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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

毎朝のように爆音のようなエンジン音で目が覚める

2008-03-28 09:43:30 | 社会
近所に住む若い人が、午前7時過ぎ、毎朝のように、爆音のような車のエンジン音を響かせている。マフラーを外すなど車に何らかの改造を加えていることは明らかだ。短い時間なら気にならないかもしれないが、数分間それが続いていて、そのために、いつも、このエンジン音で目が覚めてしまう。夜型人間の私には、朝もう少し寝たい、と思うことが多く、迷惑を感じている。おそらく彼のすぐ隣りに家を構えている人たちは、もっと爆音がひどいはずで、さぞ迷惑を受けているのではないか、と思う。おそらく、隣接する住人たちは、彼の家との摩擦を避けるため、あえて、彼の家への迷惑抗議をせず、泣き寝入りしているのでは、と思われる。
もしかして、轟音のエンジンを響かせている本人(それに両親までも?)は、周囲の人が迷惑を感じている、とは思っていないのかも知れない。しかし、このように自分が気がつかないでも、自分の行為が他人に迷惑をかけている場合がある、おうおうにしてあり得るものなのだ。なので、私は、折りにふれて、このようなことを他山の石として心するようにしている。
それにしても、あれだけの轟音に、若い人の両親は、どう感じているのであろうか?そういえば、彼の父親は、若い頃から車大好き人間だった、ことを知っている。
閑静な住宅街、静かな朝に、突如この轟音は、実に不釣合いだ。

イラクから帰還した米兵の現状映像を見て思う

2008-03-21 19:13:36 | 社会
先日、NHKのテレビでイラク戦争から帰還した米兵の特集番組をやっていた。私にとっては思いもよらない実態が映しだされていて、米兵たちの苦悩の様子に愕然とした。
開始から5年を経たイラク戦争では、これまでに米軍の死者数は約4000人にのぼり、一方、イラク人死者は10万人とも15万人ともいわれているそうだ。このイラク戦争に巻き込まれている当事者のすさまじいばかりの実態に対し、実に悲しいこと、と思わざるを得ない。
帰還した米兵の多くは、精神的異常を訴える、というが、私たちの想像を絶するイラク現地では、まさにそうなってしまうのも無理からぬことのように思える。いままで、普段のなにげない日常生活を過ごしていた人が、イラクの最前線に行って、戦車に乗った場合、あるときは、そこいらじゅうに横たわる多くの死者を目にしたり、また時には、息も絶え絶えの敵兵を目にするのは、日常茶飯事であったろう。また、時には、相手からの奇襲攻撃にさらされたりして、突然にして、親しい友人を失ったり、するであろう。また、わが命を守るため、どうしても相手敵兵を殺害した経験をもつ兵隊さんもいるはずだ。-----このような現場に居合わせた人が、精神異常を訴えるのは当然だろう、と思う。
戦争って実に馬鹿げたものだ。毎日のように、イラクでの自爆テロで死者が出た、と言う記事が新聞を賑わしているが、実に不幸だ。赤ちゃん時代から、大切に育てられ、学校に言ったり、旅行したり、いろんな人生経験を持ってきた人が、馬鹿げた戦争で、命を落とす、って、ほんとうに嘆かわしい。その人の周囲には、親や兄弟、恋人など、数え切れないくらいの大切な人たちが日常生活で関わってきたはずで、その命の尊さは、筆舌に尽くしえないものがある。一方で、自分が殺害した相手敵兵といえども、自分と同じに、親や兄弟、恋人や、かわいい子供たちなど、数え切れないくらいの大切な人たちがいるはづで、こんなことを考えただけで、精神異常をきたさないほうがおかしいくらいだ。
最近では、イラク戦争開戦時と様変わりして、帰還した兵隊さんには、米国世間は冷たい、という。というのは、開戦時と違って、米国の世論は、イラク戦争に反対する人が大多数を占めたから、という。テレビでは、働き口を必死にさがす帰還兵にも言及していたが、実に惨めだ。
この世に二人といない、大切な大切な夫や恋人、あるいはお父さんを戦場で亡くした家族や知人などの深い深い悲しみは、米兵側だけでなく、米兵と戦う相手側にとっても、まったく同じことがあてはまる。
戦う両者ともに、大切な悲しみに包まれている!こんな馬鹿げた戦争、いつになったら終焉するのだろうか?

