簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

第41回・カニ族

2009-05-12 | Weblog
“カニ族”と言われる通り大きな荷物を担いでの旅だった。
荷の中には一応、寝袋と簡易テントは持参していた。
が、安物の簡易テントは北海道初日の大沼公園の強風に煽られ、あえなく壊れ、使い物にならなくなってしまった。

お金を出して旅館に泊ると言う発想は元々無かったから、日が暮れての宿探しも、大変だったが今になって思うと、苦労を結構楽しんでいたようだ。
今では考えられないが、知らない民家やお寺に泊めて貰ったことも有った。
泊めて貰えるところが見付からず、仕方なく駅の待合室や公園で、寝袋に包まって寝ることもしばしば有った。

函館では、深夜興行中の映画館で映画を見ながら一夜を過ごしたことを覚えている。

夜遅く到着した根室では、暴風雨に見舞われ、宿捜しもままならぬまま待合室に寝袋を広げていると「そこは寒いからこっちに来い」と、多分駅員の官舎だと思うところへ連れて行き「ここを使え」と戸を明けてくれた。
何も無い部屋だったがお陰で畳の上で寝袋に包まることが出来た。

広尾では、たまたま通りかかった駅前(当時は、帯広から約2時間、広尾までJR広尾線が通っていた)のごく普通の民家に泊めてもらった。

今では芸能人が民泊するテレビ番組が放送されているが、民間人ならどうなのだろう?
そうは簡単には泊めてもらえないと思う。
しかし、当時は誰もが旅人に親切だった。

【写真:ノサップ埼灯台 昭和39年】
コメント
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