いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

待ち焦がれる

2007年03月21日 10時27分57秒 | 兎に角書きたいの!
 3月20日靖国神社の桜が五六輪花が開いた。多くの報道陣が待ち構える桜の木の下に気象庁の職員2名がやってきた。目指す桜の木から10メートルほど離れて花の咲いている数を数えおもむろに東京都の桜の「開花宣言」を行った。
 多くの報道陣の中に外国の報道記者も見られた。その中のドイツ人記者に何故報道するのか、この開花宣言をどう思うかを日本の報道記者が質問していた。その返答を聞いていてビックリした。
 ドイツ人曰く、私の国では花の咲くのを待ち焦がれると言うことはない。と言う。だから、日本人がこの様に桜の花の咲くのを待ち焦がれてこの様に集まるほうが不思議で、その様を報道するために撮影している。やはり、左脳と右脳の違いなのだろうか。それとも宗教観からだろうか。欧米人は自然を征服する、日本人は自然に抱かれると言う生活を送っている。
 例えば、外国人が日本で居を構えるときほとんどが高台にある。人間が一番の力があると言う考え、日本人は山の裾野に居を構える。自然に抱かれてその懐で生活を営む。
 いずれにしても、このドイツ人記者が語った、花が咲くことを待ち焦がれることは無いはないという感性に日本人としてはとても理解しがたいことである。花を愛でることには差異はないのに何故だろう。やはり花は、人間が手入れすることによって咲かせるものだと思っているのだろうか。
 日本のアニメ等の文化が多くの国で好まれているが、自然を中心にした考え方を持つ日本人の作品の中に見えない形で描かれている。それが、外国人のハートを射止めているのだろうか。建物、庭園にしても外国のほとんどは相似形で作られるが日本は自然の形を好む。侘び寂びは日本の究極の自然との合体であろう。
 花の咲くのを待ち焦がれない民族もいることを知らせてくれた「桜の開花宣言」模様であった。
コメント
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