簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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第42回・青函連絡船・津軽丸

2009-05-15 | Weblog
今では、上野を発った寝台特急は、16時間ほどで札幌に到着するので青森までは凡そ9時間ほどの所要で深夜に通過することになる。
当時利用した“急行・岩手”は、上野を22時00分に発って、青森には約14時間かけ翌日の11時55分に到着した。
随分とかかったものだが、このような夜行列車は結構な本数が有ったように記憶している。

列車が青森に近づくにしたがい、乗客はぞろぞろと出口に向って動き出す。
ホームに着くと同時に誰よりも早くダッシュできるポジションを確保するためだ。
青函連絡船の待つ桟橋までは通称「200メートル桟橋マラソン」と呼ばれていた。
連絡船内で少しでも良い席を確保するために(特に夜行便では横になるだけのスペースを確保するために)、又積み残しに遭わないために人々は重い荷物を抱え、乗り場まで競って駆け出すのだ。

乗り込んだ連絡船は津軽丸、3ケ月前に就航したばかりの大型高速新造船だ。
12時20分に青森桟橋を離れ、約4時間半かけて函館桟橋に着岸する。
この船は後に「青森-函館間を3時間50分で結び「海の新幹線」と呼ばれたらしいが、1982年に運行が終了し、その後数奇な運命をたどり係留中に起こした火災を機に10年ほど前、解体された」と物の本に出ていた。

青函連絡船は、1988年青函トンネルの開通に伴い廃止された。
今では、この海底トンネルを快速列車や寝台特急等が轟音を響かせて通り過ぎているが、残念ながらこれらの列車にはまだ乗る機会が訪れていない。

【写真:津軽丸船内のスタンプ】
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