簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

すずめ坂(東海道歩き旅・山城の国)

2024-09-04 | Weblog


 山科は三方を山に囲まれ、南は山から続くなだらかな階段状に開けた
盆地で、その地形から「山科」の地名が生まれたらしい。
「シナ」というのは、なだらかな斜面が層状になっている様を言う。 
漢字では「階」や「科」の字が当てられ、昔は「山階」と書いて「ヤマ
シナ」と呼んでいたのが何時しか今の「山科」に変化したようだ。



 街道は「五条別れ道標」の先で左に京都薬科大学の建物を望みながら、
「すずめ坂」のゆるい坂を下る。手持ちのガイドブック(2012年第一刷)
では当地を、「陵(みささぎ)川を西に渡ると、この先は竹薮だったのが
すっかり家並みに変わっている」との記述で紹介している。



 東海道の時代には、竹薮が広がり、スズメも多かった事が地名の由来
かとも思ったが、そうではなく、京を朝立ちしここを通る旅人が、いろ
いろ話しながら歩くので、まるで雀の鳴き声のように聞こえることから
「すずめ坂」と呼ぶように成ったという説が有るらしい。



 この辺り、嘗て「藪下村」と言われていたところだ。街道を行き交う
旅人には、「藪下のきざみ(タバコ)」が、当地の名産物としてよく知
られていた。
 今では開発が進み、鉄道が通り、幹線道路が貫き、民家なども建て込
んで、竹薮など全く見ることは無い。ただ道筋では、昔をしのばせる趣
のある建屋を見ることは出来る。



 すずめ坂を下りると、外環状三条通り(新道)に合流する。進藤町の
交差点を右折して新道に出て、横断歩道を渡りその歩道を歩き、琵琶湖
線のガードを潜る。
 鉄道や新道の開通で失われたのであろうか、この辺りでは旧道は完全
に途切れている。(続)





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