簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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物流を支えた車石 (東海道歩き旅・近江の国)

2024-08-05 | Weblog
 特徴的な山門を構える閑栖寺(かんせいじ)の前に、「東海道」の道
標と共に「車石」が展示され、説明文が置かれて居る。
「車石」とは、牛車の通行のために道路に敷かれた石のことだ。



 当時の舗装道路で、この辺りの街道筋では車石で鋪装されていた。
中央が轍ですり減った石の断片が、街道筋の民家の庭先、石塀の一部、
或は庭石として彼方此方に残されていて、思わぬところで目にするこ
とが出来る。



 東海道ではこれまでも色々な材料で舗装された道路を見てきた。 
箱根の坂は当初は自生する箱根竹(笹)を切り取り束ねて敷き詰めてい
たが、やがて平らに切り取った切石が敷き詰められた。
 神奈川の生麦村では、貴人が通る度に麦を刈り取って敷き詰めたとい
い、金谷の坂道は近くで豊富に調達出来た丸い川石を敷き詰めていた。



 当地は京に近い東海道であっても、江戸時代中期頃までは、まだ舗装
されてはいなかった。この辺りは逢坂から続く坂の途中で、雨でも降ろ
うものなら、ぬかるんで、滑ってとても荷物を運べる状況では無かった。


 
 幕府が重い腰を上げるのは、文化2(1805)年になっての事である。
大津と京の間凡三里(約12㎞)に、花崗岩の厚板石が敷き詰められた。
 当時としては画期的な舗装工事で、京に向かって右側が車石の敷かれ
た牛車道、左側は安全を考慮して一段高くした人馬道と成っていた。



 車石の道は明治に入り、官道の整備により撤去されたが、この閑栖寺
の境内の一角には、敷設当時の資料をもとに牛車道を再現し、保存され
ている。

 この史料は、寺の山門が開かれていれば、誰でも自由に境内に入り、
見学することが出来る。(続)





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