簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

鈴鹿山脈 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-05-12 | Weblog
 鈴鹿山脈は三重県と滋賀県の県境を構成する山脈で、一般的には北は
関ヶ原から、南は鈴鹿峠辺りまでの範囲と言われている。最高峰は御池
岳の1,247mで、それに続くのが雨乞岳の1,237mで、千メートル級の山
が10座以上連なっている。



 昔から伊勢と近江の行き来には重要なルートで、その山々の間には幾
つもの峠がある。例えば八風峠や武平峠、千草峠に直接登り、向こう側
の滋賀県に下るリートは、中世以前では東海道の一ルートとして使われ
た時期もあり、これらは時代と共に変遷した。



 江戸に幕府が開かれると、情報伝達の迅速化を図る為、直ちに伝馬制
が定められた。街道の整備も急ぎ、鈴鹿峠越えが正式な東海道のルート
に決まるのはこの時期の事だ。
急峻だが、他のルートより行程が短くて済む事を何よりとしたのだ。



 時は江戸から明治に入ると、旧東海道は国道1号線と成った。
杖衝坂も主要道となったものの、道幅は狭く、名うての急坂は、歩行者
は勿論、人力車も苦労したらしい。
やがて発達した自動車にとっても、難所である事に変わりは無かった。



 昭和に入るとようやくにして、丘陵を削り、北側の中腹に緩やかな新道
の建設工事が始まった。
これが現在の国道1号線で、この坂を「昭和坂」と称していた。
 今日片側2車線の昭和坂は、幹線道路らしく交通量も多く、傍らを大形
のトラックが風を乱しながら通り過ぎている。



 杖衝坂を登り切り「采女の一里塚跡」を過ぎると旧道は、再び国道1号
線に合流し、ほぼ西に向け進路をとる。
 これまでの低坦地から一段高い丘の上に出たようで、周囲の視界が開け、
右手から正面にかけて、鈴鹿山脈の遠望が楽しめる様になってきた。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本武尊御血塚(東海道歩き... | トップ | ロープウェイの白い鉄塔 (... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事