“北海道周遊乗車券”では普通急行列車、準急行列車、自動車線が自由に利用できた。
アルバムから当時利用した普通列車以外の列車を拾って見ると、
上野から青森へは、夜行の「急行・岩手」
函館から大沼公園や洞爺湖へは、「急行・オホーツク」
苫小牧から札幌へは、「急行・アカシア」
札幌から稚内へは、夜行の「準急・利尻」
稚内から旭川へは、「急行・天北」
旭川から上川へは、「急行・大雪」
網走から川湯へは、「準急・第二わこと」
釧路から根室へは、「準急・第二ノサップ」
川湯から釧路へは、「準急・知床」
苫小牧から登別へは、「準急・第四ちとせ」
青森から上野へは、夜行の「急行・十和田」
こうして見ると鉄道全盛をマジマジと彷彿させる時代であったことが窺える。
これだけ充実しているから、広い北海道の移動も大して苦にはならなかった。
当時の時刻表が手元に残っているわけでは無いので推測でしかないが、便数も多かったように思う。
それが証拠に、駅での乗換も実にスムーズに行われている。
乗り継ぎも苦になる待ち時間を要していない。
今のローカル線とは随分違う。
駅前から観光地に向うバスも、結構良く連絡が取れていた。
夜行列車も結構走っていたようだ。
だから、夜泊るところが見付からなかったら夜行列車に飛び乗る手が有った。
それも旅の大きな楽しみ、思い出となるのである。
札幌から稚内への移動、夜行の「準急・利尻」利用は正にそれであった。
【写真:昭和新山 昭和39年】
アルバムから当時利用した普通列車以外の列車を拾って見ると、
上野から青森へは、夜行の「急行・岩手」
函館から大沼公園や洞爺湖へは、「急行・オホーツク」
苫小牧から札幌へは、「急行・アカシア」
札幌から稚内へは、夜行の「準急・利尻」
稚内から旭川へは、「急行・天北」
旭川から上川へは、「急行・大雪」
網走から川湯へは、「準急・第二わこと」
釧路から根室へは、「準急・第二ノサップ」
川湯から釧路へは、「準急・知床」
苫小牧から登別へは、「準急・第四ちとせ」
青森から上野へは、夜行の「急行・十和田」
こうして見ると鉄道全盛をマジマジと彷彿させる時代であったことが窺える。
これだけ充実しているから、広い北海道の移動も大して苦にはならなかった。
当時の時刻表が手元に残っているわけでは無いので推測でしかないが、便数も多かったように思う。
それが証拠に、駅での乗換も実にスムーズに行われている。
乗り継ぎも苦になる待ち時間を要していない。
今のローカル線とは随分違う。
駅前から観光地に向うバスも、結構良く連絡が取れていた。
夜行列車も結構走っていたようだ。
だから、夜泊るところが見付からなかったら夜行列車に飛び乗る手が有った。
それも旅の大きな楽しみ、思い出となるのである。
札幌から稚内への移動、夜行の「準急・利尻」利用は正にそれであった。
【写真:昭和新山 昭和39年】