スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

芭蕉翁ゆかりの「蓑虫庵」へ

2007-08-18 08:53:05 | 出来事
一昨日、上野市の莫山さんの棲みかから、芭蕉翁ゆかりの「蓑虫庵」へ。
「蓑虫庵」の電話番号をカーナビに入れると、すぐに出てきた。なんとも便利なものだ。

直径10センチほどの丸太を、3mの高さに立てかけた塀に囲まれた「蓑虫庵」。
ひとり300円を支払い、木立に囲まれた庭に入る。
係りの人が、「どうぞ、この蚊取り線香をお持ち下さい。」と、渦巻き式の容器を持って追いかけてきた。
庭園内のアチコチに、蚊取り線香が煙を出している。池があり、湿っぽいから蚊も居るのだろう。

ちょうど、「古池塚」の表示柱の横に、上部に丸い窓が開いた石碑とその後ろにある「池」を覗き込んでいたときだった。
「この池は、違うのですよ。」
係りの人は、入園のとき受け取ったパンフの補足説明なのか、いろいろ説明して下さる。

ザラついた石に「古池や蛙飛こむ水の音」の字の下に、浮彫されたカエルが手足を広げ飛込む姿がある。
「この石碑は、東京・深川から掘り出して持ってきたものです。また『芭蕉』ではなく『はせを』となっているでしょう。」
よく見ると「○せ○」。「せ」は読めるが、「は」と「を」は分からないが・・・。

この「蓑虫庵」の名前の由来も教えてくださる。
「芭蕉翁の弟子であった服部土芳(はっとり どほう)がこの庵を建て、その数日後にお祝いに訪れた芭蕉翁が『面壁(めんぺき)の像』を描き、《みの虫の音をききにこよ草の庵》と讃して与え、この句のうえ5文字をとって【みの虫庵】と呼ばれるようになったのです。」

この庵は、かなり傷んできている。屋根、縁側、当時のままかなぁ。
それに比べ部屋の中、床の間だけは輝いてみえる。
「ホンモノは個人所有のものなので、床の間に掲げられた掛け軸は模造品なのですが・・・」と断って、
「みの虫の・・・・」の掛け軸に描かれた後ろ向きに座った人が、壁?に向かってこの句を眺めている?
『面壁の像』の掛け軸だ。意味深な掛け軸の絵だ。

次の入園者が来られるまで、説明が続いた。何故か得をしたような気分になれた。

隣の「芭蕉堂」には、舟仙作の芭蕉像が置かれ、脇に土芳さんの位牌が置かれていた。
趣のある茅葺き屋根が、いい雰囲気だ。

蚊はいなく、刺されることもなかった。
蚊取り線香の香りが漂う「蓑虫庵」だった。


縁側から見た「みの虫庵」。


こちらが正面なのかなぁ。でも、入り口に釜戸があった。

芭蕉翁が土芳さんに贈った掛け軸。 《みの虫の音をききにこよ草の庵》


「芭蕉堂」。芭蕉像が置かれ、脇に土芳さんの位牌が置かれていた。


蕉風開眼をあらわす円窓のある石碑。あの有名な「古池や蛙飛こむ水の音」の句が彫られているのだ。跳躍するカエルが浮彫にされている。深川から持ち込まれたものだとか。 


カエルの隣には「はせを」と彫られているそうだが・・。


庭は、木陰があって比較的涼しい。蚊取り線香の煙がアチコチに・・・。


これが正面玄関かなぁ。もう一箇所、茅葺きの小さな屋根があったが・・・。庵への入り口は別のところだった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「莫山先生」のこと

2007-08-17 08:19:22 | 魅せられた「書」探訪
いやはや、困ったことに、いま 「莫山(バクザン)さん」(失礼ながらこう呼ばせてもらう)にはまっている。
惹かれる文字と絵、そして生き方そのものに興味があるのだ。 <榊 莫山 先生の紹介>
昨日、北畠氏館跡庭園を訪ねたあと三重県上野市にある莫山さんのお宅に立ち寄ることにした。(けっして訪問でなく、見るだけなのです。)
ネットで住所を調べたが、「上野市」というだけで、詳しいことが分からない。仕方なく、地元で尋ねるしかなかったのだ。

