簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

鶴見魚河岸通り(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-06-19 | Weblog



 再び旧道に戻り下野谷町で第一京浜国道を横切り、その先でJR鶴見線の高架
を潜る。右手が国道駅だ。高架下のこの雑然とした雰囲気は昔と変わっていない。
ここはいつ見ても懐かし昭和の香りがプンプンとしている。





 生麦魚河岸通りに入ってきた。
魚など魚介類を扱う店が犇めく通りで、すし屋や料理屋などプロが通う店が多いと
されるが、一般の小売りもしてくれるので、単身赴任していたころは酒の肴を求めに
何度も足を運んだ通りである。

 店は当時と変わらない雰囲気だが、閉めている店が多いようにも感じられる。
そんな店先を覗きながら歩を進め、中ほどにある稲荷社で休憩をしていると、近所
の同年配と思われる男性が近づいてきて、色々話しかけてきた。



 「この石が一番古い」と言って石仏の建つ台石を指さして、「まだ生麦村だから」と。
そこに記された名前を読みながら、「ここらあたりは同じ苗字ばかりだから、うっかり
悪口も言えん」とこぼす。見れば確かに同じ姓が並んでいる。



 「昔はすぐそこまで海で松並木も続いていて、漁師が多く魚を獲っていた」と言う
ので、「江戸前の魚で景気が良かったのでは」と水を向けると、「いや、貝ばっか・・・、
だから佃煮屋が多かった。それ目当ての醤油やしょうがの店もあった」とか。
「それじゃあの魚屋は・・・」と聞くと、「元々はヤミ市だ」と言う。



 「旧道は雨が降るとぬかるんで、歩けたものではなく、そんな時大名が通ると植え
てある麦を刈り取ってぬかるむ道に敷いた」のだそうだ。
それが生麦の地名の起こりとも教えてくれた。

 暫く話し込んで礼を言い、先に進めばキリンビールの横浜工場が見えてくるが、
すっかり様子が変わっている。横浜環状北線の工事で、延々と塀が続き、この近く
にあったはずの「生麦事件の記念碑」が見つけられない。(続)

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