2007年度の土曜教室が無事に終了した

2008-03-14 20:11:48 | 社会
先週の土曜日に、小学校4,5,6年生を対象として、昨年5月から行われてきた土曜教室が最終日を迎えた。最終日なので、出席する生徒が少ないのでは、と思っていたが、そういうことはなく、4年生、5年生ともそれぞれ30名くらいの生徒さんが出席していた。ただ、3月19日に卒業式を控えた6年生は、出席者が少なく、5名ほどが出席していた。
土曜教室は、通常の学校の授業と違って、生徒たちが自由出席制である。私が担当した小学校では、生徒の自主学習に任せて、わからない箇所を質問させてそれに応える、というようなスタンスをとっていると、残念ながら、生徒たちが、通常の学校の休み時間と同じくらいに騒いだり、あるいはそれ以上に、ふざけ合ったりするのが普通であった。
そんなわけで、私は、土曜教室に臨むときは、しょっちゅう、学校の授業や塾ではやっていないような、ちょっと変わった話題を提供して、知らず知らずのうちに、なんらかの学習効果が得られるような工夫をしてきた。最終日の土曜日には、私は、単1から単4までの乾電池4種類を持参して、生徒に見せ、電圧が何ボルトなのか、とか、プラス・マイナスの極性とか、などを質問した。意外なことに、5年生でも電圧が1.5ボルトであることなど、知らないのには驚いた。また、電圧や抵抗値なども計測できるテスターも持参したが、これには生徒さんみんなが興味を示して、目を輝かしてくれた。ついでに、家庭での電源コンセントの電圧のこととか、それが、乾電池と違って、時間とともにプラス・マイナスの極性が変わることなど、丁寧に説明したらみんな目を丸くして驚き、聞き入ってくれていた。--かくして、先週、土曜教室は終わった。
最終の土曜教室を終えて、帰宅するとき、たまたま学校の用務員をつとめる方に会って、廊下で立ち話をする機会があった。その方の話では、生徒たちは、土曜教室での授業の態度と普段の学校の授業の態度はまるっきり違う、と言う。つまり、学校での授業では、生徒たちは、先生の話は素直に聞くなど、日ごろの態度が通知表にじかに反映されるので、土曜教室のようなふざけ気味の態度をとることは無い、そうだ。--こんなことを伺っていて、私には「やっぱり、そうだったのか」という思いがした。
毎週、毎週、土曜日に出ていくのは、ある程度のトシの私には、ちょっと面倒に思うこともしばしばあった。けれど一方で、強制でもない土曜教室に登校する生徒さんには、なんらかのレベルアップをしてほしい、という思いが私には強く、私なりに努力して教材作りをやってきたつもりである。実際、目を輝かせて聞き入ってくれていた生徒さんもいたので、土曜教室が終わった今は、私の話が、少しでも彼ら、彼女たちに役立ってもらえたなら、と思っている。

