何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

そんな謝罪では会社が危ない

2008-12-12 22:53:38 | Book Reviews
「そんな謝罪では会社が危ない」 田中辰巳・著、文春文庫、2006年10月10日

 2年前に読んだ本書について、これまで2回、ブログに取り上げてきた(1回目2回目)。他人のことだと思えば何でも言えてしまうが、まさかもっと身近なところで本書が役立ちそうな事態が進展している。

p.30 根底に誤りがあるから、複数の過ちを犯してしまうのである。

p.35 差別とは『した側の意思の有無』ではなく、『された側がどう感じたか』で判断されるべきものである。

p.55 謝罪の言葉は相手の心に響かなければ意味がない。野球にたとえるなら、ド真ん中のストレートでなければならない。
 「世間体をお騒がせし」とか「遺憾」とか「道義的責任」という言葉は、はぐらかして“なんとか体面を保とうとする意図”がみえみえなのだ。

p.92 絶対的な権力者が去って、はじめて謝罪の言葉が素直に出るようになった

p.166 (罪を償うということは)世間を驚かせて「そこまでしなくても・・・・・」と思わせたら成功だ。

p.170 謝罪には次に示す四つのフェーズがあると解説している。『癒す』『腑に落ちる』『許される』『忘れる』の四つだ。これがそろってはじめて謝罪は完結するのである。

p.172 最低でも三年間、月命日を欠かさないくらいの覚悟が必要だが・・・・・。

p.175 手術を恐れる患者は本当の症状を隠し、落胆したくない家族は希望的観測をまじえて話すものだ。問題を起こした現場もまったく同様に、正確な報告は上げてこないと覚悟しておく必要がある。

p.178 企業や個人が危機管理とりわけ謝罪に取り組む場面で、私は後者の『反省』が不可欠だと常に思っている。
(※後者とは、「自分の過去の行為について考察し、批判的な評価を加えること」)

p.181 後悔の的がはずれていると、再発防止策も奇妙なものになってしまう。

p.181 懺悔の不十分な謝罪が受け入れられない

p.183-4 『贖罪』という言葉も宗教的ではあるが、「犠牲や代償を捧げることによって罪過をあがなうこと」と広辞苑にある。しかし、私は「まずは犠牲を捧げて、足りなければ代償を捧げる」と勝手な解釈を加えて、企業のトップに伝えている。
 犠牲とは痛みを伴ったものでなくてはならず、その痛みは被害者の痛みと同等でなくてはならないことがわかる。

p.199 ケジメとか道義的な意味での辞任では、甘いという印象が残ってしまう

p.209 犯した罪が同じでも、だれが犯したかによって、批判の程度は変わってくる

p.215 「道義的責任」は、実質的な責任を認めていないのだから、処分とは言いがたい。
 「給与の自主返納」は自主的な行為だから処分とは呼ばない。


 仮に、医療従事者側の誤りで人命が失われたとしよう。それが故意でないとはいえ、ずさんというか不注意な判断や行為によって発生したと言われても仕方がないとしたら、業務上過失致死ともいえるのではないか。大切な家族を失い、医療従事者の対応が義務的か事務的だと思うのなら、遺族は医療従事者側を殺人者と同様に思うかもしれない。

 年の瀬を迎えて、さびしい年越しを迎える遺族に対し、そういう状況を推察できず、まさか忘年会だクリスマスだとはしゃいでいる医療従事者は、反省も謝罪もできていないということではないかと思う。そのツケは、重大な医療事故の再発としてやってくるように思われる。
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金儲けのために安全が犠牲に

2008-12-11 22:22:55 | 薬害は人災だ
<院内感染>器具使い回しの疑いで書類送検…茅ケ崎の医師ら 12月8日12時51分配信 毎日新聞

 神奈川県茅ケ崎市立病院(仙賀裕院長)で、心臓カテーテル検査などを受けた患者5人がC型肝炎に院内感染した問題で、県警捜査1課は8日、検査器具を使い回していたとして、循環器内科部長で検査責任者の男性医師(50)と検査を担当した男性臨床工学技士(41)ら計4人を業務上過失傷害容疑で横浜地検に書類送検した。県警は経費削減のために03年から慣例化していたとみており、医療器具の再使用を立件するのは異例。

