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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

上信電鉄(上信電鉄・上信線)

2019-12-23 | Weblog



 上信電鉄沿線の吉井や富岡等は古くからの商都だと言うから、当時
から鉄道を必要とする産業があり、人数的にも利用者が見込まれてい
たのであろうか。
又ここは貨車も保有していたようだから、当然貨物輸送も担っていた。



 江戸時代の吉井は、火打金(火打石と打合わせ火をおこす)の一大
産地として、全国に知られていたという。当時善光寺参りには、取り
調べの厳しい碓氷峠を避け裏ルートを通行する旅人も多かったらしく、
その通過点であった吉井で実用的な土産物として持て囃されたと言う。
明治8(1875)年、日本で最初のマッチが製造され、その後全国的に広
がると、急速に衰退したらしい。



 この鉄道は、高崎駅から下仁田駅を結ぶ私鉄の路線であるが、その
歴史を調べてみると開業は古く、明治30(1897)年5月に前身の上野
(こうずけ)鉄道が、高崎と上州福島(当時は福島)の間で営業を始
めたのが始まりだ。
その後延伸を重ね、同年の9月までに現在の路線が開通している。



 将来的には下仁田から予知峠を越えて、信州を走る佐久鉄道(現J
R小海線)と結ぶ計画があり、上州と信州を結ぶ鉄道としてこの社名
が決められたのだそうだ。
特筆すべきは、現存する私鉄の中では、明治21(1888)年に運行を
始めた愛媛県を走る伊予鉄道に次ぐ古さだということだ。



 そんなに古くから営業を始めた背景は何であったのか。
絹関連の産物や、下仁田名産のネギやこんにゃく、或は富岡製糸場の
製造品など、沿線の産業が鉄道とどう関わっていたのか、上信電鉄の
歴史に興味は尽きない。(上信電鉄・上信線 完)





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