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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

孫と「馬鹿丸出し」の多い年末テレビ番組

2007-12-28 12:11:39 | 社会
一昨日、二人の男の子の孫を預かってほしい、と頼まれたので、私は彼らを、東京・お台場に連れて行った。最初は「科学博物館」とか「船の博物館」のような場所に連れて行こうと思ったが、孫は小学校1年生と2年生なので、見学するのにはまだ早い年齢かな、と思い直した。それで、JR新橋で下車し、そこからモノレール「ゆりかもめ」に乗って、東京・お台場で降り、3人で周辺を散策してきた。
私にとっては、久しぶりに男の子の孫たちとのふれあいだったが、彼らの傍若無人ぶりには、あきれはて、実に疲れた。電車の中では彼らを二人並べて座らせると、お互いにちょっかいを出しては、ふざけあい、身体をゆすって隣に座る人にぶつけたり、また、履いてる靴が隣に座る人に当たるのも全く気にかけずにふざける、など、目に余るものあった。その度に、私は、厳しく叱り飛ばすが、彼らは少し経つとまた、同じ行動をとる始末。彼らを見ていて、その親たち(息子夫婦)の普段の躾けが垣間見えるようだった。新橋にて「ゆりかもめ」に乗車するため、エスカレーターに乗っている最中にも、孫はふざけ、おどけた行動を取ったので、そのときも私は注意したのだが、とうとう、私たちの後ろに乗ってきた、見るからに立派なビジネスマン風の男の人から「危ないじゃないか!」って、大声で一喝されてしまった。
今日は、たまたま年賀状を書いていて、息子への年賀状には、”子供たちへの厳しい躾けを願う”旨のコメント文を書き添えておいた。
ところで、今、テレビをつけたら、今の時期、年末特別番組とやらで、どのチャンネルでも一様に、お笑い芸人もどきのタレントが出演していて、笑いを振りまいていた。まったく面白くもない、ネタを口に出したり、超オーバーな身振り手振りで、ふざけたり、おどけて見せたり、しては、笑顔を振りまいていた。私は、見ていて吐き気を感じるほど情けないないこれら番組にあきれて、すぐにスイッチを切った。思えば、年末の今の時期、しかも小学生など生徒が休み入っている時期に、子供たちの多くが見るであろうテレビ番組が、このような番組を流しているのは、子供たちへの影響は計り知れないものがある、と思う。テレビで見る、ふざけやおどけたりする素振りは、私の孫がやっている行動そのものだった。
昔流で言えば、「馬鹿丸出し」の番組を流すテレビ局には、日本の将来を担う子供たちへの影響のことを熟慮した上で、番組内容を厳選してほしいものである。

佐世保市の散弾銃乱射事件、実に痛ましい

2007-12-19 22:48:39 | 社会
12月14日午後7時すぎに発生した、長崎県佐世保市のスポーツクラブでの銃乱射事件では、犠牲者2人が出て、非常に痛ましいかぎりだ。この世で、これから十二分に楽しい人生を謳歌できるはずだった、尊い二人の命が奪われたことは、当人にとってはどれだけ悔しい思いをしていることだろうか、さぞ無念であろう。もちろん、遺族にとっても筆舌で表現でき得ない悲しいことであろう。
私は、この世で絶対に犯してならないことは、人の生命を奪う、という行為だ、と思う。どんな理由があっても、人の命を奪うことだけは、犯してはならない。もし、人の生命を奪う、という凶悪人がいたなら、彼は、彼自身の生命を奪われてしかるべき義務を負うのが当たり前だ、と思う。
最近は、今回のような凶悪事件が以前に比べてあまりにも多いが、私は、この傾向は社会の風潮と無関係ではない、と思う。政府は、今回のような事件に際して、背景にあるものを十分検討して、同樣な事件が発生しないよう対策を構ずべきであろう。
この度の佐世保市の事件の容疑者は定職につくことなく、親の援助で暮らしていたというが、経済的に追い詰められるなどして社会から孤立していたのでは、と考えられる。
昔は高校や大学を卒業すれば就職や結婚など社会のレールに乗りやすかったが、就職氷河期以降の、現在の30歳代半ばの層には希望が持ちにくいと感じている人が多い、という。
今回のような事件の再発を防ぐには、銃の規制の強化はもちろんのこと、大企業優遇策、弱者切捨て、などといった、政策のあり方を含めて、いかにしたら住み良い社会になるかを政府は真剣に取組むことが不可欠であろう。

料亭「船場吉兆」の謝罪記者会見、見ていて思わず吹きだしてしまった!