 他に書類送検されたのは、58歳と53歳の男性放射線技師2人。調べでは、4人は06年12月~07年4月、カテーテル検査時に使う血圧測定器具「トランスデューサー」や「シリンジ」と呼ばれる注射器を使い回し、男性患者5人をC型肝炎に感染させた疑い。いずれも容疑を認めている。

 県警によると、トランスデューサーは1本2340円。再使用で年間約50万円の経費が削減できるため、58歳の技師が03年から使い回しを始め、技士に引き継いだという。
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 注射針等の器具の使い回しで肝炎等の感染が拡大するのは、医療従事者なら常識といってもよい。知っていてやったのであれば確信犯。

 使い回しをするよう動かしたものが、経費削減とは! お粗末の一語。経費が削減できて院内で褒められていたのだろうか。誰も安全をないがしろにしてまでやれ、とは言っていないでしょう。
 しかし、強く、コトあるごとに、口を開けば、経営だ、収支だ、と金にまつわることを言っていたであろうことは推測される。使い回しは正当化されないものの、いきつくところ、安全面を削りでもしなければならない状況を押し付けておいたのだとしたら、経営者も同罪であろう。

 経費削減しろ、その一方、収益は上げろ、ダメなら覚悟せよ、簡単に言えばそんなことを言う経営者のいかに多いことか。収益が上がるための方針を示せず、体質を作ってこなかった経営者ほど、そういうことを言う傾向にある。そんな組織では、これまでの方針が誤っていたことを素直に認め、退陣することが最優先だろう。

 利益重視が招いた医療事故とは、被害者は許せないだろう。薬害もそういう背景から生まれている。
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メルマガ起業1年目の成功術

2008-12-11 21:49:35 | 薬害は人災だ
「メルマガ起業1年目の成功術」平野友朗・著、KKベストブック、2004年3月24日
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薬袋は不要か

2008-12-10 23:15:46 | よくわからないこと
5人に1人「減装商品」購入 NPOが実験 12月10日10時52分配信 産経新聞

 簡易包装の商品購入を呼びかける活動を続けている、神戸大の学生らでつくるNPO法人「ごみじゃぱん」(神戸市)が、消費者の動向について実験調査を行ったところ、5人に1人が簡易包装した商品を購入したことが分かった。

 実験は今年5月15日~8月15日、同市東灘区のスーパーマーケット4店で行われた。容器包装ごみが減量された商品を「減装(へらそう)商品」として1474点を独自に認定。目印を付けたり、特設の陳列棚に置いたりして買い物客に購入を勧めるキャンペーンを実施した。

 結果によると、実験期間の3カ月間に売れた減装商品は16万6843個に上った。減量前の通常商品がごみになった場合と比べ、ごみ自体で1.18トン、二酸化炭素(CO2)に換算すると2.03トンを削減することができたという。
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 家庭ゴミも有料化され、いよいよ排出するゴミ削減の傾向が強まる中、最近では容器を持って豆腐屋に行く姿も目にするようになった。自分が小学生の頃は、それが当たり前だった。ボールを持って、買い物に活かされたものだ。それが復活するかのようにタッパーウエア持参で並ぶ姿を見かける。

 薬局でも薬袋がいらないという申し出をしばしば受ける。

 結論から言うと、ただちにそれに従うことには反対だ。

 患者さんに薬局から“価値”を提供できていないから(しているつもりでも、患者サイドからはそう評価されている)、せめてものサービスとばかり、大きな袋にひとまとめに薬を入れて、せいぜい薬剤情報提供書を渡して、“いつも通りにお飲みくださいねー”と言っている様子が目に浮かぶ。
 
 処方が変わったときはどうするのか。本当に飲み方は理解されているのか。薬袋に、用法等の標準的な記載のほか、その時々の注意事項を書き入れるような使い方をしていないのだろうか。

 もちろん毎回、そういった用途になっているわけではないが、しばしばそのようなことがあるから、薬袋は重要なコミュニケーションツールであると思うのだ。

 そういう申し出をふたつ返事で受け入れるのではなく、当薬局では薬袋は単なる運搬のための入れ物ではなく、情報提供や注意・指導のためのツールと考えているので、一見、ゴミが増えるだけで無駄のように思われるかもしれませんが、大きな袋にまとめて入れてお渡しするようなことは行っておりません、などとキッパリ言ってはどうだろうか。

