由緒ある神社・仏閣には、その門の前あたりに必ずこの「下馬」なり「下乗」の石碑が置いてある。
馬に乗ってきた偉い人を降ろすほどの威厳ある文字でなければならないのだ。
ひとつは高市郡明日香村にある西国三十三番札所・第7番「岡寺」の朱塗りの仁王門前にある「下馬」の石碑。
もうひとつは、多武峰・談山神社の東大門をくぐった広場にある「下乗」と彫られてデンと構えている石碑である。
岡寺の「下馬」
「岡寺」の仁王門前にある「下馬」の石碑。
岡寺の創建は663年(天智天皇2年)。でも、いつ頃からこのような乗り入れ禁止の碑が出来たのだろうか。
この岡寺の場合は、境内への乗り入れ禁止は分かる。階段が多く狭い境内であり、馬では無理。
まあ、それよりも神聖なる境内への立ち入りを禁じたのだろう。
談山神社・東大門の「下乗」
談山神社・東大門の奥に置かれている「下乗」の石碑。20mほど奥、石垣手前に置かれている。門の真下にあるのは車止めの石。
多武峰・談山神社の場合はどうだろう。
藤原鎌足の墓として678年(天武天皇7年)鎌足の長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父・鎌足の墓を大阪・高槻からこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。この領域への乗り入れ禁止は、当時の権力者の墓地であっただけに当然だったのだろう。
ここ東大門の奥に置かれているのが「下乗」の石碑。「乗」の文字が凄い睨みを利かせている。
「下馬」「下乗」というのは、屋外に置かれるためだろうか太い文字が深く彫り込まれ、風雪に耐えるようにされている。
もし、創建当時から置かれているのであれば、1330年以上も経っている。なかなか力強い彫り物だ。これは、書き手より彫り手を褒めるべきだと思うのだが・・・。
馬に乗ってきた偉い人を降ろすほどの威厳ある文字でなければならないのだ。
ひとつは高市郡明日香村にある西国三十三番札所・第7番「岡寺」の朱塗りの仁王門前にある「下馬」の石碑。
もうひとつは、多武峰・談山神社の東大門をくぐった広場にある「下乗」と彫られてデンと構えている石碑である。
岡寺の「下馬」
「岡寺」の仁王門前にある「下馬」の石碑。
岡寺の創建は663年(天智天皇2年)。でも、いつ頃からこのような乗り入れ禁止の碑が出来たのだろうか。
この岡寺の場合は、境内への乗り入れ禁止は分かる。階段が多く狭い境内であり、馬では無理。
まあ、それよりも神聖なる境内への立ち入りを禁じたのだろう。
談山神社・東大門の「下乗」
談山神社・東大門の奥に置かれている「下乗」の石碑。20mほど奥、石垣手前に置かれている。門の真下にあるのは車止めの石。
多武峰・談山神社の場合はどうだろう。
藤原鎌足の墓として678年(天武天皇7年)鎌足の長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父・鎌足の墓を大阪・高槻からこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。この領域への乗り入れ禁止は、当時の権力者の墓地であっただけに当然だったのだろう。
ここ東大門の奥に置かれているのが「下乗」の石碑。「乗」の文字が凄い睨みを利かせている。
「下馬」「下乗」というのは、屋外に置かれるためだろうか太い文字が深く彫り込まれ、風雪に耐えるようにされている。
もし、創建当時から置かれているのであれば、1330年以上も経っている。なかなか力強い彫り物だ。これは、書き手より彫り手を褒めるべきだと思うのだが・・・。