2007-12-11 18:03:02 | 社会
今朝のテレビ報道番組では、同社が起こした牛肉産地偽装事件で、同社湯木社長の妻の佐知子取締役(70)と、長男の喜久郎取締役(45)との両人による、昨日の謝罪記者会見の模様が放映されていた。
その会見の席で、報道陣から喜久郎取締役に浴びせられた厳しい質問に対して、同取締役が答えるシーンが何度かあったが、実は、その答える内容を右隣に座っていた母親の佐知子取締役が、逐一、耳打ちして伝えていたのだ。会見の場のシーンでは、何やら息子にヒソヒソとささやいて話しかける母親の佐知子取締役の物腰とともに、その話し声の中身がハッキリとマイクに収録されてしまっていて、それが放映されていた。なんと、喜久郎取締役は、母親がしゃべったその言葉通りのことをオウム返しに記者に答えていたに過ぎなかったのだ。--これには、ビックリ、馬鹿馬鹿しさを通り越して、アッケにとられた、というより、笑ってしまった。
なんか、お母さんに付き添われた幼児が、一緒に面接試験を受けているような風景を連想して、可笑しかった。

お粗末な「日本テレビ」の朝の番組の内容

2007-12-06 11:31:25 | 社会
昨日(12月5日)、たまたま「日本テレビ」の朝の番組を見た。番組の中では、東京・渋谷センター街をパトロールする隊員たちの様子をレポートした報道に続いて、グラビアアイドルで21歳の女性タレントの若槻千夏さんを報道に取り上げていた。--その内容は、最近彼女が書いたブログの記事が、世間からは彼女の引退をほのめかしているように受け取られた、ということだが、実際のところ、彼女へのインタビューによると、単なる世間の誤解だった!と、いうものだった。
私は、この若槻千夏さんの報道を見て、「日本テレビ」の報道姿勢に非常に驚いた。何故このような報道を貴重なテレビメディアで取り上げているのか分からない。番組の中でコメンテーターのテリー伊藤さんが即座に「こんなの、どうでもいいこと!」と、一笑にふしていたが、まさに頷ける。テレビの草創期から長年に亘ってテレビ放送事業に携わってきた「日本テレビ」は、放映内容を十分に吟味・検討して質の良い、社会に対して真に報道するのに値する内容の番組を放送してもらいたいものである。「日本テレビ」が、このような放送内容を放映していること自体、同テレビの品位の低さを露呈しているものであり、今回の放送内容は、あまりにもお粗末な内容で、空いた口がふさがらない!。情けない!。
井戸端話にもならないような、毒にも薬にもならない、この種の報道を放映しているのは、単にテレビ電波の無駄遣いにすぎない!
今回の放送内容は別にして、テレビを見ていて、ただ視聴率を稼げればいい、ということだけが目的と思われるような、実に下らない、下品な番組を目にすることがしばしばあるが、日本の社会は、これで本当に健全な方向に進んで行けるのだろうか、この先、非常に心配になる。
テレビ局は、マスコミの一翼として社会に対して、非常に大きな影響力を持つことを十二分に自覚してほしいものである。

火事の救出ニュース、テレビに向かって拍手

2007-11-20 08:59:00 | 社会
今朝のニュース番組で、火事にみまわれた夫婦とその赤ちゃんの救出のニュースが報じられていた。---昨日のこと、火事で2階に取り残された夫婦とその赤ちゃんが近所の人の気転で無事に救出された、という。まず、2階から放られた赤ちゃんを下で待つ近所の人が見事にキャッチ。次に、その近所の人は、地面に沢山のフトンを積み上げて、その上に、夫婦が2階から飛び降りたのだ、という。こうして、赤ちゃんは無事、母親は軽傷、父親は足を骨折した、とのことだが、とにかく3人がみんな無事だったことは実に嬉しく、心が温まる。最近はめったに報じられないこのような美談ニュースを視聴して私は、テレビに向かって思わず何度も拍手してしまった。もちろん、拍手の音を台所で聞いていた家内からは、「どうしたの?」と訊ねられた。