確定申告-税務署員のやってくれる作業を単に鵜呑みにすることは危険

2008-03-11 17:20:10 | 社会
先週、確定申告を行ってきた。税務署に書類を提出する前に、私は例年のように、「所得税の確定申告の手引き」を参照して、書類の記載内容を十分に吟味し、途中の計算間違いなどないように何度も見直して、完璧な内容にした下書き書類を作った。そして、税務署では、税務署員の係官に内容をチェックしてもらい、清書するだけでよいような状態にして、税務署に向かった。
昨年の場合は、このやり方で手続きを行い、その結果は、下書き通りの内容に間違いが無く、最終の数値までピタリ合っていた。
さて、今年の場合も、同じような手順を踏んで、税務署に提示するので、下書きの内容がすんなりと受け入れられるのでは、と期待した。ところが、この下書きに目を通した税務署の女性署員は、少ししてから、手にした電卓を使って、下書きの中の数値をなにやらチェックしていた。そして、顔をあげた彼女は、私に向かって「この数値、違ってますよ。このような数値になるはずです!」と言う。私が不審そうに思っているのを察したらしく、彼女は、再度、同じ箇所の数値を電卓で計算してくれたが、やはり彼女から、同じ言葉が飛び出した。私は、もし彼女の言う通りなら、この箇所以降の申告書の中の数値は、すべて計算し直し、変更になるので、非常にやっかいになる、と思った。
そこで、彼女に、署内のパソコン端末を使って、申告書を作成してもらうやり方を提案したら、彼女は別の女性署員を紹介してくれた。この2番目に応対してくれた署員は、私が持参した年金とか保険などの書類を見ながら、テキパキと、必要数値をパソコンに打ち込んでくれた。途中、最初に応対した女性が"間違いです"と指摘していた箇所は、なんと、パソコンのシステムでは、私の下書きと同じ数値になっていたので、これには、ビックリ。最初に応対した女性が、2度にわたって電卓で弾いた数値の方が間違っていたのだ。
やがて、打ち込みが一通り済むと、自動計算により、納税金または還付金の最終金額が算出されてきた。ここで、私がその最終金額を見てみたら、なんと、私の下書きの最終金額と違っていたのでガックリ。"オカシイナ"と、思いつつ、私はパソコンでは間違うハズないから、仕方ないかな、と思っていた。やがて、パソコンを操作してくれた女性署員は、私の持参した書類を適当に仕分けしてホッチキスで留めた後、パソコンからの出力帳票とともに私に手渡すと、「税務署の出口近くに陣取る係官に渡してください」と言い、そして「申告作業はそれで終わりです」と言う。
私は、税務署の出口近くまで歩く間、自分で計算した下書きの最終金額が、パソコンから出てきたその金額とどうして違うのか、不思議に思い、立ち止まって、その場で、パソコンからの帳票と下書きとを見比べてみた。そして気づいた!パソコンを操作してくれた女性が、私の持参した書類のうちの1枚を見落として、打ち込んでいなかったのだった。そこで、私はすぐ、近くにいた男性署員にこのことを話したら、彼は「申し訳ない!」と言って、すぐにパソコンに向かい、2番目に応対してくれた女性と同じ作業をしてくれた。
こうして、パソコンから出てきた最終帳票の内容は、今度は、私の下書きとピタリ一致した。
私は、今回の確定申告で、税務署員のやってくれる作業を単に鵜呑みにすることの危険さ、それに、確定申告は「手引書」で自分でじっくり計算してから、税務署に提出することが大切であることを体験した。

清徳丸と衝突したイージス護衛艦「あたご」の事件は、吉川海上幕僚長更迭で一件落着?

2008-02-22 18:41:56 | 社会
2月19日午前4時ごろ、マグロはえ縄漁船「清徳丸」と海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が衝突した事件では、石破茂防衛相は同日夕、「あたご」が「清徳丸」を発見したのは、衝突2分前で全速後進などの回避行動を始めたのは、衝突のわずか1分前だったと明らかにした。
ところが、その後、防衛省などの調べで、あたごの見張り員が事故12分前に清徳丸のものと見られる灯火を視認した後、衝突するまで完全に見失っていた疑いがあることがわかった、など、など、いろいろな情報が発表されて、国民一般人からみれば、どれが本当の情報なのか、さっぱりわからない状況になっている。こうなると、ますます国民は政治不信になり、現在の福田内閣も支持率が下がるのも当然の成り行きだ。
今や、この事件に関して、吉川海上幕僚長が更迭される見通しだそうだが、政府は、これで事件を幕引きにするつもりだろうか?それとも更に、石破茂防衛相も辞任して幕引きとするのか?
私には、吉川海上幕僚長や石破茂防衛相が辞任したとしても、この事件は、一件落着とすべきではない、と思う。第一、事件の真相がどうなのか、政府は国民に明らかにすべきなのだ。事件の真相は、護衛艦「あたご」の見張り要員などの現場にいた乗組員たちが、誰よりもよく承知しているハズであるから、どうして彼らの生の真相を、公表できないのか?。こういったことは、政府や省庁のお役人が、従来から行ってきている隠蔽体質そのものとしか思えない。
政府や防衛省のお役人は、幕僚長や防衛相を切って、今回の事件をウヤムヤのまま、逃げ切ろう、と思っているようだが、実に腹立たしい限りである。
このようなことを繰り返している政府や省庁のお役人を、お上、としていることを意識するたび、バカバカしくなる、と思うのはおそらく私ばかりではない、と思う。


証明用の写真って、値段がすごく高いのにビックリ!

