「硬い」話が続きます。「石」の話ですからご辛抱下さい。
今回は鬼にまつわる巨石です。「鬼の俎(まないた)」と「鬼の雪隠(せっちん)」といわれている石です。
鬼の俎(まないた)。石棺の「底石」です。「宮内庁・管理」の看板が立っています。
鬼が包丁で切った跡が・・・・。でも、これは細かくしてお城の石垣に使おうとして、途中で止めたもの・・・なのか・・・。
これと同じ形のものが、東側で発見されています。
大昔、この付近は霧ケ峰と呼ばれるところで、鬼が住み、通行人に霧を吹きかけ迷わせたところを捕らえて、俎板の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足したという伝説があるのです。
この二つの石は、飛鳥駅の近くにある欽明天皇陵から約1kmで、東に伸びる遊歩道の高台にあり、道の上側に「鬼の俎」が、下側の畑の一角に「鬼の雪隠」があるのです。
これらの石には、自転車か徒歩でなければ行けません。車での通行は禁止されています。運動不足の私には、ちょうど良い距離にあります。
「鬼の雪隠(せっちん)」。畑の一角にあります。遊歩道を挟んだところに「鬼の俎(まないた)」があります。
これは石棺の「蓋石」です。1枚目の写真の「底石」とセットになっているのです。
前述のような鬼伝説はあるのですが、江戸時代からはじまった調査によって、この巨石は古墳の内部施設と認識され、鬼の俎(底石)の上に雪隠(石室)が組み合わさって上に土を盛った横口式石槨古墳であるとされています。
盛られた土が取り除かれ、バラされたものなのです。
近年、この床石の東側にも同様の床石が発見され、近くにある欽明天皇の陪塚(ばいちょう)とも言われており、一つの墳丘に二つの石槨があった可能性が高いと考えられています。
高台にあって石舞台方面が・・・更に遠くには談山神社がある多武峰の山々が・・・。
石材はどちらも花崗岩で、俎といわれる床石は長さ4.3m、幅3.3m、厚み1mの少しイビツな長方形で、横方向3列と縦方向1列の楔(くさび)跡が残されています。
これは、墓の大きさ・埋葬物などを位により細かく決めた「陪塚(ばいちょう)」指定前に、石を細かくして運び出そうとした跡とか。また近くの高取城を造るために石を割ろうとした跡だとか・・・。
雪隠といわれている蓋石は、内幅1.5m、高さ1.3mなのです。
今は、欽明天皇陵の陪塚(ばいちょう)の一つとして宮内庁が管理しています。
盛り土が剥ぎ取られ、石槨がむき出しになり、バラバラになった古墳なのです。