バングラデシュでのサイクロン被害に憂慮

2007-11-19 12:42:27 | 社会
昨晩のテレビによると、バングラデシュを大型サイクロン(台風)が襲い、おびただしい数の死者や被災者を出している、という。
バングラデシュと言えば、私が定年まで勤務していた会社の社員だったころ、仕事で一度だけ訪問したことがあって、その際、いろいろな経験や想い出があって、終生忘れることができない国である。
当時、私たち社員4人はタイ経由で、飛行機でバングラデシュに降り立ったが、着陸前に首都のダッカを窓から見下ろした時の驚きは、今でも鮮明に覚えている。街全体が灰色がかって見えて、まるで洪水で水浸しになった後のような光景をしていて、「これは大変な国にきてしまった」と、思った。あらかじめ私はバングラデシュという国を調べていて、世界でも最も貧しい国の一つであることなどの予備知識もあって、まさにそれが現実なものとして直感できたのだ。
やがて、ダッカ空港に着陸、税関を通り抜けると、そこでは多くの裸同然の子供たちが私たち旅行者を待ち受けていて、手を差し出して金品をねだり、私たちにまとわりついてきた。子供たちの中には栄養失調で眼の中が白濁して明らかに失明している子供もいて、そんな子供は目が見える子供の肩に手を置いたまま、あちこち移動してはモノをねだっていた。そんな中、歩を進めると、なんと、空港の係官が空港周辺で旅行者に金品をねだる彼ら少年たちを竹箒で追い散らしているのを目にしたが、これには実に驚いた。まるでニワトリを追い払っている風景そのものだ。この光景、私には終生忘れ得ない光景だ。
やがて、私たちは出迎えに来てくれた日本人商社マンの自動車に乗り込んだのだが、それでも子供たちはドンドンと車の窓ガラスを手で叩いていた。-----私にとっては生まれてはじめてのバングラデシュ訪問で到着と同時にこのようなショッキングなシーンが展開されたので、今では忘れようにも忘れ得ない国になっている。
バングラデシュでは、私たちは電話を主とした電気通信の実情調査の作業をしてきたが、その際、北部方面にも足を伸ばして、地方をも巡回視察した。行く先々では、私たち外国人を初めて見る人々が大人も子供も大勢して集まってきて、なんか大ファンに囲まれた人気スターのような錯覚も味わった。各所では、私たちは多くの人々から一様に親切なもてなしを受けた。そして、彼らの人なつこい瞳に触れ、また、心の温かさに触れて感激した。
このバングラデシュ出張の際、あちこちで撮った写真を見るたび、昨日のことのように当時のことを思い出す。
私がバングラデシュに出張しているとき気づいたことの一つは、同国では、山らしい山が全く無い、ということだった。すべて平坦な土地柄のこの国は大雨などですぐに土地が水びたしになってしまうことは目に見えて明らかだった。事実、出張中にも激しい夕立があると、きまって道路が冠水していた。そんなわけで、私はいつもバングラデシュを大型台風が襲うのを心配していた。テレビで、サイクロン(台風)のため被災している人々の姿を見るにつけ、実に心が痛む。

カレンダーには西暦と和暦の併記が必要!

2007-11-14 15:36:02 | 社会
もうすぐ新年。そろそろ新年度のカレンダーを見かける時期だ。毎年、多くのカレンダーを見てきているが、ほとんどのカレンダーの年度表記には、「2007年度」といった西暦年度あるいは「平成19年度」といった和暦表示の年度の、どちらか一方だけしか記載されていないが、これは非常に不便で、片手落ちである、と思わざるを得ない。
カレンダーを見ていて、そこに記載された年度表記-たとえば西暦-とは違った別の年度表記―たとえば和暦―が必要な場合は、その度に換算する必要があり、面倒でストレスを感じるからだ。そこで、カレンダーには西暦と和暦の併記が必要だ、と思う。
この表記に関しては、新聞記事とか、お役所はじめ各所から送られてくる文書などでも、どちらか一方の年度表記が用いられていて、実にややこしい。例えば、同じ新聞記事でも記事によっては西暦表示が用いられ、また別の記事では和暦表示が用いられたりしている。おまけに多くの場合、4桁の西暦表示では下2桁の数字だけが記載され、一方、和暦表示では「昭和」とか「平成」といった元号を省いて2桁の数字が用いられているので、記事を読みながら、それらの数字が西暦なのか和暦なのか迷ってしまうこともあり、非常に不便この上ない。もちろん、新聞記事では、同一記事では、最初に出てくる年度表記を見れば、それ以降の数字も最初に出てきたものと同じ年度表記である、という慣例でわかるのだが、それにしても、二種類の年度表記の存在は実に不便きわまりない。