簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

城下町・水口(東海道歩き旅・近江の国)

2024-01-12 | Weblog

 水口は東海道の宿場町であるが、元々は城下町である。
甲賀で最大の独立丘陵である古城山に、天正13(1585)年、豊臣秀吉が
家臣・中村一氏に命じ築かせたのが水口岡山城だ。



 近江国を広範囲に見渡す眺望から秀吉の甲賀支配の拠点とされた城で、
東国制覇の足掛かりとして重要な位置付けがされていた。
後に入城した長束正家が、関ヶ原の合戦で西軍に属し敗れたため、廃城
になった。



 戦後徳川の直轄地となり、東海道の宿駅に指定されるも、嘗ての城跡
は忘れ去られ荒廃し、当時の建造物は全て失われたてしまった。
幸い石垣等の遺構は残されているらしく、今では「しろやま」と呼ばれ
親しまれている。麓からは登山道も整備され山頂までは約820mで、15
分もあれば登れるらしい。



 慶長年間に東海道の宿場として定められたものの、当初は宿泊施設も
少なく、度々通行した家康もここでは寺院や民家に宿泊していたという。
三代将軍・家光の時代になり、宿場の西方に新しい宿館(茶屋)が築か
れることになる。水堀に囲まれた本丸と御殿の建つ二の丸の二郭で構成
される水口城である。



 幕府直営工事として、作事奉行を小堀遠州が務め、京都の大工頭中井
家支配の大工たち、のべ10万人が動員された。
しかし城は家光上洛時一度だけしか使われず本丸御殿は後に解体された。
今では城跡は県の史跡に指定されている。



 水口岡山城の城下町として形成された水口は、江戸時代に入り東海道
の宿駅に指定された。
片町の東の見附から、西の見附・米屋町の石橋までの間の三筋町(三筋
に分かれた東海道筋)を中心に発展した。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 近江国甲賀郡水口(東海道歩... | トップ | 水口宿(東海道歩き旅・近江... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事