そもそも、莫山さんのとりこになったのは、腰を痛めて動けないときに、「莫山書話」という本を読んだおかげ?なのだ。
地元の本屋に莫山さんの本を何冊か注文している。「野の書」「書百話」「漢字ちょっといい話」などを・・・。在庫があるのかないのか、まだ連絡がない。
気取らずわかりやすい言葉、読んでいて飽きない。絵や風景が浮かんでくる文体で、肩の凝らないものなのだ。それでいて、説得力がある。こころにグサッとくるときもある。

昔、NHKのある番組で、飄々とした口調で「書」のこと「文宝四宝」のことを話しておられた。
河内弁に大和ことばを交えた、飾りっけの無い、ボサボサ頭の「莫山おじさん」。
何回かの連続だったので、毎回楽しみにしていたのだ。

また、ある時は、自宅の菜園畑で、カブラをひいておられた。奥さん共々、農家のおじさん・おばさんの風貌だったと記憶している。

面白い人だ。西国三十三ヶ所巡りのお寺の境内にも、先生の書の石碑が迎えてくれた。どの作品も人間味ある詩書画だ。思わず佇みうっとりしたものだ。


この莫山さんの棲みかを覗きたくなって、上野市内の何箇所かをたずね、尋ね・・・。ついに、たどり着いた。

田舎暮らしとは知っていたが、やはり・・・というか、さすが邸宅という感じのお宅。もともと生まれはここ「上野市」。ここが昔からの実家なのかもしれないが・・・わからない。近所の人に聞いておくべきだった。

道路から少し入った小道。車で自宅の庭まで入れるのだ。
手入れの行き届いた日本庭園が広がる。庵のような屋根が奥のほうに見える。

オットこれはいけない。車が吸い込まれて庭の中に入ってしまいそうになる。
一旦手前の道まで戻り車を停め、歩いて自宅の庭前まで歩く。

下駄履きで、浴衣姿の莫山さんが、ウチワ片手に庭先から出てこられるのでは・・・と期待したが・・・。この暑さでは・・・とても無理だ。

広い庭には趣のある建屋・館が点在する。エアコンの室外機が音をたてている館がある。
今頃、筆を振るっておられるのだろうか。昼ごはんかなあ。

石垣で囲まれた屋敷の周りを歩きはじめたのだが、さも怪しいヤツだと言わんばかりに隣家のワン公が吠え続ける。やむ無く途中で諦め、ひき返した。

遠くから、屋敷を撮らせてもらった。
山ふところの木々に囲まれた、こんもりとした一帯が屋敷だ。

あまりの暑さで、長居は出来ず、車に戻った。
次の予定地である三重県上野市にある芭蕉五庵のひとつである「蓑虫庵」に向かった。




西国14番札所「三井寺」境内にある莫山さんの書。アチコチに作品があるのだ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北畠氏 館跡 庭園の碑

2007-08-16 20:50:25 | 魅せられた「書」探訪
また榊莫山さんの本に載っていた「伊勢路の北畠氏館跡庭園」の入り口に建つ「石碑」を訪ねた。

私が知らないだけかも知れないが・・・。この庭園、かなり有名みたいだ。
桜井市から宇陀市へ、そして御杖村から三重県津市美杉地区に向かう途中に、大きな案内看板を何度か見かけた。

美杉地区にある北畠神社神苑の一部になっている「国指定文化財 北畠氏の館跡(やかたあと)庭園」だ。

今日は全国的に暑い。体温以上の暑さだ。
車から出るのが辛いほど暑い。この山奥でも道路上は38℃は超えてそう。
北畠神社の鳥居前に停め、木立の陰を探しながら境内に向かう。
境内には、杉の巨木が何本も聳えている。歴史を感じさせられる神社だ。

