善の心7:精進――有限の人生を生きる心構え

2006年03月15日 | 心の教育

 今日は(今日も)忙しく働きました(まだ働いています)。

 サングラハの事務、問い合わせへの返事、締め切り間近かの次の原稿のための調べ物、㈱はせがわのミーティング、何通ものメールへの返事……そしてブログの記事、と。

 別に自分だけが大変だといいたいわけではありません。

 生きることは誰にとっても一大事、大変なことだと思います。

 もっともっと大変な方はたくさんおられるに決まっています。

 ただ、振り返って、自分としてはいちおう努力・精進の一日だったと評定できるかな、と自己満足しているという話です。

 コスモスから預けられた人生の時間は、嫌でも好きでも有限です。

 そのことを自覚すると、精一杯できることをして生きようと思わざるをえないのです。

 しかも、幸いにして自分と他者との幸福を追求することは矛盾することではない、どころか、賢く振舞えば調和できることだと学んでいますから、誰に頼まれたわけでも強制されたわけでもなく、好きで努力しているだけです。

 「それがどうした?」といわれそうですが……。

 自利利他のために努力・精進(しょうじん)すると、いい気持ちになれます。

 そして、「ために」のつもりが予想外のことになって失敗することもありますが、まあうまく行けば、自他の「ためになる」こと、つまりいいこと・善も行なえるでしょう。

 つまらないこと、ろくでもないこと、悪いことのために努力するということだってありますが、そういうのはもちろん「精進」とはいいません。

 これはとてもシンプルに納得できることだと思いますが、有限の人生、精進することはいいことです。

 人生は有限だという自覚のある方、ぜひ、精進しましょう。

 といっても、無理は禁物です。

 必要な休憩は精進の一部だと思います。

 私も、これからお風呂に入ってリラックスします。

 では、読者のみなさん、おやすみなさい。


* 写真はエリカ、かわいい花です。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (type1974)
2006-03-16 00:06:52
こんばんは。

どうもたいへんおつかれさまです。とてもお忙しそうですね!

必要な休憩も精進の一部とのこと、なるほどと思いました。しっかり休んでこそ、ですね。ああ、時間が欲しい…
返信する
大変お疲れ様です。 (りょう)
2006-03-16 20:36:51
お忙しいご様子。

先生は働き者ですね・・・。

頭が下がります。

私も見習いたいと思います。



釈迦も、イエスも、とても忙しかった・・・。



精進。

私も「このために生きる」と言えるような人生を明らめていきたいと思います。
返信する
今昔物語 (おかの)
2006-03-17 10:50:44


 昔は怠惰、今は勤勉(な方かな?)。



 人間は、変わる、変わりうるものです。



 変わるためのポイントは、無常を自覚することでした。
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