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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

官営富岡製糸場 (上信電鉄・上信線)

2019-12-09 | Weblog

 富岡製糸場は、明治5(1872)年に明治政府が日本の富国強兵・近代
化のために設立した日本で最初の大規模な工場である。当時小さな工場
は国内にも存在したが、これほどの規模を誇る工場は、世界でも初めて
で日本の近代化の礎となった。



 群馬県では古くから養蚕が行われていて、絹の製糸や織物に関する
産業があり、原料繭の確保がし易かった。また農地としては不向きな
広大な用地も有り、豊富な用水が確保でき、燃料となる石炭も近場で
調達できる等地の利が良かった。



 また明治になると日本では生糸などの輸出量が大幅に増えた。
更なる外貨獲得のためには大量生産が必要で、新政府の中には大規模
工場建設の機運が高まった。
そんな背景が有りこの地に製糸場は作られることになる。



 当初はフランスの技術を導入した官営工場として開業し、全国から
女工が集められたが、多くは旧士族の娘達であったという。
その後日本独自の湿気を加味した工夫で技術革新が次々と行われると
同時に、このような工場が全国各地に造られるようになると、そうし
た工場で技術を伝えたのは、ここで学んだ女工達であった。



 この間工場は民間に払い下げられ、何社かが経営に関わり、昭和62
(1987)年の操業停止まで、115年間にわたり高品質な生糸を大量に生
産し絹産業発展に貢献した。



 操業停止後も建造物は保存良く残され、建屋の中には操業停止まで
使われた自動繰糸機がそのまま保存されていて、そんなことも平成26
(2014)年に「世界遺産」に登録される要因で、その年の暮れには施
設の一部が国宝にも指定されている。(続)





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