簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

川崎宿(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-06-14 | Weblog



 川崎は人口147万人余り、全国第七位を誇る大都市で、県庁所在地ではない市
町での人口は、全国最大だ。多摩川を挟んで東京と、また神奈川の県庁所在地横
浜に隣接し、そのベッドタウン的な性格を持つ町だと言う。



 六郷大橋からも、幾つも天に向って延びる高層マンションを目にして来たので、
そのことはなるほどと実感することが出来る。



 旧東海道は六郷川を渡ると橋のたもとで右折し、町中を道なりに突き抜けていく。
通には飲食店や居酒屋、商店や事務所が並び、その隙間を埋めるようにマンション
が幾つも建ち、人や車の行き来が多い。



 通りの所々に「旧東海道」と書かれた石柱や、本陣跡や問屋場跡を示す案内板
が立てられているだけで、それを見落としてしまえばこれを旧道と知るすべはない
ほど古いものは何も残されていない。
これだけ繁華な町に発展しているのだから当然と言えば当然である。

 通りの中ほどに「かわさき宿交流館」と言う看板を掲げた場所が有ったが、あいに
くと休館日とかでガラス戸が閉じられていた。



 東海道二番目の宿・川崎は、本陣2軒、旅篭72軒、当時の人口2500人ほどの規
模で、久根崎、新宿、砂子、小土呂の四町で構成されていたそうだ。
江戸に下る旅人には六郷川の渡しを控え、江戸を七つ立ちし京に上る旅人にはお
よそ4里の道のりを歩いた休憩の場所として大いに賑わったと言う。



 そんな地名の残る交差点を越え進むと、京急の八丁畷駅の手前に芭蕉の句碑が
立っている。

『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』

元禄七年五月に江戸を発ち、古里伊賀へ帰途の途中に詠んだ句で、芭蕉はその年
の十月に51歳の生涯を閉じている。(続)



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