「明日香」といえば、「石舞台」です。
古墳でありながら「石舞台」と呼ばれているのは、天井石を舞台にして月夜に狐が美女に化けて、石の上で舞いを舞ったという伝承・・・。
また、旅芸人がこの石の上で舞を披露したということから・・・・どちらも真偽のほどは・・・ワカラナイ。
この石舞台がある一帯は島ノ庄と呼び、もともと蘇我氏の所有地だったのだ。
当時強大な権力を誇っていた蘇我馬子の庭園があり、そのため蘇我馬子の墓と伝えられている。
玄室と羨道を通って横穴式石室に向かう。排水溝も設けられていたのだ。
墳墓は東西約55m、南北約52mの大きさで、石組みの部分だけでは、全長19.1m、高さ7.7m、重さは75トンを超えると推定される日本最大級の横穴式石塞で、古墳時代後期のものだ。
石室の内部。この中に「家形石棺」が納められていたと思われる。
昔は、水田の中に上部のみ露出していたらしいが、昭和8年(1933)から発掘調査が行われ、その全貌が明らかになった。それにしても、何故石がむき出しになったのかは謎なのだ。
50年ほど前に見た石舞台付近とは、見違えるほど綺麗に整備されている。
公園化された石舞台の周囲には、「あすか・かぜ舞台」という多目的休憩所が設けられ、万葉歌の音楽祭や観月会、時には花火の打ち上げなどのイベントが催され、現代版・石舞台となっている。
西隣にも、土産物店と食堂が新築され、古代米カレーのメニューが好評だ。
古墳に眠っていた蘇我馬子も、あまりの賑やかさに・・・驚いているに違いない。
私は昔の佇まいのほうが、「古墳・墓」として相応しいのでは・・・と思っているのだが・・・。
桜の季節に、この東側の高台から見下ろすと綺麗だろうなぁ。右側の遠くに二上山が見える。
平成18年3月に、古墳の東南の丘陵上から、大きな柱を建てた痕跡や古墳の造営のための施設と考えられる建物の跡が見つかっている。
その時の様子を紹介した案内看板があった。なかなかの知恵者がいたものだ。