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第一京浜国道を進み、そのまま六郷大橋を渡る。
ここで多摩川を越えれば東京とはお別れで、神奈川県の川崎市に入って行く。
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東海道が整備された折り、この川には徳川家康により大橋が架けられた。
これは両国と千住に架けられた橋と共に、江戸の三大大橋と言われるほどの橋で
あったが、大洪水で流失してしまい、その後は橋を架けられることもなく、200年もの
長きにわたって六郷の渡しと呼ばれる渡し舟の時代が続いたそうだ。
新たな橋が架けられたのは明治になってからである。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/01/8b10c9ed0cedbf1098444e8ce3eeb4e5.jpg)
広重の描く「川崎 六郷渡舟」には、遥かに富士山が描かれている。
全長443.7mの今橋の中ほどから振り返ってみたが、雲の多い日でもあり、ビルや
マンションが見えるばかりで、どこにもその姿を見つけることが出来なかった。
そもそも現在でもこのあたりから富士が望めるのか・・・そこのところは良く解らない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a7/1f558641338e8c475fd2a810fdc3eddf.jpg)
橋の袂には、「明治天皇渡御碑」が立っている。
維新を迎え初めての江戸入りとなったがこの時にはまだ橋がなく、沢山の小舟を並
べその上に板を渡した浮き橋を作ってお渡りいただいたそうだ。
それより前、将軍・吉宗に献上される象が長崎から来た折は、舟に乗せて渡したとも、
同様浮き橋で渡したなどと諸説あるようだ。
当時の渡し舟は、人なら30人ほど運べる舟が主流で、ほかにも牛馬を運ぶ船も用意
されていたが、これで象が運べたのか興味深いところではある。
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渡舟の渡しは当初江戸の町人が請け負っていた。
その後は何らかの事情で川崎が担当するようになり、その渡し賃が宿場の財政の
支えになっていたと言う。その川崎宿は川を渡ればすぐそこだ。(続)
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