簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

 地名の由来(東海道歩き旅・山城の国)

2024-09-11 | Weblog


 「御陵」と言う地名は、鉄道の駅名やバス停にも頻りに使われている。
「御陵」は「ごりょう」とも読むが、当地では「みささぎ」と読む。
「陵」は天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墳墓の事で、この地名は勿論、
天智天皇の山科御陵がある事に由来している。



 「陵ケ岡 みどりの径」を道なりに進むと、再び三条通に合流する。
角に「天智天皇山科御陵」の碑があるが、ここは京阪京津線の御陵駅の
跡地で、天皇陵への最寄り駅を示す石柱らしい。

 公園のネコ達に気を取られ、道なりに歩いて三条通り来てしまったが、
ここは旧東海道からは外れている。



 地図で確認し150m程引き返し、アスファルト道との交差点を右折する。
角に小さな地藏堂があり、これが旧東海道らしくこの道を見落としていた。
この辺りは、「御陵下御廟野町」と言い、随分と狭い道の両側に民家が建て
込んでいる。



 道は段々に上り坂と成り、「日ノ岡ホッパラ町」辺りからは、本格的
な登山のような厳しい上り坂に転じていく。
ホッパラ町とは、随分と変った町名で、興味を引きネットで調べてみる
と地名の由来が紹介されていた。



 東海道日ノ岡峠を整備した際に出た大量の土砂を、この辺りに放り出
したことから、ほっぽりだしたを「放土原」の漢字を当てるように成り、
何時しか「ホッパラ」と呼ばれるようになった。



 もう一つの説は、近くの九条山に刑場があって、斬首刑となった罪人
の遺体を、この辺りに掘って埋めた原っぱの「掘原(ほりはら)」が訛
ったと言う説である。(続)




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