般若経典のエッセンスを語る20

2020年10月17日 | 仏教・宗教

 そして、菩薩大士の智慧に裏付けられた慈悲は、衆生を救うためにありとあらゆる方法・手段(方便という)を工夫し実践していくのである。

 筆者にとって般若経典を読んだ最大といってもいい収穫は、『大般若経』「初分願行品第五十一」に菩薩の衆生を必ず救うという三十一の誓願が掲げられているところで、「渾身の力を込め一生をかけて――しかも輪廻があるから――生まれ変わり死に変わり果てしなくこの三十一の誓願を実現していこうという、そうした大きな志を持った者こそが菩薩・摩訶薩なのだ」と書いた個所に出会ったことである。

 その一項目ごとに意味を理解しながら読んでいくと、「いや、なんというすごい理想だろう。これほどの理想を掲げた思想や宗教が他にあるだろうか」と、ほとほと感心・感動した。

 そして三十一項目を丁寧に読んで、「これをぜんぶ必ず実現しようというのは、途方もないスケールのパーソナリティだな。なかなかなれないと思うけれども、及ばずながらそういう人間を目指したいものだ」と思わされた。

 ともかく、般若経典―『大般若経』には、深い言葉が、少し言い方を変えたり角度を変えたりしながら、そこら中で語られている。いわば宝石の山みたいなものである。

 わけがわからないまま読んでいると、砂原に石ころや石炭ガラが延々と転がっているようで、実に退屈という気もするのだが、よくわかってみると、六百巻はほんとうに珠玉の言葉の連続である。だからわかると面白い。だから六百巻というボリュームが読み切れたのである。

 よろしければ、読者のみなさんも、心が向いたら取り掛かってみていただくと、わかっていただけるかもしれない。

 ともかく筆者は、『大般若経』のこの部分に初めて出会った時、「ここにこそ大乗仏教の原点がある。これが般若経典のエッセンスなのではないか」と深く感動した。

 それから、「これは仏教とイエスを原点とするキリスト教がもっとも深いところで一致する地点でもある」と思ったものである。

 この三十一の菩薩の誓願は、般若経典のエッセンスのエッセンスともいうべきもので、これについては、第二章で詳しく述べたい。


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