よかったら一緒に〈緑の福祉国家〉へ

2006年05月06日 | 持続可能な社会

  政治家を目指す女子学生への公開書簡
  

Oさん、しばらく連絡をしていませんでしたが、元気にしていますか。連休ももう終わりですね。どう過ごしましたか。

 約束した、私の知っている政治家に紹介するという件を果たしていないこと、忘れたわけではありません。ずっと心にかかっています。

 しかし、今すぐあなたを政治家に紹介することに意味が感じられなくて気乗りがせず、忙しさもあってそのままにしていました。本当に失礼しました。

 このまま約束を破ったかたちのままうやむやで終わらせるのはよくないな、なぜ気乗りがしないのかをお伝えしておいたほうがいいなと思い、手紙を書いています。しかも、これは単に個人的な問題ではない部分がありますので、あえてブログ公開のかたちにさせていただきました。

 あなたの「政治家になって世の中をよくしたい」という気持ちは出発点としてとても大切だと思うのですが、それだけにその後の方向性がもっと大切だと思うのです。

 何を目指して政治家になるのか、それを実現するにはどういう条件が必要なのか、それが明確でないと、政治家になれたとしても、それ自体が自己目的化してしまい、いつの間にか目指していたものと違う結果を生み出してしまう、というのはこれまでの理想や善意に燃えて政治家になったはずの人たちがあまりにもしばしば陥った落とし穴です

 その最悪の例の1つが、暴力によるロシア革命と成功(?)した結果としてのスターリズムです。ロシアの共産主義革命は、意図としてはすべての人民の解放と幸福という善意だったのですが、結果は恐るべき専制と抑圧だった、と結論づけるほかないようです(その他の国でもほとんどそうだったのではないでしょうか)。

 学生時代にそういう歴史的事実を知って以来、「では、どうしたら、暴力によらない、スターリニズムに陥らない、社会の変革が可能になるか。そもそもどういう社会が望ましい『いい社会』なのか。それを実現するための必要・十分条件は何か」ということを探究し続けてきました。

 私は、60年代末の学生時代以来、一部政治も含め実にさまざまな運動に関わってきましたが、ずっと失望してきました。運動家たちはみないちおう善意ではあるのですが、それは唯識でいうマナ識的なこだわりをほとんど自覚していない善意だと私に見えました。

 そのため、善意で出発してもその善意とは違った結果を生み出すということが、あまりにも頻繁だったのです。

 そこで、自分自身の善意を自己絶対化することなく心の奥のマナ識的こだわりに少なくともはっきり気づいていること、そしてできるだけ浄化の作業に取り組んでいることが、善意の実現のための決定的な必要――十分ではないが――条件だと考え、そのことに40年近くそうとう集中して取り組んできました。それが、私のこれまでの主な仕事(著作等)です。

 しかしそれと並行して、「どういう社会がいい社会なのか」ということも考え続けてきました。

 そこではっきり認識したことは、どういう社会がいいかということに先立って、そもそも「社会そのものがそのベースである自然環境なしには成り立ち得ない」というきわめてシンプルな事実です。

 いい社会を創るためには、大前提としていい自然環境が持続していることが必須なのです。

 ところが、日本を含むいわゆる先進工業国の大半は、そのシンプルな事実の厳密な認識が不足したまま営まれている、と私には見えます(認識がまったくないわけではなく、日本の各政党もいちおう政策綱領の一部に取り入れてはいるようですが、優先順位の位置づけが不適切だと思います)。

 そこで、自然と調和した新しい文明(文化や政治・経済システム)を構想する必要があると考え、ある段階でまとまったヴィジョンを「自然成長型文明に向けて」という文章にまとめました(まだでしたら、ぜひ読んでみてください)。

 しかし、そこで考えた到達すべき目標と日本の現状のあまりの隔たりに、具体的にはどうすればいいのか、考え込んでしまいました。

 そこで、とりあえずまずこうした認識をできるだけたくさんの人に伝え共有してもらうことから始めようということで、研究所を開設し、大学にも行くことにしたのです。

 そこで目標と現実の距離を埋めることのできるリーダーを育てたいと思ったからです。そして、もちろんさまざまな領域でのリーダーが必要なのですが、この大きな距離を埋めるには、特に強力な政治的リーダーシップが必要だと考えてきました。

 しかし70年代の新左翼の影響の強かった学生運動の敗北―終結以来、日本の善意ある市民の多くは「政治アレルギー」に罹ってしまっていて、理想・善意に燃えて政治を志す若者がほとんど見当たらなくなっているようです。私の見るかぎり、いても、先に言ったような問題には気づいていないようです(これが私が知らないだけの誤解であればうれしいのですが)。

 そこに、私の授業を受けたあなたが「政治家になりたいです」と言って来てくれたのですから、もう「待ってました。ようやくこういう若者が出てきたか」という感じで、うれしかったのです。

 さらにそれに加えて、新学期始まって早々、まるで共時性・シンクロニシティのごとく、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』、著者の小澤先生との出会いがありました

 私にとって、小澤先生の報告しているスウェーデンの方向性――「緑の福祉国家へ」――は、日本などのような「高度産業型文明」という現状から未来のあるべき「自然成長型文明」へ向かう、実現可能な、それどころか実現しつつあるプロセスに見えています。

 この件に関して、ブログの「緑の福祉社会・シンポジウム企画」の記事に書いたとおり、小澤先生と私の間には3つの点で大きな合意ができています(これももしまだでしたら、ぜひ読んでください)。

 私としては、そういうことを学んでもらうことのほうがまず必要で、政治家に関わり、実際に政治家になっていくのはその後のほうがいいと思っているのです。

 でないと、「善意が悪い結果をもたらす」というこれまでの悪い例にまたしても陥るのではないかと危惧します。というより、陥る危険がきわめて高いとシミュレーションをします。

 そういうわけで、政治家に紹介するという約束は、当面、申し訳ないのですが破棄させてください。

 そして、よかったら「緑の福祉国家」に向けて、遠回りのように見えても結局はいちばん着実だと私が思っている活動に参加してもらえると、とてもうれしいです。

 返事は公開でも非公開でも、してもしなくても、かまいません。ともかく、これが最近ご無沙汰のお詫びです。

 では、よい学び、世の中をよくしたいという志、ぜひ持続してください。



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コメント (6)
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