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folklore accepted as Japanese history 4

2018-08-28 | ancient history

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 『天の岩戸神話』が、古代人の素朴な日蝕伝承から発生した神話だと思っていましたが、『天の岩戸神話』を『古事記』や『日本書紀』に採用した奈良時代には、日本書紀に何度も日蝕があったと記述されているから、日蝕現象は理解されていました。研究者によれば、「日神が洞窟や箱に隠れ、これをおびき出すという主題の神話」は東南アジア諸国に広く存在し、南方系のフォークロアだといいます。「南方系」であるのなら、日本に伝えたのは海人族で、『国生み神話』のオノゴロ島ではないかといわれる淡路島の南の島・沼島に伝承された神話で、イザナギ・イザナミの神話と共に大海人皇子に採用されたのではないでしょうか。
 ここで疑問になるのは、日蝕神話が天武天皇(大海人皇子)政権とどう関わっているのかということです。洞窟に籠る前のアマテラスは、高天原にやって来たスサノオに対して過剰とも思えるほど強い態度をとってます。ところが、その後は人格が変わったように弱々しくなり、岩屋から出てきた後は存在感すら残していません。大海人皇子が、ここでアマテラスの日神としての偉大さを誇示しようと意図したとは感じられないのです。とすると、やはり『天の岩戸神話』の真の主人公は、天のウズメなのだと思います。
 アマテラスが籠った岩屋の前で天のウズメと集った神々の行った所作には、細かい説明がついています。
1.長く鳴く鶏を集めて鳴かせる
2.イシコリドメ命が鏡を作る
3.タマノオヤ命が5百個の勾玉で八尺の玉飾りを作る
4.天コヤネ命(中臣氏の祖先)とフトダマ命が、天の香山の桜の木で香山の雄鹿の肩甲骨を焼いて占う
5.アマツマラが天の安河の川上の堅い石と鉱山の鉄で精錬する
6.香山の賢木(サカキ)を取って、鏡・玉・白と青の御幣を垂らす
7.フトダマが供物を捧げ、コヤネが祝詞を唱える
8.ヒカゲノカズラをたすきに掛け、頭にツルマサキを被り、笹の葉を持ったウズメが伏せた桶の上に立つ
9.ウズメは桶を踏みつけて、神がかりのようになって着物をはだけて踊り狂う
以上は『古事記』の記述で、『日本書紀』には出てこない「鉄の精錬」がありますが、鉄が何に使われたのか書いてないので元々の儀式には入ってなかったと思います。
 この「儀式」ですが、少なくとも600年代末から宮中で行われていた国家的行事の1つ「鎮魂祭」と類似点があるそうです。祭りの詳細が書かれてある平安時代の年中行事の本によると、「宮中の巫女たちが、神祇官に神々を奉斎すると、内侍が天皇の着衣を箱に入れて持ってくる。神楽が始まり、巫女たちの舞いが行われる。彼女らは、宇気槽(うけふね)を伏せた上にあがり、杵で槽をつく。十度つくごとに神祇官の長が木綿蔓(ゆうかずら)を結ぶ。これらが終わると、巫女たちと猿女君が舞いをする」のだそうです。上記の本『神話から歴史へ』には猿女君がどんな舞いをしたのかまで書かれていませんが、桶を伏せて鳴らして踊るスタイルは「天の岩戸神話」での天のウズメの踊りと同じです。
 古代の祭りについて書いてある文献『古語拾遺』(807年)によると、この鎮魂祭は元々猿女君が伝えたものだといいます。猿女君は天のウズメの子孫で、稗田阿礼の稗田氏は猿女君の末裔です。600年代後期は天武・持統天皇政権の時代。天武天皇(大海人皇子)が、稗田阿礼から稗田氏に伝わる鎮魂の儀式を国家行事に取り入れた可能性は高いです。それとも、天武以前から大和の地で行われていた祭り事だったのでしょうか。
 鎮魂とは、遊離した人の魂を呼び戻すこと(『令義解』による)だとされています。鎮魂祭は、亡くなった天皇の魂を呼び戻す祭事だったと考えられます。そういう意味を持った儀式であれば、細かいルールまで伝承され記録される理由に納得がいきます。
 また、この鎮魂祭で歌われる鎮魂歌の中に、豊日孁(トヨヒルメ)の魂を呼び返そうとする歌があり、トヨヒルメとは日神の事なので、衰えた太陽の力を呼び戻すという「冬至の祭り」であった、という学者の見解もあります。『神話から歴史へ』の著者も冬至説に同意しています。

以上をまとめて、私はこう考えました。
 弥生時代まで遡るかどうか不明ですが、古代にウズメと呼ばれた巫女が「冬至の儀式」で日神の力を呼び戻す重要な舞いを取り仕切っていた。ウズメが属する巫女集団は大王に仕え、猿女君という姓(カバネ)を与えられた。本拠地の伊勢国から大和の地へ移った集団は稗田氏を名のった。稗田阿礼から「冬至の儀式」の伝承を聞いた天武天皇が、自分の一族の皇祖神として立てた天照大御神が日神=トヨヒルメであることから、太陽の力=大王(天皇)の力という意味を持つようになった。それで、後世に伝えるために、海人族に伝承されていた日蝕神話と合体させて「天の岩戸神話」として『古事記』に残した。


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