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the illustrations of the edo period culture 4

2011-02-20 | art
Ikku shows how to put the comics on the market
***江戸文化の挿絵4―十返舎一九***
一九先輩の著作『的中地本問屋』の続きです。        
        
薬の効果で怠け者の一九が早々に傑作を書き上げたので、栄邑堂村田屋は早速版木屋へ持って行った。彫師がずるけないようにここでも予め策を講じてあった。太古の昔、富士山と琵琶湖が一夜にして同時に出来たという伝説に基づいて、宝永年に富士山が出来たときに湧いた近江の湖の水を酒に入れて、彫師に飲ませたところ、これもすぐ効いて一夜の内に彫りあげた。
        
今度は摺師の出番である。板行を摺る手合に、朝比奈(曽我の五郎の血気をとどめんと鎧の草摺を引き合った怪力)と景清(源平合戦で源氏の美尾谷[みおのや]十郎と戦って兜の錣[しころ]を引きちぎった平景清)にあやかって、二人の腕を黒焼きににしたものを酒に混ぜて飲ませたところ、板摺手合の腕が途方もなく力強く達者になり、一日に一人で何万枚も摺ることが出来た。
        
摺り上がった草紙を順に一枚ずつ揃える作業を丁合をとるという。挿絵では、左側の小僧が△の道具で山を作り半分に折っている。それを右側の男が丁合をとる。これも早く出来るように、東海道の小夜の中山の八打鉦(やからがね:沢山の叩鉦を腰につけて目まぐるしく打ち鳴らすもの)を黒焼きにして飲ませると、丁合いをとる者はちゃんちゃんちゃんとすぐに仕上げてしまった。
出来たものは重しを載せて積んでおく。中央に積んであるのは草紙ではなく一枚ものの浮世絵。村田屋の主人の後ろに分厚い帳簿があるので、この部屋は版元の処であるのがわかる。製本からは版元で使用人がやっていた。←この事実は重要ポイント

        
丁合の次は、上下左右を裁ち揃える作業がある。画のように包丁で切るのだが、これが裁ちにくいもので手間がかかる。そこで、祇園豆腐(京都の八坂神社の近くにある茶屋で売り出した絹漉豆腐。仲居の女にお金を渡すと豆腐の曲切りを見せたという。)の包丁を煎じて飲ませると、たちまち手が早くとんとんとんと切ってしまった。
さて、村田屋が悩んでいるのが次の工程、草紙の表紙掛け。表紙掛けは、ヘラで折目や筋目をつけたり糊付けをする難しい作業で、(難しいのに)これは子供がすることになっているから、どうやったら仕事がはかどるだろうかと思案している。

木版画の製作工程は、歌川国貞が1857年(安政4年)「今様見立士農工商職人(いまようみたてしのうこうしょうしょくにん)」に描いています。
        
彫り、摺りは職人が個々にやりますが、この絵は一図にまとめてあり、職人達の姿は美人に見立ててあります。手前中央の作業は、板木を摺る奉書紙に絵の具がのりやすいようにドウサを引く仕事です。江戸へ出てきた一九が蔦重に居候していた時していた仕事がドウサ引きでした。
        
1799年寛政11年北斎画「絵本東遊」の耕書堂の店先(一部)。確かに丁合をとる者や裁つ者の姿が確認できます。ここで疑問が生じます。製本は版元でやってたことは確かですが、刷り上るまでは専門職人が個々の仕事場で仕上げていました。それなのに、一九はどうして版元の蔦重の処で摺師がやるドウサ引きをやっていたのでしょうか?


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