 OTCのネット販売反対運動も、規制緩和というフレームに医薬品というものは馴染まない、ということがある。医療器具でもディスポーザブルなものが多いのは、リサイクルやリユースといった環境問題と衛生や安全確保という概念がなじまないところから来ているのだと考える。

 器具はともかく、たかが紙袋じゃないか、そこまで頑なになる必要もないのではないか、別の服薬指導用の説明書でも作って、いらないっていうんだから、素直にハイハイと聞いて、まとめて渡したらどうだ、という声もあるかもしれない。

 レセコンにより薬袋の印字機能もバリエーションに乏しい。レセコンメーカーも、薬袋の重要性を意識しておらず、カタチばかり印字できればいいとしているかのようだ。メーカー側が考える以上に、フレキシブルに印刷設定ができることが望まれる。
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自由にモノが言えてこそ

2008-12-10 22:52:21 | 思いつくまま
 ノーベル賞の授賞式を間近に、名古屋大学の物理学教室の様子がテレビで紹介されていた。学生は、教官に対してさんづけで呼び、ときに誤りがあれば指摘もするという。これは益川さんと小林さんの恩師である坂田教授によるものだという。研究に上下はない。自由闊達な議論から、新しいものが生まれるという考えによるものらしい。

 小林、益川両博士に大きな影響を与えた恩師も世界に名前を知られた理論家で、50年代にクォークの先駆けとなるモデルを考案した故・坂田昌一博士だ。
 名古屋大の坂田研究室は、活発に意見を戦わせる自由な雰囲気に満ちていた。学生は教官を「さん」づけで呼び、「先生」と呼ぶと、しかられた。
■出典:http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081007-4686911/20081008_01.htm

 益川さんが「益川先生」と呼ばれると、ただちにユニークなキャラで「コラーッ!」と訂正を求める様子も放映されていた。

 まったく何も言えないわけじゃないが、肝心なことは何も言えないに等しい閉塞感のある状況に置かれている人はいくらでもいるだろう。反論や意見は、反逆か重罪にしか扱われなければ、陰で言うしかない。まったくもって、ムダで非生産的な環境だ。そういえば、そういった組織は「さんづけ」になっているだろうか。職位を付けて呼ぶことを強く求めているようなことはないか。役員と称する人たちが、間違ったことでもそれが正論だとばかり、人種差別でもあるかのように、わがもの顔でいることはないだろうか。

 わかる人にはわかる。見えない人には見えない。

 ノーベル賞受賞者を輩出したことに加えて、そういう環境が余計に人気を高めていくのではないだろうか。大学研究室のみならず、また研究職のみならず、科学の世界ではたいへん重要な考え方であると思ったので、書き留める次第である。
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非効率な会社がうまくいく理由

2008-12-08 22:52:13 | Book Reviews
「非効率な会社がうまくいく理由 伸びる企業は知っている「情動力」アップの方法 中島セイジ・著、フォレスト出版、2007年8月12日

p.22-3 業績を上げるために努力することは、企業として当たり前の行動ですが、そこに具体的な数値が示されると、今度はこの数字合わせがすべての目標になり、企業経営にとって本当に必要なことが見えなくなってしまうのです。

 リスクマネジメントでも同様。薬局において調剤エラーを削減したいと願うのはよいが、数値で○%減であるとか、ゼロにしろという考えはマイナスに作用してしまう。

p.30 何か新しいことを思いついたとき、それがお客様にとっても地域にとっても価値あることであるかどうか、を考えます。しかし、実践してみないことには、それがお客様にも地域にも有効なものなのかわからない。だから、たとえそれが会社にとって非効率なものであっても、お客様には本当に喜んでもらえるものであれば続ける結論となるのです。

