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a Lady men-ya ningyo Ⅲ

2011-01-16 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 3***
 「私はな、人魚といふて大事なひもの(どうなっても構わないもの)さ。どうぞ主のかみさんにしてくんな。抱いて寝てくんな。気はなしかへ。」
人魚は、豊後節の事かいな、といふ身にて、いちゃつく。それに応じて平次は、
「ずいぶん抱いても寝やうが、魚抱かつて入る時は、まだ抱かつて出ると言ふから、縁起が悪い」と言う。しかし、いい年になって未だ独身の平次は女房を選べる分際じゃないと考え、承諾する。


短い会話ですが、現代人が読むとなんか意味が解ったような解らないような…。
人魚の「~くんな」の繰り返しは豊後節の決まり文句で、哀愁のある訴えかけるような曲調でもありました。江戸人がすぐにわかったということは当時流行してた唄だったということがわかります。
それに対する平次の言葉は、ちょっと学が要ります。「貨悖(たからさか)って入る時は、悖って出ず」=「不正な手段で得た財貨は結局つまらない目的に使い捨てられる」(「礼記」より)を「魚抱かつて入る時は~」と洒落てあるのです。
礼記(らいき)とは、中国の古典、五経の一つで、周から漢時代に至る古礼についての儒学者の説を収録したものです。これは江戸人でも教養の高い人(武家や教育をうけた金持ち町人)にしか解せない洒落でしょう。

さて、密かに人魚を連れ帰った平次の家の近所は大変な騒ぎに。といっても現代人が想像するような騒ぎではなく、平次に厄除けの御札をくれと人々が押し寄せてきたのです。それは、誰かが「平次は品川沖で疫病神に魚を振る舞いそのお礼に、釣舟平次宿と書いた札を門口へ貼っている家には入らない、と疫病神が誓った。」という噂を立て広まったためでした。「それは間違い」と否定しながらも、人魚の事は秘密にしていたので、疫病神を置いていることにしていました。
ところが、どこからともなく見世物師が人魚のことを聞きつけやって来て相談に来ました。貧乏暮らしの平次でしたが、話には乗りませんでした。人魚に食事をさせようと赤ボウフラを出したところ、人魚は「わっちゃ、そんなものは嫌。落雁かおこしがいゝよ」とさすが鯉だけにグルメでした。

平次は家賃の滞納やローンが溜まり困っていました。不憫に思っていた人魚は平次の留守中に現れた女郎屋の主人に言いくるめられ、身代金七両二分で身を売りました。
     
人魚を花魁に仕立てるために義足と義手をつけて着物を着せ、髪を結い、名前を魚人(うをんど)にしました。    

さらっと流されてますが、この義足すごいと思いませんか。人形師に作らせたんでしょうか。
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