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the works of the Absolute

2012-06-01 | bookshelf
『絶対製造工場』カレル・チャペック著 翻訳:飯島周 2010年刊行
原題『Tovarna na Absolutno』チェコスロバキア1922年出版

 ゲーテの人工生命体からカレル・チャペックへ移行したのは、当然の流れでした。カフカやシュヴァンクマイエルと同じチェコ人でありながら、チャペック作品を読んだのはこれが初めて。きっかけは『絶対製造工場』という翻訳タイトル。日本人はタイトル付けるの上手いですよね。でもこの日本語タイトル、最初に翻訳出版された時は『絶対子工場』(1990年刊行、翻訳:金森誠也)で、何やら意味不明…。どうやら、内容の解釈の違いにありそうです。
 チャペック氏は「robota」(チェコ語)という言葉を物語の中で使い、それが今日のロボットを意味する言葉の源語になった、ということを、SFをあまり読まない私は今回初めて知りました。カレル・チャペックといえば紅茶?と連想する人も多いかと思いますが、近未来物語をたくさん執筆している作家です。ロボットを世界で初めて登場させた戯曲『R・U・R』の後に発表した『Tovarna na Absoluno』を直訳すれば「絶対者(神)の作品」。Absoluno英語でAbusoluteは、絶対者=神様のことです。英訳タイトルは『The Absolute at large』、直訳すると「捕えられない神様」。それが何で「絶対子工場」になっちゃったのでしょう。
 多分、翻訳者がSFとして解釈していたからだと推測できます。ストーリーは、執筆された時代から数十年先の1943年(チャペックは1938年没)、チェコスロバキア第一共和国(チャペック生前はチェコとスロバキアは別れてなかった)の金属株式会社社長が、どんなわずかな物質でも燃料にして膨大なエネルギーを長期的に放出する器械「カルブラートル」を手に入れ、それを製造し世界各国へ販売し巨万の富を築きます。しかし、その器械はエネルギーを生産する時、物質に封印されていた「絶対=神」を解放してしまうという欠点を持っていました。「絶対」という副産物は、世界中を未曾有の混乱と恐怖に陥れる結果に…というもの。日本での出版の時代が原子力発電所建設推進の頃だったので、「カルブラートル」を原子炉とダブらせたのではないでしょうか。

 確かに、本書の中で「カルブラートル」はゴミでも屑でも何でもエネルギーに変換でき、しかも副産物の目に見えない「絶対」の力で、機械は物作りを学習し自動的に生産するようになる、というコンピュータ機能を備えた夢のようなエコエネルギー製造機械の登場を予測させます。でも、ここで重要視されているのは「カルブラートル」とそのエネルギーより、副産物「絶対」の副作用なのです。そして「絶対」が引き起こした事が、何を象徴しているのか考えるには、作者のイデオロギーと国家の時代背景を知らなくてはならないでしょう。
 チャペック氏が生まれた1890年から1918年まではチェコという国はなく、オーストリア=ハンガリー帝国の一部で、彼が執筆活動していた時期はチェコスロバキア共和国として独立しファシズムが台頭、徐々にナチスの黒い影に覆われていった時代でした。彼は肺炎で病死しましたが、翌年プラハがナチスに占領されると、病死を知らないゲシュタポがチャペック邸を襲撃したそうです。彼の本の挿絵を描いていた兄は、ナチスの強制収容所で亡くなっています。
 カフカ(1883-1924年)と同時代人だったチャペックは、空想科学小説という形態で痛烈な社会批判や宗教批判をしていたことが理解できます。その点で『絶対製造工場』というタイトルもやや的を外している感がします。作者は、器械が産出するエネルギーや、「絶対」を放出(製造してるんではない)する器械が巻き起こす騒動を描きながらも、自分の国家チェコスロバキアの情勢を描き批判しているのです。
 こういう手法は、シュヴァンクマイエルもそうですが、チェコが他国の政権下に支配され、その政権を非難すると危険分子としてブラックリストに加えられる恐れがあったため、よくとられた形態でした。だから、2重3重にも面白いんですが。
 ただ、私が興味を惹かれた『絶対製造工場』というタイトルから私が連想したのは、以前読んだ本に書いてあった「1812年にアメリカで発明された永久運動装置」(当blogswindlers参照 )だったので、内容的に関係ないストーリーにちょっとがっかりもしました。

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