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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

花の命は短くて・・鎌倉でアジサイ見物

2008-06-13 21:00:50 | 旅行/散歩/ハイキング
鎌倉のアジサイを見物したくて、ここ数日間、周囲の友を探したが、都合がつくような人が見当たらなかった。行く、としたら、混雑間違いなしの土曜や日曜は避けたい。一方で、花の命は短くて、今をときめいて咲き誇るアジサイを堪能するには、どうしても今日しかない、と思い立ち、鎌倉への小旅行を楽しんできた。
行き先は、まず、JR北鎌倉駅で下車して、円覚寺、明月院を訪ね、次にJR鎌倉駅から徒歩10分ほどの場所にある名門の蕎麦店「一茶庵」に入って、昼食の手打ち蕎麦を食べること。その後、江ノ電に乗って、極楽寺駅の近くにある、アジサイ見物で超有名な成就院に行くことを決めた。もちろん私にとっては、すべて今回初めての場所だ。
午前11時頃に家を出発、徒歩10分のところのJRの駅から乗車した電車は、途中乗り換えなしで2時間くらいでJR鎌倉に到着できるはずだった。--ところが、この電車は、線路内に人が立ち入った、とかいろんな理由で、遅れがちになり、なんと大船駅で運転ストップとなってしまった。こんなわけで予定より1時間近く時間が余計にかかった為、円覚寺、明月院の訪問は取り止めることにした。
そこで、大船駅から鎌倉駅まで行って下車し、若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって歩き、三の鳥居の近くにある「一茶庵」で、待望の手打ち蕎麦としての"せいろ"を注文、食べた。2-8蕎麦という、その麺の表面は細くて、しかも艶のある白さで、一目でのど越しが良さそうな感じを受けた。実際食べてみてもそうだった。税込み945円はまあまあの値段かも。
お店を出て、江ノ電に乗り、成就院に向かった。車内は、ウイークデーだというのに、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態だった。下車駅の極楽寺駅では大勢の乗客が下車したので、アジサイ人気のすさまじさが十二分にわかる。駅から5分ほどの成就院は、車道のわきにある細い石段を登ったところにあるが、その高台に立って、登ってきた石段とは反対側にある石段の方を見やると、その石段の両側に咲き誇る満開のアジサイとともに、遠方の由比ガ浜の海岸が眺められて、まさに絶景だ。

多くの人たちが石段のところで立ち止まり、携帯などでアジサイを背景にした写真を撮っていた。私は、アジサイを両側に見ながら石段を降りて、車道に出て、通りに沿って歩き、15分ぐらいすると由比ガ浜の海岸に着いた。砂浜をしばし散策しながら、ウインドウサーフィンを楽しむ若者たちを眺めた。そして、胸いっぱい大きく深呼吸を何度もしてから、海岸をあとにした。
再度、江ノ電に乗り、JR鎌倉駅を、午後5時ころの電車に乗車、途中乗り換えなしで、私の下車駅に到着。午後7時半には我が家に着いた。
楽しい充実した小旅行だったな、と思う。
なお、次回、鎌倉に行くとしたら、今日行けなかった円覚寺、明月院の訪問、それに、日蓮上人が松葉が谷の草庵から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行った、とされる日蓮辻説法跡地にも是非行ってみたい。


昔ならメーデーの昨日、太田市の芝桜絨毯を見学、呑龍様を訪ねて参拝

2008-05-02 18:56:38 | 旅行/散歩/ハイキング
昔なら、5月1日、と、いうと労働者の祭典-メーデーで、東京の代々木の中央会場は大変な賑わいを見せていたものだった。30年以上も前に、私が公務員だったころ、メーデーの当日は、東京の青山通りを、私も大勢の仲間とともに、行列に加わって歩いたものだった。が、現在は、新聞やテレビでも「メーデー」の"メ"の字も見かけない。世の中、すっかり変わったものだ。で、私は、昔なら「メーデー」の日の昨日、最近、テレビで宣伝されている太田市北部運動公園の芝桜絨毯を見るため、一人旅してきた。太田、といえば、その昔、私が小学生だった時分に、父に連れられて、家族で、太田の「呑龍さま(どんりゅうさま)」に参拝に行った、ことが忘れられない。そこで、もちろん、昨日は、その「呑龍様」にも足を伸ばして、参拝してきた。昨日の天気予報では、翌日の今日が天気が悪くなりそうだ、というし、それに昨日は、学校も会社も休みでないところが多いみたいで、人出も少ないかな、ということで、急遽、行くことにしたのだ。自宅を出たのは、正午少し前だった。東武線の「太田」駅まで、電車を利用。同駅から芝桜絨毯が見られる太田市北部運動公園までは、シャトルバスに乗車、下車すると、目の前には、100万本の芝桜の絨毯が広がっていた
よく見ると、時期的には、だいぶ芝桜の見ごろは過ぎていたが、それでも、会場には大型バスで多くの人が訪れていた。私は、1時間弱、歩いて、会場をくまなく散策した後、再びシャトルバスで「太田」駅に戻った。そして、近くの道行く人に伺いながら、「呑龍様」まで歩いた。駅からは30分以上かかって、通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」と言われている、浄土宗の寺院である、大光院(だいこういん)に到着。夕方、5時近くのせいか、私以外に参拝する人は誰もいない。本殿での参拝を済ませて、まもなく、お寺の受付の人が、本堂の戸を閉ざした。なので、私は間一髪で参拝できたことになる。昔、父に連れられて来た時の、このお寺の様子については、まったくといっていいほど記憶から消えている。帰途、今は亡き父のことを思い浮かべながら、駅へと向かった。午後5時10分に「呑龍様」を出発、ゆっくり歩いて、「太田」駅に引き返した。往き、と違って、道順が分かっているので、20分~25分くらいの徒歩で、駅にたどり着いた。かくて、午後7時頃、自宅に到着。

