簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

日本武尊御血塚(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-05-10 | Weblog
 采女地域に入ると、国道の分岐辺りの標高は13m、金刀比羅宮の辺り
で20m程であった。「うつべ町角博物館」前迄に4m程上り、「史跡 
杖衝坂」の石柱前では37m余りだ。標高としては大して登っている訳で
はない。



 その先僅かな距離で坂を上り詰め、サミットを迎えるが、それでも最
高地は50mには届かない。しかしこの坂が、東海道でも名うての急坂と
言われるのは、距離を稼ぐこと無く急激に坂を登るからである。



 古風な家並みの続く坂を登り切ると、山裾を背後に控えた左側に小さ
な祠があり、その奥に「日本武尊御血塚」の碑が建っている。

 日本武尊はこの坂を、「小さな井戸の水で疲れを癒やしながら・・」、
「剣を杖代わりにして登った」が、ほとほと疲れ「吾が足は三重の勾が
りの如くして、はなはだ疲れたり」と嘆かれたそうだ。



 気が付けば怪我をしていて、足から血がながれ出ていたのでこの場で
血を洗い、止血した所と地元には伝えられている。
因みに三重県の県名は、この故事に因むとの説もあるそうだ。



 ようやく平坦となった坂の上は、時代から取り残されたように風情の
ある通りだ。嘗てこの辺りは杖つき村立場(休憩所)で、茶店では名物
の饅頭を売っていたという。

 商いは止めたその店が今でも残されているらしいが、どのお宅なのか、
面影も無く判別が付かなかった。
そんな街道を500m程進むと、やがて右に国道1号線が見えてくる。



 合流の手前に、江戸から数えて101番目の「采女の一里塚跡」がある。
戦後まで土塁様の塚が残されていたらしいが、今は案内標識のみである。
昭和40年代に入り、国道の拡幅工事などで消滅したという。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 杖衝坂 (東海道歩き旅・伊... | トップ | 鈴鹿山脈 (東海道歩き旅・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事