広い境内の中ほどにある社務所に向かう手前に石碑があり、生垣に囲まれた庭園が覗ける。
庭園面積850坪(2,805㎡)。入園料300円であるが、庭が目的でないので、垣根の隙間からレンズを覗かせて何枚か撮った。タダ撮りだ。ゴメンナサイ。

庭園は、室町末期頃、伊勢国司七代北畠晴具(ハルトモ)の時代に、著名な作庭者・細川高国の アドバイスによって造園されたと伝えられ、越前一乗朝倉庭園(福井県)、近江朽木谷秀隣 院庭園(滋賀県)などともに武将好みの野生味を残す名園として有名なのだ。

この庭園は数少ない神社の庭園であり(お寺の庭園は多いらしい)、しかも武将の作った庭らしく素朴であり、豪放であり、野性的な魅力があるといわれている。
昭和11年に、国の「名勝及び史跡」に指定され、500年を経ても当時の姿を保っている貴重な庭園である。

さて、目的の「石碑」であるが、碑に苔が張り付き文字がハッキリしない。 莫山さんが来られた時に写された碑の文字は、もっとハッキリ・クッキリしている。

碑を見られた莫山さんは、次のように述べておられる。
『わたしは、この庭園の碑を眺めながら、こりゃ名作やないけど、いい字だな、と思った。上から下へと、意外に書きづらい字がならぶ。が、この碑の文字は、軽くもなければ重くもなく、威張ってもいないし、遠慮のしすぎでもない。誰もが安心できる中庸の美が、この碑の魅力となっている。』
『ならば一字を、と問われたら、わたしは迷わず「庭」の字が一番、と答えよう。いいも、いいも、泣けてくるほどよい。ほかの字は、みんなこの庭のひき立て役である。』

この石碑には「名勝 史跡」と彫られているので、昭和11年以降のものだ。
「庭」という字をアップで撮ろうとしたが、彫られた中に苔が生えていてレンズ越しでは、よけい分かりにくい。苔を剥がしたくなるほどだ。

よし、この「庭」という字を練習したくなった。そのうちチャレンジしようと思う。


石碑には「名勝史跡 北畠氏館跡庭園」と彫られている。


この「庭」の文字は、莫山さんがお気に入りなのだ。


北畠氏の館があったところだ。北畠神社の鳥居をくぐり神苑に向かう。


北畠神社神苑の一部、850坪に武将好みの野生味を残す名園なのだ。


石碑の上には、椿の実が・・・。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日香の里を見下ろして

2007-08-14 13:38:20 | 出来事
腰の調子もかなり良くなってきた。
今朝は、車で20分ほどの「明日香の里」が見下ろせる「明日香村・冬野」という山の中へ。

というのは、私の好きな詩書画家・榊莫山さんの「莫山書話」に載っていた冬野地区にある「良助親王冬野墓」の石標を見るためである。
莫山さんが、ご自分の著書「野の書」発刊のあとでこの石標の楷書文字の美しさに気が付かれたようで、「野の書」には載っていないが「知っていれば、のせないはずがない。」といわれており、この文字について次のように記されている。

「来てよかった--と思ったのは、淡い苔におおわれた石の文字を見つめたときだった。その字は、かって見たこともないほどの清涼な楷書で、いくらか興奮をおさえてその清涼を見すえていた。」と。

そんなに莫山さんが気に入られた文字を見たくなったのだ。

あの有名な「石舞台」を通り越し、東の山に向かい、細川地区にあった「上畑→」という小さな看板から右手の山道に入る。
鬱蒼とした木々のトンネルを何度もくぐり、ウバユリや藤の花を見ながらどんどん登る。明日香村クリーンセンター前を通り、行き止まりの手前にその墓はあった。ちょうど、桜井市の多武峰・談山神社の西側にあたり、あと800m進むと「多武峰」であるとの標識があった。

小さな墓で、こんもりとした木々に覆われている。「亀山天皇の皇子」がこの墓の主「良助親王」だ。亀山天皇や良助さんのことは全く知らない。そのうち勉強することにしょう。
何で、このような山奥のところに・・・と思うが・・・。
観光地化して綺麗になる明日香は、ここでしか昔の「明日香の里」に遭えないのかもしれない。そんな静かで凛とした中に佇んでいた。

