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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

会津戊辰戦争の終焉

2017-11-03 | Weblog
 町中周遊バス「ハイカラさん」に乗車前、お城前の通りの桜並木が丁度紅葉も見
頃と教えられていたので、迷わずここ北出丸大通りの停留所でバスを降りた。



 付近の通りの電柱は地中化され、歩道には石畳が敷かれた文教地区のようで、
周囲には会津藩家老の屋敷跡の白露庭跡、公園や学校、裁判所、道の駅などが
立地し、そば処やカフェ、レストランなども点在している。
広い通りには桜並木が続き、丁度見頃を迎えた桜の紅葉のその先にはお城を望み、
静かで落ち着いた趣のある景観を見せていた。



 ここは会津戊辰戦争終焉の地、会津藩士にとっては「泣血氈(きゅうけつせん)の
誓い」の場である。
会津藩政時代ここには家老を始め、重臣たちの屋敷が連なっていたと言う。
あの戊辰戦争では、藩はこの付近にあった城の北出丸に「降参」と大書きした白旗
を掲げ、一か月に渡る籠城戦の幕を閉じた



 この降伏により明治元(1868)年戦争が終結し、この地の路上で降伏式が行われ
たのはその僅か2時間後で、藩にとっては無念極まりない日となった。
この日地面には2,200石の家老内藤家にあった4.5m四方の緋毛氈が敷かれた。



 式が終わると藩士たちは敷かれていた緋毛氈を引きちぎり、小片を懐深くしまい
込み、この日の無念をかみしめるように四方に散り立ち去ったと言う。



 開城の前夜、あの山本八重子(後の同志社大学を創設した新島襄と結婚・新島
八重)が詠んだ詩が残されている。終戦の翌日男装し身体検査を受けた彼女は、
藩士謹慎の地・猪苗代湖送りとなっている。

 「明日よりは いづくの誰か ながむらん なれし御城に残す月影」(続)



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