 価値判断は顧客であり、地域であるという考えだ。企業にとっての利益だ、増収ではない。それらを全く考慮しないわけがないだろうが、それは二の次と考えられるかどうか。顧客重視、顧客あっての組織だと思えるかどうかだろう。

p.41-2 (チェーンビジネスの世界で)働くスタッフの人たちは、良くできた接客マニュアルや効率的なシステムに則って接客サービスをします。ところがこのマニュアルやシステムを忠実に実行すればするほど、お客様との距離は離れていってしまう現象が起きてくるのです。
 するとどうなるでしょう。
 スタッフはお客様がどう思っているかを考えないようになります。“誰がやっても同じ”均一化、画一化により、感受性や情動はそこに存在できなくなります。当然、そこは無機質な空間となり、結果、やる気はそがれ、自分が働く店に対して愛情を持つことが出来なくなってしまうのです。やがてお客様は離れ、そして、一度離れたお客様をふたたび呼び戻すのは新規オープン時の何倍もの努力が必要となるでしょう。

p.81 「困難のない効率的な選択ばかりを繰り返していては、会社の存在理由が見えてこないし、会社のエナジーも作られて行かず、長期的に続いていく会社にはなり得ない」

p.85 「そこにしかない魅力があれば、お客様はやってくる」

p.86 笠田氏は、“お店は売上げを上げるところではなく、お客様と親しくなるところ”という考え方で仕事に取り組んでいると聞いたことがあります。だから、ここまで出向いてくれたお客様に手間とコストを平気でかけるのです。

p.107 「そう、大きな努力で小さな成果であることが大切なんです」
 非効率な中にこそ、学びがあり、成長がある。そして、非効率な中にこそ出逢いがあり、相乗効果がある、ということです。

p.120-1 情動力とは、「損か得か」「効率か非効率か」なんていう経済の論理では推し量れない、さらに高い次元の力です。情動力のある経営者には、いわゆる「計算高い」経営者は一人もいません。彼らを動かしているのは、そうした目先の目にみえるわずかな利益ではないのです。
 もっともっと大きなもの、地域への貢献とか、お客様からの信頼、究極的には鍵山氏は言うように、「自分の事業、仕事が人を幸せにできるのか」といった次元でものを考えているのです。

p.141 「時間」と「コスト」という経営効率だけを考えてしまうことで、せっかくの人材教育の機会を失っていると思えてなりません。

p.143 目の前の効率以上に、明日の社員の成長の方が会社にとっては貴重なはずです。あれもこれもとアウトソーシングを選んでしまった会社はその機会を逃していることを忘れないでください。

 薬局での人材採用は、とかう人材紹介バンクや職安を頼ることが多い。人材との巡り合う機会を増やそうとしているのであるが、薬局側は自らを知ってもらう機会をかなり依存している状態ともいえる。その前に、薬局自体が学生や求職者に知ってもらう努力が乏しいことはないか。ファンが口コミで増えるような努力をすべきではないだろうか。
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粗にして野だが卑ではない

2008-12-07 22:23:44 | Book Reviews
『「粗にして野だが卑ではない」 石田禮助の生涯 城山三郎・著、文春文庫、1992年6月10日

p.23 「年間五十億人という人命を預かる職は、金をもらってやるべきではない」

p.26 記者会見で「何から手がけるか」と訊ねられた石田は、
「一、新五ヶ年計画の完成。二、経営の改善。三、企業としての能力の向上。四、保安設備の改善、安全の確保。五、汚職の追放」

p.27 「尊い生命、五十数億を国鉄は預かっている。こんなに国鉄が信頼されているということを忘れないでもらいたい、というのです」

p.147-8 「過密ダイヤと路線の酷使からは、大事故が発生しかねない。早急に輸送力の増強をはかるとともに、とりあえずは、輸送手段のすべてに安全装置をつけること。これは、財源のあるなしにかかわらずやらなきゃいかん」

p.148 老朽化した青函連絡船の更新を強く推進してきたし、十河総裁が線路保守費を大幅削減することを決めると、石田は十河に迫って、全額復活させた。

p.155 いまの過密ダイヤは、世界の人の見ている前で、「軽業をやっておる」ようなものであり、これでは、「事故が起れば大きな事故になる要因はちゃんと潜在している」


 安全(確保)に金をかけているか。惜しまず投資をしているか。鉄道の使命は、安全に輸送することであるという本質を貫こうとする。

 経営優先で、安全の維持費用を削減したり、個人の取り組みや意識に委ねていては、安全を守れず、組織としても使命を果たせないのだ。
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「空気が読める!」と言われる人

2008-12-06 22:20:48 | Book Reviews
『「空気が読める!」と言われる人のビジネス会話学』 R25編集部・編、リクルート、2007年11月15日
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時代遅れのテレビCM

2008-12-06 19:59:55 | くすり雑感
 なにげなくTVがついていると、突然、東和薬品のコマーシャルが。黒柳徹子さんをイメージされた人形が、患者本人に代わって医者に伝えるあれである。

 みなさん、名前はもう存知ですよね、ジェネリック!

