私は、伝統的な仏教の戒律を授かって守っているわけではありませんし、戒律についてはあまり勉強していないのですが、いちおうおおまかなポイントだと思うことだけお話ししていきます。
まず、僧も在家の人も共通に守る、非常に基本的な5つの戒、「五戒(ごかい)」というのがあります。
不殺生(ふせっしょう)、殺さないこと、不偸盗(ふちゅうとう)、盗まないこと、不邪淫(ふじゃいん)、不適切なセックスをしないこと、不妄語(ふもうご)、ウソをつかないこと、不飲酒(ふおんじゅ)、お酒を飲まないこと、の5つです。
不邪淫と不飲酒で引っかかる人は多いでしょうが(不飲酒については私もです)、他の3つは言うまでもないほど人間として非常に基本的なルールですね。
覚るかどうかという話以前に、人間同士が信頼しあい安心して生きていく上で、これらは鉄則といってもいいでしょう。
これらがきちんと守れただけでも、世の中はどんなに平和になるでしょう。
これらが権威ある仏の教えとして広められたことによって、アジアの人、日本人の真面目な国民性が育くまれてきたことはまちがいありません(もちろん儒教の影響も大です)*。
そして、前にお話ししたように、近代化によって仏教―神仏儒習合のコスモロジーが否定されるにつれて日本人の倫理性・精神性も崩壊しつつあります。
私たちは、仏教の戒の意味をコスモロジー的視点からもう一度見直す必要があるのではないかと思います。
それから、「不邪淫」はもともと、僧はセックスそのものをしてはいけない、在家は結婚という形式の外でのセックスはいけないという意味です。
これは、いい悪いは別にして、現代の日本ではほとんど通用しない戒ですね。
しかし、セックスは人間同士の行為ですから、これを「相手も自分も傷つけるような不適切なセックスは避ける」という意味に取れば、現代でもきわめて有効な規準だと思います。
性は、命のすばらしい機能であると同時に、人間においては非常に歪み汚れたものになる危険も含んでいます*。
かたちは時代によってある程度変わっていくにしても、男女がお互いを幸せにできるようなセックスが人間として適切であり、自分も含め誰かを傷つけるようなセックスは不適切であるという大まかな物差しがあれば、その時代、状況にふさわしいルールが出来上がってくるのではないか、と私は考えています。
現代の日本では、最後の「不飲酒」という戒は、僧侶を含め守っていない人が圧倒的多数のようです。
それどころか、仏教の裏用語で「般若湯(はんにゃとう)」というのはお酒のことです。
「覚りに導くお湯」と呼んで、お酒を飲むこと=不飲酒戒を破ることをごまかしたのですね。
東南アジアのテラヴァーダ仏教の僧侶の方からすると、日本の僧侶がお酒を飲むのは、許しがたい破戒に思えるようです。
私もかつてプロテスタントの「禁酒禁煙」という厳格なモラルを守っていましたが、日本のお酒を飲むことによってコミュニケーションを図るという習慣を見ているうちに、「酒は呑むべし、呑まれるべからず」ということでいいのではないかと思うようになり、適度な範囲で人と楽しく飲むようになりました。
呑まれてしまって羽目をはずし、大失敗、とんでもないことをするなんてことにさえならなければ、「不飲酒」は「酒に飲まれないこと」というゆるやかなルールでもいいのではないでしょうか。
どちらにしても、原則は、心の健康回復のために妨げになることはしない、助けになることはするということだと思います。
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