお盆前に訪問した時は、少し疲れ気味には見えましたが逼迫したようには思えませんでした。ご家族の皆様も同様で、発覚したのはその数日後でした。

 知り合ってから、18年、渡邉勝氏は私にとって政治の父でした。かっこつけず、肩の力を抜いていたからこそ、本音の政治ができたように思えます。彼が私に教え、残してくれた政治家魂を大切に心に刻みながら、政治家として活動していこうと思います。

 渡邉勝氏のご冥福を心よりお祈りします。

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区民体育祭始まる

2015年08月23日 | 議会活動

平成27年8月23日

 秋の行事の代表である、体育祭が始まりました。今日は、大淵地区区民体育祭と富士駅北地区区民体育祭が開催され、市内では10月の上旬まで続きます。

 開会式時刻が重なったため、大淵地区区民体育祭に参加させていただきました。大淵地区は、北部地域の八王子地区に地区専用と言っても良いくらいな大きなグランドがありここを会場とします。他地区のように学校施設を利用するものではありません。駐車場も複数あるグランドの一面も使えるために、おそらく、市の主催する行事も含め、大淵地区が最大の会場ではないかと思います。

 48回目の区民大会には、22地区から参加しています。準備された役員や関係者の皆様には、これだけの規模の運営には大変ご苦労されたのではないかと推察できます。4年前の東日本大震災から昨年までは、プログラム内容を縮小し、半日での競技開催をすることで、被災地への思いやりを表していました。しかし、本年度から、従来通りの一日競技が復活し、大変盛り上がっていました。

(開会式の様子)


(ムカデ競争で地域力を競う?)


 開会式が終わると、来賓テントに戻り、競技を観戦しながら地域の皆様との意見交換。普段、地域に入って十分な意見交換の時間がとれない状況から、このような機会は大変ありがたく、大淵地区の課題を教えていただくと同時に、大淵魂をしっかり見せていただき、時間を有効に使わせていただきました。

 二時間ほどで開場を後にし、ある地区の老人会にて議会報告。また、地域課題について意見交換をさせていただきました。直前にお邪魔した大淵地区区民体育祭の様子をお伝えしながら、県政全般について、配属された委員会活動状況、地元と県の関わりや連携について等、年齢的に一番関心のある医療や福祉についても、取り組み状況を説明させていただきました。

(老人会での議会報告。質問を多く、宿題を土産にいただきました)


 休日になると、このような活動が日課となります。何よりも、地元を離れる時間が多いので、地元の皆さんと顔を合わせてお話ができることが楽しみです。

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富士総合火力演習を見学

2015年08月22日 | 議会活動

平成27年8月22日

 富士山を仰ぐ東富士演習場を会場に、富士総合火力演習が開催され見学をしてきました。好天に恵まれ、雲などの演習場全体を遮る障害物が無く、全ての演目を逃さず見学することができました。

(澄み渡った演習場。左には演習の様子を映し出すオーロラビジョン)


 会場には、陸・海・空の自衛隊関係者の他、各国の軍関係者と一般市民が数多く集まり、公表された数字はありませんが、数千人規模では収まらなかったように感じました。一般の方は、自衛隊協力会を中心とした支援団体が多い様にも思えます。また、若い人たちも数多く見受けられ、関心の高さが伺えます。

(数千人規模では収まらない見学者)


 一般公募では、29倍の難関を経て入場券を入手したという資料もあり、聞くところによれば、ネットオークションでは高額で取引されているとも言われています。

(実弾演習を見学する観客)


 さて、この総合演習は、陸上自衛隊を中心に、陸・海・空の総合演習として、日本の防衛力の高さを国民に広く知っていただき、自衛隊への理解を深めるものと受け止めています。最近では、島嶼(とうしょ)部における防衛を想定した演習が行われており、尖閣諸島など近年の緊張が高まっている地域を想定していると理解できます。

 演習を通じて、素人ながら日本の防衛力の高さを感じます。防衛という観点からしても、相手が武器を持って攻め入られることを防ぐためには、それに対抗しうる武器の必要性は実感できます。できれば、これらの武器が使われないような状況が望ましいことも、この演習の迫力から感じ取ることができます。

 いつも新聞記事では、この演習にいくら掛かったというものが目につきます。それ自体は否定しませんが、この実弾演習を通じて防衛や安保等についてその現場で体験した人たちが何を感じ取ったかを伝えてほしいと思います。

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