石標は、淡い苔がつき、文字もハッキリ読み取れる。
早朝の6時。周りは清涼。まだ陽も差し込んでいない。
この場所に、この墓に、この文字がピッタリあっているのかもしれない。
やはり、感慨深いものがある。文字を指でなぞりながら、しばしその場に佇んでいた。

この冬野地区から降りてきたところに「上畑」という地区があって、この里のお寺である「高山寺」に、文人・小説家 五味康祐さんが居た寺に寄ってみた。
これも莫山さんの本の中に出ていたからである。
「名古屋で車の事故にあい、五味はひっそりと、ここ明日香は上畑の山寺へやってきて、しばらく小説をかいていた。」という寺だ。

無住の寺と記されていたが、今は誰かが住まれているようである。庭に車が停めてあり生活感が漂っており、縁側には昨晩、宴会された跡が伺えた。
五味さんが一升瓶を持って出てきたりして・・・と思うような縁側であった。
板塀に取り囲まれた古木の「百日紅(さるすべり)」が、無残にも枝が朽ち、今にも倒れてしまいそうで・・・もう少し、手入れをすればいいのに・・・可哀相な気がした。あの世で、五味さんが嘆いているかも・・。

ここの本堂に五味康祐さんが座り、何の小説を書いていたのだろうか?想像するだけでも面白いものだ。
この里には6~7軒の民家があった。五味さんのことを誰かに聞こうとしたが、早朝のためか誰も出てこない。見かけない。ただ、お盆であるためかお経を唱える鉦の音だけが聞こえていた。

この山里を登ってくるとき、「明日香の里」が一望できるポイントが何箇所かあった。
冬野と上畑の中間くらいの曲がり角が、絶好のポイントだ。

左から金剛山、葛城山、二上山、信貴山、生駒山をバックにして、右手前には畝傍山(199m)、香具山(152m)、耳成山(140m)の大和三山が点々と見える。素晴らしい眺めだ。
ふもとの明日香の里は、熱帯夜が明け朝露で涼しさをもらったところだ。 まだ、空の色は濁っていない。
カメラフレームの中に、緑色の田圃と点々とした丘陵と森、白い民家の屋根。そして左右に一直線に伸びた京奈和自動車道路が一昔前の絵に加わったのだ。
この場所から二上山あたりに落ちる夕陽を撮りたいものだ。


明日香村・冬野にある「良助親王冬野墓」。


榊莫山さんがほれ込んだ石標に彫られた楷書の文字。文字を指でなぞってみると・・・・・。なるほど、なるほど・・・・。


五味康祐さんが住んでいたという「高山寺」。サルスベリの古木があったが、花は無く、なぜか痛々しかった。


境内に車が停めてあり生活感が漂っていた。今にも、ヒゲ面の五味さんが出てこられるのでは・・という雰囲気で・・・。


大和三山が一望できる絶好の撮影ポイントがいくつかある。

左の奥には葛城山、そして二上山。明日香の里が広がる。

右中央から左に向かって伸びる白い線が、京奈和自動車道路なのだ。
今までの風景も変わりつつある。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩で出会った花たち ③

2007-08-13 07:39:31 | 出来事

今日の早朝散歩は、ちょっと山の手側の畑の小道。

菜園畑が続く。野菜の収穫時期が過ぎたのか、花や実が少ない。

それでもいくつかの実や花に出会った。

立ち止まっての撮影で、ウロウロ・キョロキョロのわずか30分ほどの散歩であるが、しっかり汗をかいてしまった。


イガイガ頭の「栗」。


花の大きさは15cmほど。これは「チョウセンアサガオ」かな?


沖縄では「ゴーヤ」とか「ツルレイシ」とよばれているが、こちらでは「ニガウリ」と呼んでいる。


胡麻(ゴマ)の花。


向日葵(別名:サンフラワー)。夏の風物詩だ。痩せ地でも逞しい生命力で花が咲く。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする