女性スタッフに連れられて、館内を巡る。
母屋の一階は帳場で、当時使われていた箱簞笥(階段簞笥)、帳簞笥、
帳場机、帳簿入れ等の調度品がそのまま残され、商いの様子が知れる。
母屋の二階では、「千国街道」に関する資料や、実際に使われていた古
民具などが説明と共に展示されている。
千国街道は、信濃国・松本から北アルプスの麓を経て、越後国・糸魚
川に至る街道で、糸魚川街道とも松本街道とも言う。
通称「塩の道」と呼ばれ、ルートはほぼ今日のJR大糸線に沿っている。
この間に11の宿場が有り、大町宿は松本から数えて三つ目の宿場として
栄えたところだ。
この街道は古くから開け、日本海側の糸魚川などで採れたヒスイが運
ばれていた。やがて北陸や越後で取れる海産物や木綿、薬などを、信州
松本に運ぶ道としても利用されることになる。
我が国では昔から海の物を内陸に運ぶ為の街道が幾筋も開かれていた。
若狭の鯖を京に運ぶ「鯖街道」などが良く知られている。
当時、日本海側から信濃に入り込むルートは幾つもあったらしいが、
松本藩は治安維持や租税徴収の利便から、このルート以外での塩の運搬
を禁じていた。
その為、この街道は、生命の維持では欠かかせない塩を運んだことから、
「塩の道」とも呼ばれたと言う。
糸魚川から大町まで、「並急」扱の塩は通常数日かけて運ばれるが、
「大急」扱の生魚などは24時間程で届けられた。
特に寒鰤を薦で巻いた「巻鰤」や、新鮮な「一塩鰤」等は信州で持て囃
され人気を得ていたと言う。
その役を担ったのが、「歩荷(ボッカ)」と呼ばれる人達である。(続)
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