 でも、言葉に出してなかなか言えない・・・、ジェネリック!

初老の男性「アタシの薬、ジェネリック!にできますか?」
医者「しますよー」
若い主婦「センセイ、あ、あのぅ、ジェネリック!にしたいんです」
医者「しましょうねー」

 医者はふたつ返事で「できる」と優しそうにと微笑む。

 言うまでもなく処方せん様式が変わった。ジェネリックの使用が適切ではない場合においてのみ、処方せん右下に医師のサインがなされる。確かに、診察の段階でジェネリックを使用するかどうか、医師の判断が入る場面ではある。

 果たして患者は、医者がサインさえしてくれれば、あとは薬局と相談してジェネリックを使用していこうとしているのだろうか。そこがジェネリックを使用するためのポイントとでも考えているのだろうか。

 そもそも、にこやかに「(ジェネリックに)しましょうねー」などと言う医者であれば、いちいち申し出なくても変更不可のサインなどしないだろう。

 本来、ジェネリックにしないという判断はどちらかというと例外的あるいは限定的であって、処方の段階でジェネリックを依頼しなければならないというのはコマーシャルで問いかけるほど要点ではないはずだ(現実は、組織的?にサインをする医療機関があるが)。依頼しなくても、処方せんはデフォルトでジェネリックを使用する仕様になっているのだから。CMにしたというのは、そこが要点だと考えている表れとみることができる。

 もはや今は薬局の窓口で、ジェネリックを希望することが重要だろう。薬局に処方せんを提出する際に、薬剤師に向かって、

「ジェネリックでお願いしたいのですが」

 ・・・と申し出ればよい。医者に言うより、敷居も低いはずだ。

 ジェネリックにするには医者に相談することが大事だというイメージがこのCMによって植えつけられそうなのが気がかりだ。
 そうではなくて、薬局窓口で気軽に

 「ジェネリックでお願いしますね(^_-)」

 ・・・と、笑顔で伝えるシーンのCMもあるとよいのだが 
 
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成功本はムチャを言う!?

2008-12-05 22:56:23 | Book Reviews
「成功本はムチャを言う!?」 新田義治・著、青春出版社、2008年8月18日

p.67 つまり、紙や手帳に願望を書いたからそれが実現したというよりも、むしろ書くぐらいその目標に対して本気になっていたといえるかもしれません。そのパワーが成功に導いたのです。
 そこを混同して、紙に目標を書きさえすればうまくいくんだと思ってしまうと、読者は書いただけでおしまいということになりかねません。

p.114-5 著者である成功者のタイプには類似点が多いように思います。
 どういうタイプかというと、第1章で述べた「目標達成的傾向」の強い人です。
 このタイプは物事を「やるか、やらないか」で考える傾向があり、数値目標の達成を目指したり、困難な壁をクリアすることに熱く燃えます。ときに、周囲の人から「無謀だ」と非難されたり、「単細胞だ」と馬鹿にされることもありますが、物事を前進させることに迷いはありません。行動すること、達成することに何よりプライオリティを置くタイプです。そして、失敗しても立ち直りが早いのが特徴です。
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服薬指導のリスクマネジメント

2008-12-04 23:16:43 | Book Reviews
ヒヤリハット事例に学ぶ 服薬指導のリスクマネジメント」 日経ドラッグインフォメーション・編、澤田康文・著、日経BP社、2005年8月29日

 本書は以前、第2版を紹介したが、その第1版にあたる。

 薬剤師から見て、患者さんは、服薬について思いもよらないことをしてしまう。まさかそんなことはしないだろう、こんなふうには考えないだろう・・・・・、薬局側の想像をはるかに超えている。いや、想像力や想定が甘いのかもしれない。

