明治政府による富国強兵政策を経て、やがて鉄道はその黎明期を迎えると、
山陽と山陰の中間の中国山地に位置する津山は、三次駅や新見駅と共に交通
の重要な結節点となる。当時の揺るぎのない繁栄ぶりは、今に残された駅の
広大な敷地でも偲ぶことが出来る。
またその象徴とも言える施設が今なお構内には幾つか残されている。
しかし近年では、モータリゼーションに押され気味である。
更に山陽・山陰を短絡する第三セクターの智頭急行線が開通し、陰陽連絡の
地位を奪われるとかつての賑わいは薄れてしまう。
島式のホーム2面に4線を持つ駅は、乗り入れる三路線全てが非電化のため、
ホームを出入りする車両は全て気動車で、多くが一両か二両程度の単編成の
ワンマン運転である。
嘗ては急行の運行された路線だが、今では僅かに津山線に快速があるのみだ。
終着駅のホームに入る直前の、車窓の右手には広大な機関区の敷地の中に、
巨大な機関車庫を目にすることが出来る。津山駅には津山線の開通時期と同
じくして、機関区が置かれ、そこは次第に整備され、やがて巨大な機関車庫
が造られた。
総床面積2527平方メートル、工費は当時の金額で11万円余りであったと言う。
それが今日に残されている「津山扇形機関車庫」で、2009年には経済産業省
の「近代化産業遺産」の認定を受けている。
かつては全国の主要な鉄道駅には、標準化された鉄筋コンクリート造りの
機関車庫が多数つくられたそうだが、現在ではこのような機関車庫は全国で
も13カ所に残っているだけだ。
この津山のものはその規模で言えば、京都・梅小路の20線に次いで国内第二
位の17線規模の巨大な施設である。
このことからも津山駅の繁栄を伺い知ることが出来る。(続)
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