上野の国立科学博物館を見学した後、アメ横でジャンボ餃子

2008-01-28 17:54:10 | 旅行/散歩/ハイキング
一昨日の土曜日は、午前中は小学校の土曜教室に出席してから、午後にロボット展を見学するため、会場である上野の国立科学博物館に行った。ところが、入り口前には、ロボット展の入場を待つ人々が列を作って並んでいた。近くでは、係員がマイクで、"今から入場しても、閉館までの時間内に、ロボット展を全部見られる、とは限らない" とアナウンスしていたので、ロボット展の見学をあきらめた。このロボット展は、翌日の日曜日が最終開催日のため、急に見学者が殺到したのだろう。
そこで私は、ロボット展の会場のすぐ隣の、国立科学博物館の常設館に入場、見学してきた。ここに入ったことは、おそらく初めてのことだ。数十年もの間、サラリーマンをしてきて、通勤途中に上野駅を経由する関係で、この国立科学博物館の存在は、ある程度知っていた。サラリーマンだった当時、私は、上野駅を通る電車内で、国立科学博物館の建物から、ロケットの先端部分がニョキっと、頭を出しているのを目にしていて、それが日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げに使ったラムダ・ロケットの実物大の模型だというのに気づいていた。鹿児島県内之浦での人工衛星「おおすみ」の打ち上げには、私も打ち上げスタッフに参加していたので、いつかは、国立科学博物館に入ってみよう、と思っていた。そんなわけで、ロボット展の見学をやめた私の足はすぐに常設館に向いた。
中に入ってみると、私が想像していた以上に、館内には親子連れなどの人たちがたくさん来館していて驚いた。古くからある、地味な博物館だけに、こんなに大勢の見学者が入っているとは思っていなかった。
65歳以上の人は、いつでも入場が無料であることがわかって、私には有難いことだった。館内に入ると、すぐ右手におみやげ物の売り場があったが、見学者がアチコチいろんな方角に散らばって出入りしているので、どういう順序で見学していいのか、私にはサッパリわからない!。仕方なく、私は近くの受付嬢に質問したら、特別に見学順路は無い、という。ちょっとの間、ウロウロしていたら、すぐそばで「フーコーの振り子」が目に入った。これは、地球が自転していることを実証する仕掛けで、私はすぐ、それに見入ってしまった。その後、受付嬢の言葉に沿って、私の足は、まっすぐラムダ・ロケットとその発射台(ランチャー)の実物大の模型の場所に向かった。1970年に人工衛星「おおすみ」を打ち上げるときに使ったの同じ銀色のロケットと朱色の発射台の模型に、しばし、懐かしく見とれてしまった。
それから、館内をじっくり見学したが、私にとっては、あまりにもいろいろ興味を惹くものばかりで、すぐに閉館時間の5時半になってしまった。この日、見学したのは、全体の10%ぐらいだったろうか。今後はときどき、国立科学博物館を見学しよう、と心に決めて博物館を出た。
夕闇せまる時刻となり、ついでに私は、かつて以前、しばしば訪れたアメ横に足を伸ばした。サラリーマン時代にときどき立ち寄っていたラーメン・餃子の店「昇龍」が、まだ、あるかな、と思って探したら、以前と同じ場所-ガード下、上野寄りの場所にあって、そこで、4個セットのジャンボ餃子を買った。タレ付きで450円だが、1個が通常の餃子2個分はある特大のジャンボ餃子である。
昨日、スキーの帰りに我が家に来ていた娘一家に、夕食時、そのジャンボ餃子を出したら、みんなが絶賛、私も1個ほおばったが、昔と変わらずの同じ美味しさだった。特に、孫娘は余程気に入ったらしく、一人で1個半を食べたほどだ。

紅葉に染まった「どうだんツツジ」を仰ぎ見てうっとり!

