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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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宇野線の開通(玉野市電廃線跡を歩く)

2025-03-17 | Weblog
 鉄道の黎明期岡山に最初の鉄道の駅が出来たのは、明治24(1891)
年3月18日の事である。国鉄山陽本線の前身である山陽鉄道が、岡山
駅と三石駅間で旅客・貨物の取扱営業を開始し、その半年後には福山
まで延伸・開通している。



 当初は貨客車輌の混成七両編成で、一日に上り下り合わせて15本程
の列車が運行されていたという。岡山と倉敷間の運賃は、下等が10銭、
中等はその2倍、上等に到っては3倍であった。
米一升(1.5㎏)が、7銭3厘の時代で有る。現在の運賃は330円だ。



 山陽鉄道は、後の宇野線の前身となる岡山と宇野間の申請をするが、
何れも日清・日露戦争の勃発で、世情不安や資金難もあり計画は頓挫し
てしまった。

 丁度この頃「児島鉄道会社」が設立された。
倉敷と児島味野を結ぶ鉄道の検討を始めている。



 明治33(1900)年なると、「宇野鉄道敷設会合」が岡山市内の山佐
楼で開かれ、宇野線建設の気運が高まり、市内に在った中国鉄道会社
の中に鉄道創立事務所が開かれた。
 岡山駅を起点に米倉、妹尾、彦崎、槌ケ原、田井を経て宇野に到る
32.2㎞の新たな路線である。



 その後山陽鉄道が国有化されると、宇野線の建設計画も政府に引き継
がれ、一気に計画は具体化される事になる。計画は岡山から妹尾を経て、
当時の児島湾の海岸線に沿って宇野に到るルートに変更され、「岡山よ
り宇野に到る鉄道」の新線工事が明治40(1907)年に始まった。



 岡山と宇野32.9㎞の間に、鹿田(後にルート変更で大元に)、妹尾、
早島、茶屋町、味野(現在の彦崎)、由加(現在の迫川)、八浜の各駅
が計画された。
これが国鉄宇野線で、待望の開通は3年後の6月12日の事であった。(続)





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