現代科学はどうニヒリズムを超えるか 2

2019年06月13日 | コスモロジー




 克服のポイント2――「死んだら終わり」から「生命は生き続ける」へ

 相対性理論と散逸構造論とビッグ・バン仮説と、ワトソンとクリック以降の遺伝子研究・分子生物学などを総合して「生命」を考えると、

 「生命も複雑ではあるが物質の組み合わせにすぎず、死んだら元のばらばらの物質に解体して終わり、相対的意味もなくなる」ということではなく、

 「生命は宇宙の自己複雑化・自己進化の成果であり、確かに個体は死ぬが、それですべてが終わりではなく、DNAによって生命そのものは引き継がれ、生き続けている。

 地球上の生命は、誕生してから約4〇億年生き続けているし、今後も(当分、数十億年は)生き続けるだろう」ということになったのです。

 ある生物学者は、「バス、電車、新幹線、飛行機などなど、どんなに乗り物を乗り換えても乗客はおなじ人であるように、さまざまな個体という乗り物を乗り換えながら、おなじいのちが生き続けているのだ」という意味のことを言っています。

 しかも、宇宙エネルギー・レベルで見ると、個体・個人もまた、宇宙エネルギーから生まれ、今も宇宙エネルギーの一つのかたちとして生きており、死んでも宇宙エネルギーであるまま、あるいは「宇宙エネルギーの世界に還るだけ」なのですから、「死んだら終わり」ではなく「死んだら宇宙という故郷に還る」と言ってもいいのです。


 克服のポイント3――「生存闘争」から「エコ・システム―相互依存」へ

 ダーウィン以来――というより、スペンサーらの「社会ダーウィニズム」による過度の一般化の強い影響により――

 「生物の世界は、弱肉強食、優勝劣敗の生存闘争の世界であり、個体同士も種同士も基本的には敵であり、勝ったものが生き残り、負けたものは滅びていく。それは自然法則なので、当然というか仕方ないことだ。

 だから人間の世界でも生存闘争は仕方ないのだ」と考えが横行していました。

 これは、社会的には強い国が弱い国を征服・侵略・植民地化する「帝国主義」と個人的には「エゴイズム」の自己弁護の根拠とされてきました。

 しかし、ワトソンとクリック以来のDNA研究の積み重ねによって、「地球上のすべての生命のDNAはたった一匹の単細胞微生物に遡る」、つまり「すべての生命がある意味で一つの家族である」ことが明らかになりました。

 加えて、ヘッケルが「エコロジー」を提唱してから一〇〇年あまりの研究の積み重ねによって、

 「地球上では、非生命・環境とすべての生命(微生物と植物と動物)が一つのエコ・システム(生態系)を成している」ことが明らかになっています。

 確かに一見「弱肉強食」や「生存闘争」に見える現象はあるのですが、それを全体のシステムの中で見ると、「食物連鎖」つまり微生物と植物と動物(草食動物と肉食動物)の間に食べて―食べられて―食べて……という関係があることがわかり、「競争的共存・共存的競争」がなされており、一つのエコ・システムの中では「相互依存」の関係が成り立っていることが、反論の余地のないほど明らかになってきました。

 エコ・システムが宇宙の自己組織化の成果だとすると、エコ・システムを維持・発展させることが宇宙の進化の方向に沿っているという意味で「善」、汚染、破壊することが「悪」というエコロジカルな倫理が成り立ちます。

 それは、硬直した絶対性ではありませんが、宇宙の方向性というかなり柔軟な幅のある、しかしある意味で絶対――宇宙に相対(あいたい)するものはありませんから――的な倫理だといえるでしょう。

 にもかかわらず、日本も含む世界のリーダーたちの大多数がいまだに社会ダーウィニズム的な偏見を持ち続けているのは、驚くべきというか、あきれてしまうというか、はなはだ人迷惑というか人類迷惑なことです。

 そろそろ目を覚ましてもらうか、でなければ、目の覚めたリーダーに交代してほしいものです。

 さらにエコ・システムに限らず、人間の営むあらゆることに関して、「宇宙進化の方向に沿うことが『善』、進化の方向から逸れることが『悪』という、宇宙的という意味である種絶対的な倫理が成り立つ」と言っていいと思われます。

 これで、ニヒリズムの3b「(絶対的な)倫理もない」というポイントも決定的に克服されることになるのではないか、と筆者は考えています。

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