 しかし患者さんにしてみれば、けっして変わったことをしているつもりなどない。何の疑いも持たずにそうしてしまうのだ。

 そういう事態を知って、薬剤師はどう思うのか。ここは問題だ。
 自分は然るべき説明をしていた、やるべきことをやっていた、患者さんの行動がそれを上回っていただけ・・・・・、果たしてそうか。
 そういう捉え方、見方もあるのか、同じ説明をするにはこうしておけば良かった、もう一言添えておけば良かった、ここを確認しておきさえすれば・・・・・、後悔があるだろうか。

 そういった反省なくして再発防止もレベルアップもない。結果論でそういうのではなく、日頃から患者さんとの係わりを深めていくことで、いろいろな事例を学ぶことができる。その積み重ねが経験となり、幅を広げる。
 
 一見ささいな事例も、思わぬ展開、二次被害を生めば、最悪のシナリオとなりうる。この想像力も大事で、ヒヤリハットできるかどうかも、薬剤師として重要なセンスであると思った。
 
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利益の方程式

2008-12-03 23:35:38 | Book Reviews
「利益の方程式」 勝間和代・著、東洋経済新報社、2008年4月17日

p.24 儲かっている業界はなぜ儲かっているかというと、業界トップシェアの企業で儲けている人たちが、製品・サービス力の優位性を確保すると共に値崩れを起こさないように気をつけているのです。

p.72 より確実に利益を上げるためには、それぞれの変数について、より要素分解をしながら、一人ひとりが行動につなげられるまで、具体的な手法を細部に落とし込む必要があります。

p.161 (顧客満足度調査で)一番わかりやすい聞き方は「この商品(サービス)を友人や知り合いに薦めますか」という表現です。そこでイエスというものは本物の満足度であり、そうでないものについてはいつでも、機会があればスイッチされると認識していた方がいいと考えます。

p.172 原価は顧客獲得コストに比べて下げることが難しいという説明をしてきました。それはなぜかというと、業界内で同業他社との競争がある限り、ある程度品質がないと顧客獲得コストが多額になってしまい、その品質を出すには一定以上の原価が必要になるためです。

 とにかく効率化だ、コスト削減だと、サービス提供や品質維持に必要な経費を削ろうとする経営者が多いようだ。薬局なら、教育費や研修にかかる費用だ。自腹を求め、参加を制限しようとする。教育を削減することは、サービス提供の根幹を理解していないと言っているようなものであり、売上重視と反面的に言っているようなものだ。それでは薬局利用者が増えるわけがない。

p.194-5 常に顧客論理で原価管理を考える(需要者の視点)。KBF(Key Buying Factor:鍵となる購買要件)という、なぜ顧客がその商品・サービスを購入するのかということを顧客の視点から把握するのです。

 薬局におけるKBFは何か。あれこれ挙げることもできるだろうが、その中でも本質的なものは何か。利用者は「薬局」に来るのである。会社に来るのではない。薬局に求めるのは、薬局の社会的な役割や機能である。であれば薬物治療を安全に進めることができることであり、自身にとって必要な注意や指導が求められる。それ以外も、設備や接遇も無視できないが、一番は本質的部分に他ならない。本質をさておいて、他の面を優先するのは取り組みの誤りともいえよう。

p.206 コスト削減は地味な作業の割に社内調整の苦労が多いため、報われない印象があり、なかなかやる気を出すのが難しい。そのような中、一番やってはいけないのが「一律5%ダウン」のような目標を作ってしまうことです。このような目標を作ると、多くの場合、削りやすいところから費用が削られることになります。
 削りやすいところとは、売上への影響が短期的には出ないけれども長期的には出てくるというような品質の項目だったり、研究開発や人材教育のような将来の投資であったりするわけです。

 ここでも即効性はないが、将来ぬ向けて削ってはならない投資先はどこか、明らかだ。薬局において、教育や研修を制限、縮小、限定するようなことは、自殺行為といってもいいだろう。薬局が社会に対して役割を果たすうえで、患者対応と両輪を成すといってもよい。教育や研修は、薬剤師の責務だ。重要な業務に位置づけるべきではないかと思う。
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お金と正義(下)

2008-12-01 23:07:34 | Book Reviews
「お金と正義(下)」 神田昌典・著、PHP研究所、2006年10月3日
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