2008-02-19 16:47:26 | 社会
今日、パスポートを取得するため、申請時に添付する顔写真が必要になった。そこで、パスポートの申請機関に行く前に、近所に設置されていた自動の写真撮影用ボックスに行って撮影をしてみた。私はこの種の機械は、ここ数十年は一度も使ったことがないが、写真屋さんに行って撮ってもらうより格安かな、と思って、利用してみることにした。
さて、この機械に、700円を入れると、自動で音声が流れて、その中で、パスポート用の写真なども指定できて、顔の位置なども細かく設定できるように工夫されていて、1分も経たないうちに数枚のパスポート用写真が出来上がってきた。見てみると、想像していた以上に、はっきりとしていて、ピントも合っている写真にできあがっていたので驚いた。
早速、この写真をパスポートの申請機関に持参して提出した。すると、写真の中の顔面部分の寸法を細かく計っていた受付のお嬢さんから、顔面部分の大きさが2ミリほど小さい、と言われ、撮り直してくるよう、言われてしまった。私はガッカリ、こんなに鮮明に撮れているのに、という思い、と、たかが2ミリぐらいの違いでもダメなのか、という思いが強かった。
そこで、やむなく、この申請窓口から歩いて、すぐ近くの写真屋さん("写真屋さん45")に出向いて、写真を撮ってもらった。ここでは、椅子に腰掛けた姿勢の私を、高級そうなデジカメを持った若い女性が、数回シャッターを切っただけで、あっけなく撮影が終了。そして、デジカメから取り出したメモリーを店内に設置されたパソコンにセットして、撮影された数枚の自分の映像を再現してくれた。私は、マウスを進めて、その中のお気に入りの画像を指定した。やがて、ほんの10分ほどで、女性店員がそれをパスポート用写真のサイズに処理して、数枚の写真が出来上がった。値段は、と聞くと、なんと2400円した。この値段には、ビックリ仰天した。どうしてこんなに高いのか、どうにも納得できない。理解できない。

1994年度ミス日本の大高 未貴さんのヤル気に感銘

2008-02-13 17:55:38 | 社会
先日、商工会議所から届いた手紙の中に、講演会開催の案内が含まれていた。講演のテーマは、日本のメディアが報道しない問題についていろいろ解説してくれる、という。そして、講師は、大高 未貴さんという女性で、彼女は94年度ミス日本に選ばれ、国際親善使節として世界60ヶ国以上を訪問、「SAPIO」「文芸春秋」「AERA」「SPA!」「新潮45」などに寄稿して活躍中という。でも、私が彼女の名前を聞くのは、今回が初めてである。
これまで技術畑に身を置いてきた私は、せいぜい教育問題などには関心があるくらいなのだが、講師がミス日本だ、ということだし、たまには、今回のような、私にとって毛色の違った講演を伺うのもいいかな、と考えて、講演会を聴講することにした。
雨の日の昨日行われた講演会では、丸顔の大高 未貴さんがイキイキと世界の中の日本の情勢を話された。特に、アメリカおよび中国が日本をどう見ているか、その現状について、彼女なりの分析をしていたのが興味深かった。いろいろ話を伺う中で、メディアが報道しない/メディアが歪曲報道している、とするお話も、その検証を交えながら話されていて、説得力があった。彼女は、外国政府の戦略を見抜くと同時に、メディアや外国政府によるプロパガンダに騙されてはいけない、ことを、特に強調されていた。
この講演を通して、彼女が真に日本を愛していることが、伝わってきて、彼女のヤル気に感銘を受けた。
講演会から帰宅して、インターネット上のGoogleで、彼女の名前を入力してみたら、彼女がいろんな場面で活躍されているのを知り、今さらながら驚いた。たとえば、次のようなページもあって、実に興味深い。
http://www.youtube.com/watch?v=RybKSXhV72A
とか、
http://www.youtube.com/watch?v=S2dWMA3YEY0&feature=related
今や、中国やインドが経済面や軍事面などで巨大化して、アメリカと肩を並べようとする時勢であり、世界のグローバル化が急展開しつつある中、日本はどういう政策を採るべきなのか、など熟慮すべきことを考えると、今回の講演は非常に参考になった。

人類の絶滅、核戦争よりも環境破壊によるかも

2008-02-07 15:17:47 | 社会
核の脅威については、当初より湯川博士など世界の科学者が関わったパグウォッシュ会議などの訴えにより、平和目的以外の核の使用は人類の絶滅に繋がりかねない、ことを、世界中の誰もが、その極度の危険性について認識されているようだ。その一方で、地球環境の破壊については、現在、地球温暖化などがじわじわと、やんわりと押し寄せているので、これが近い将来に私たちの生存を脅かすかもしれない、ということについては、人それぞれにより意見がマチマチであり、また世界各国の政府によっても、その見方はいろいろである。
でも、この地球環境の破壊に関する議論については、現在のような生ぬるい対処法でいいのか、私には大いに疑問を感じている。今、手を打たないと取り返しのつかない事態が起こるような気がしてならない。アメリカなど先進の大国をはじめとして多くの国が、自国のみの打算に走って、今のままの対処を続けていれば、そのツケは、今後100年を待つまでもなく、確実に、私たちの子孫にのしかかってくる、と思えてならない。願わくは、この際、環境破壊に関しても、各国の為政者を動かすべく、かのパグウォッシュ会議のような機関なりグループが結成されて欲しい、と切に願うものである。

