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folklore accepted as Japanese history 8

2019-02-13 | ancient history

岡山県玉野市玉にある「玉比咩神社」
境内には大きな霊岩がある
ご祭神は豊玉姫命(ホオリの妻で、カムヤマトイワレビコの祖母)だが
ここでは浦島太郎伝説の乙姫だという

 『古事記』『日本書紀』で、倭国の初代天皇カムヤマトイワレビコの祖母とされているトヨタマヒメは、現代の日本においては「浦島太郎」伝説の乙姫様として祀られています。
 お伽噺の『浦島太郎』の基になった伝説は、『日本書紀』の雄略天皇の項に記されている水江浦島子(みずのえのうらしまのこ)の話と云われています。浦島子は、丹波国与謝郡(現在の京都府宮津市、伊根町、与謝野町がだいたいの範囲で、天橋立のある周辺に位置している。713年丹後国設置の際の5郡に入れられた。)の筒川の人で、舟に乗って釣りをしていたら大亀を釣り、その亀がたちまち女になっのを見て感動した浦島子は、その女を妻にして一緒に海中に入り、蓬莱山に至って仙境を見て回った、という要約した話が『日本書紀』に記載された内容です。その前後とは全く関係ない逸話で、この話の後に「この話は別の巻にある」と書いて締めくくられています。“別の巻”というのは『丹後国風土記』のことでしょうか、その逸文には、浦島子は日下部氏の祖と書かれてあるそうです。しかし『紀』にその記事はないので、日下部氏の起源を記したわけではなさそうです。また、大亀が瑞祥だとしても、時の権力者雄略天皇と全く関わらない話です。前後の記事が、国内外の情勢(おそらく事実)の記述なだけに、異様さが際立っています。ちなみに浦島子の話は、『古事記』にはありません。
 そして、この謎の物語は浦島太郎伝説として、全国各地に所縁の地が存在します。江戸時代の中山道(木曾街道)上松宿に近い木曽川にある景勝地“寝覚の床”も、山の中ですがその1つです。
 陸に戻って来た浦島太郎が、日本諸国を遍歴した後その地に落ち着いて釣りなどして暮らしていましたが、ある時玉手箱を開けてしまい、老人と化してしまった、という言い伝えがあるそうです。水江浦島子の後日譚といった伝承ですが、実はこの寝覚の里には、長寿の薬を売っていた三返りの翁(みかえりのおきな)という人物が住んでいたという伝承もあり、この三返りの翁が浦島太郎と同一視されるようになったのではないか、ということでした。
 各地、特に漁労に拠った地域では海神を祀っていたので、大亀が化した浦島の妻が、海神の娘トヨタマヒメと同一視されるようになったのか、あるいは近代になってこじつけられたのか…民間伝承は、時と共に変化してしまう見本だと思いました。
 ただ、水江浦島子の話が日本書紀に記されるほど重要だったという事実は見逃せません。そこに書紀編纂者の何らかの示唆を感じました。
 浦島太郎伝説は、カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の祖父ホオリ(山幸彦)と妻の海神トヨタマヒメの神話とそっくりです。浦島太郎伝説の基は、本当にあった事だと記されている水江浦島子の話だといいます。水江浦島子の話は雄略天皇の死ぬ前年(西暦500~505年頃)とされるので、海幸山幸伝承の方が古いはずです。ですが、本当は、海幸山幸の物語はこの時代の水江浦島子の話を基にして記紀の編纂の頃に創作されたのではないでしょうか。
 『古事記』は種明かししていませんが、『日本書紀』が数ページを割いてまで記述した海幸山幸伝説を通して、時の為政者が伝えたかった事とは何だったのか考えてみました。

 
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