2007-12-10 09:09:50 | 旅行/散歩/ハイキング
先週の土曜日、小学校の土曜教室から帰宅して、夕刻近くに自転車で市内にある歴史博物館を見学に行ってきた。その折、そこの近くの、昔の武家屋敷を見学した。江戸時代末期にこの街で生まれ、晩年をも過ごしていた、という武士の邸宅で、藁葺きの屋根の家である。
この武士は、江戸幕府から命じられて、幕末に起こった大塩の乱を平定し、この功績により幕府の家老にまでなった、といわれている鷹見泉石という人物である。
思えば、江戸末期に、大阪の飢民を救助せんが為に、富豪の横暴に激して大塩平八郎が起こした、この米騒動の乱。ひと月もの間、隠れていた首謀者の大塩平八郎を探し回って、とうとう自刃に追い込んだ鷹見泉石の行為は、幕府への忠誠心として評価できるものの、一方で私としては、正義感を貫く大塩平八郎へのなにかしらの温情措置が取れなかったものか、ちょっぴり心に引っ掛かるものを感じている。
さて、この鷹見泉石の邸宅には広い庭もあって、そこには大木に成長した、高さ3メートルもあるような「どうだんツツジ」も植えられていた。今の時期、紅葉の見ごろを過ぎた頃と思われるのだが、それにしても真っ赤に色づいた無数の葉っぱが夕陽にキラキラと輝いて、実に美しかった。うっとり見惚れてしまった。そして、綺麗に手入れされた庭の中を時間を忘れて散策してきた。

小魚たちの華麗な舞いに驚嘆!!JR外房線の鵜原駅近くの海中展望塔を訪ねて

2007-11-17 13:03:01 | 旅行/散歩/ハイキング
一昨日の15日(木)から昨日16日(金)にかけて、千葉県の勝浦に一泊旅行に出かけてきた。小学校以来50年以上の長きに亘り、お付き合いしてきた梅田君と奥様及び私の家内を含めて4人で電車の旅をしてきた。宿泊したのは、私が30年近く勤務してきた会社の保養所で、私にとっては今回が3回目の宿泊になる。
15日は、午後4時前に保養所に到着、周囲の青々とした広大な芝生の中をみんなして軽く散策、それからピンポンを楽しんで、その後、大浴場で疲れを癒した。そして「ピアドール」というワインを飲みながら、豪華な夕食を楽しんだ。そして、1時間以上、カラオケルームでカラオケを競演して、羽毛布団での眠りについた。その折、寝る前に何気なく部屋の窓を開けた梅田さんの奥様が、夜空に輝く無数の星を見て驚きの声を上げた。梅田さん夫妻は東京・駒込に住んでいて、夜空でこんなに沢山の星を見たことは無い、という。こうして私たちは、空気が澄んだ晴天の夜空を見上げ、満点の星空に酔いしれた。
昨日の16日の帰宅の際には、JR外房線の鵜原駅に途中下車。ゆっくり歩いて15分ほどのところにある海中展望塔を見物に出かけた。曇り空で肌寒く、おまけにウイークデーの当日は、見学者はちらほらという程度だった。
丸い筒状になった展望塔の内部には螺旋階段があって、そこを降りたつと、水深7メートルほどの海中の様子がグルッと360度にわたって見渡せるようになった展望窓が、いくつも隣り合わせに設置されていた。展望窓には、展望のためのガラスがはめ込まれてそこから海中の様子が眺められるようになっている。この日は海底の視界が6メートルだそうだが、いろんな方角の窓から海底をみると、そこには鯛やフグなどいろんな魚が展望窓のすぐそばに沢山いるのには実にビックリした。私と家内が、とある窓の近くに来た時、そこでは我を忘れて見入ってしまった光景が展開されていた。なんと、体長が約10センチくらいの同じ種類の小さな魚が数百匹ほど群れになっていて、彼らはなぜか一様に頭部を上に向けた姿勢で、海の波の揺れるがままに身を任せて一糸乱れぬ状態で、右に左にユラーリユラーリと、気持ち良さそうに体を漂わせていたのだった。私には彼らがまるで全員で踊りを披露して私たちに見せてくれているように感じられた。実に見事なショーで圧巻だった。これには、しばしの間、見とれてしまったが、と同時に、こんな光景を孫たちにも是非とも見せてあげたい、と思った。そして、見たときの孫たちの驚きの叫び、はしゃぎ声が耳に聞こえてくるような気がしたものだ。
また、別の展望窓を覗くと、そこには、展望塔の外側から、展望窓を綺麗に磨いて、清掃してくれている作業員の姿が目に飛び込んできた。潜水服を着て海中に潜水して、もくもくと作業をしている、その作業員を見かけて、私たちが展望窓に近づくと、なんと、その作業員が私たちに向かってVサインをしてくれたのは可笑しかった。すかさず私もVサインに応じ、デジカメで撮影させてもらった。美しい海底を存分に鑑賞できるのも、このような作業員がいるからであり、この海中展望塔の入場料が千円近くするのも仕方ないかな、と思ったものだ。
かくして、無事、私たちは、帰宅した。今回の旅もまた、実に楽しい、有意義な旅であった。