凍結マンモス「リューバ展」を見て思う--地球環境破壊の阻止

2008-02-05 15:35:23 | 社会
先週末に、東京駅北口の丸ビル1階で展示が行われていた「リューバ展」を見に行ってきた。リューバとは、2007年5月、ロシア西シベリアの北極圏で、約3万7千年前に絶命したとみられる生後間もない雌の凍結マンモスのことで、発見者の家族の名にちなんで、その名が付けられた、という。
全身がほぼ無傷の状態で見つかったもので、良好な状態で保存され、体毛も残っていて、「世紀の大発見」と世界の研究者から注目を集めているそうだ。
入場料800円を支払って入った展示場は、出口まで10メートル前後の曲がりくねった通路のほぼ真ん中あたりに凍結マンモスが展示されていて、途中に簡単な説明パネルが3~4枚あっただけの、簡素なものだった。
説明パネルには、マンモスが絶滅したのは、当時の地球環境の激変があったのでは?というような記述がなされていて、私も、そういうことも十分ありえたのでは、と思った。
地球環境といえば、今まさに私たちは、現実に地球温暖化などの問題に直面しており、一刻も早く何らかの対策を講じなければならない時である。今のままで推移すれば、100年後には温度が6度上昇するなど、科学者によってマチマチな見方がなされている。もしかすると、あと50年もすれば地球は人間が住めるような環境でなくなっていることもありうるのでは、と思う。とにかく私たち人類は、自分で自分の首を絞めるような愚を犯してはなるまい。
先ほど、電車を降り立ったとき、ホームで、丸い紺色の学生帽を被りランドセルを背負った小学生の女の子二人を見かけた。彼女たちを見て、とっさに、私はこの春から東京の小学校に入学する孫娘のことが思い浮かんだ。
私たち人類は、地球環境の破壊をなんとしても阻止して、私たちの子孫が今後も永続して生きていけるようにしなければならない。

自動車のナンバープレートって、見えなくてもいいの?

2008-01-21 10:05:26 | 社会
に乗っていて、ときどき不思議に思うことがある。通常、前を走っている車のバックナンバーって、いやでも目に入ってくるが、なかには、このナンバープレートを故意に見えにくくしている車を見かける。そして、最近は以前にも増して、そのような車を多く見かけるようになった。
時として、ある種の事件に関与した車が、それを目撃した人が、そのナンバープレートを記憶していたことで、事件が解決した事例を聞くことがあって、ナンバープレートの存在は非常に重要である。そもそも、ナンバープレートを車体に取り付けることが義務付けられているのは、それが人に見えるように、ということのはずである。
私は、ナンバープレートって、その車を特定するもの、つまり、車のアイデンティティであって、その数字はとにかくとして、車の顔といっても過言ではない、と思っている。それで、私は、いつも洗車のときに車体のどの部分よりも、最も注意を払ってよく洗っている部分は、車のナンバープレートであり、誰が見てもすぐ読み取れるよう心がけている。
でも、車に乗っていると、前述のように、ナンバープレートを故意に見えにくくした車を実に多く見かけるようになったのは、どうしたことなのか。乗用車の場合、薄くスモークのかかったプラスチック板をナンバープレートに重ねたものが多いみたいだ。また、トラックでは、ナンバープレートが、あたかもドロを被ったため、見えなくしたようなものや、ドロ除けのための鉄板などが、偶然にもナンバープレートを隠してしまって、結果として、それが見えないように細工したもの、など、いろんな事例を見かける。
私は、表示義務のある、車のアイデンティティを、あえて見えにくくしている人は、どう見ても、その車のアイデンティティを見られたくない、という人である、としか思えず、明らかにモラル違反であって、その運転者の人間性を疑ってしまう。こんなわけで、最近、モラルに欠けた人が多くなったのだ、と思わざるを得ない。本来、表示義務を謳っている以上、警察署など所管の機関は、はっきりとした表示義務の意識を徹底させるべきである、と思う。例えば、ナンバープレートは交付されたものそのもの自体を車体に取りつけるよう指導して、プラスチック板などとの併用設置を認めない、など、徹底させるべきだ。そして、ナンバープレートを故意に見えにくくしている車の運転者には、罰金や罰則などの措置を講ずるべきだ、と思う。