スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

石舞台の石切り場跡を訪ねて

2011-08-09 23:04:51 | 出来事


先日、知人から石舞台古墳の石を切り出したところがある・・・良かったら観てくれば・・・と、資料を頂いた。
石舞台古墳・・・7世紀前半に造られたとされ、蘇我馬子の桃原墓(ももはらのはか)とも言われている、誰でも知っている巨石がむき出しの古墳だ。この巨石を切り出したところとは・・・・すぐにでも行きたかったのだが、用事があって行けず、やっと今日になった。

この石切り場は、石舞台から東に向かい・・・細川を通り上(かむら)に向う新しく出来た多武峰道路沿いから少し入った薬師堂近くにあった。
最初、上(かむら)村の中にあるものと思い細い急斜面を彷徨ったが・・・気都倭既神社(けつわきじんじゃ)前ですれ違った村の人に尋ねると、すぐに分かった。石切り場跡のことを尋ね・・・・

『石舞台の石は、ここの石切り場の石なんですね。』と聞くと、『そんな伝説もあって・・・。ある説では多武峰の山から切り出した・・・とも言われています。でも・・・高い山を超えてこなければなりませんから・・・ね。それよりも、この近くの川をイカダを組んで流したのではないでしょうか?  細い道では・・・大変でしょうし・・・。』

なるほど、もっともだ。川の中をイカダで流したのだ・・・なんて、納得しながら・・・・。でも、あの大きな石を乗せるイカダって・・・余程、川が広くて、水量があったのだろう・・・なんて、言いながら、薬師堂を目指します。



綺麗な薬師堂だ。無住のこのお堂には、薬師如来像、脇像十一面観音像、守護四天王像、鎌足公木造が祀られているという。

このお堂の周りにも、巨石が見られます。特に、境内に入る手前の川の中には、石舞台の上に乗っている巨石ほどの石が・・・。





更に、今にも頭上から崩れ落ちそうな岩を見上げながら奥に進みます。




やがて、水の流れ落ちる音が聞こえると、大きな岩組みのスペースが現れます。その周りにも、巨石が転がっています。



滝というには、少し寂しい感じですが、確かに岩を切り取ったような・・・石切り場であったような・・・そんな感じの場所です。
最上部から水が流れ、それを受けている石はかなりの大きさです。不動明王が彫られた石もあって・・・この場所は神聖な場所なのでしょう。村人によって祀られているのか灯明が用意されています。



さて、ここの石が、石舞台で使われている花崗岩なのか・・・。石の材質もわからない私ですが、帰路、石舞台に立ち寄り、見比べてみることにしました。
また、私が第二の石舞台と呼んでいる細川の田圃の中にある石との比較も・・・。

第二の石舞台の石・・・よく似ています。
比較的、岩が尖っています。石切り場から近くなので、転がしてもカドが削れなかったのかも・・・。



明日香には、多くの古墳があって、それらの中にある石棺は巨石で守られ、黄泉の国の人が安らかに眠っておられます。

巨石をどのようにして切り出し、運んだのでしょうか? やはり、川の中をイカダで・・・。



入場料なしで、石舞台の全貌が見えるところから撮りました。
あの石切り場の石と同じ石なのでしょうか?
私には、同じようにも見えますが・・・。

引き摺ってここまで持ってきたため、丸くなったのか・・・。それとも、昔、この石の上に登っていた記憶があるので・・・上部は磨かれて・・・突起が少なくなっているのでしょうか。

伝承の石舞台の石の石切り場跡・・・涼しさとロマンを求めて・・・みなさんも訪ねられれば如何でしょうか?


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2 コメント

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Unknown (hetappy)
2011-08-11 09:21:45
石舞台の石ですか!!
なるほど、巨石が目立ちますねぇ。
あれだけの石ですから、川を筏で下ったのでしょう。
その頃の川は今とは比べ物にならないほどの川だったのでしょうね。

え~っ、石舞台の上に乗った!?
何とおおらかな時代だったんでしょうね。

それにしても、奈良は読み方の難しい地名の多いこと!
上と書いて、「かむら」と読むんですね。
字は簡単なのに読み方が…
「尾曽」「上居」そうそう宇陀市の「拾生」も読めませんでしたよ。
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Unknown (ヒキノ)
2011-08-19 21:39:21
石舞台の石は近くで採掘したものと思っていました。
いわれてみるとそんなにうまくはいきませんね。
やはり運んだのでしょう。アンコールワットの巨石も水路で運んだといわれます。比重の関係で少しは軽くなるのかな。
江戸城の石は鎌倉方面から水路で運んだといわれます。神田方面に鎌倉河岸という地名があります。
昔の人の知恵ですね。
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