十七条憲法の講義への反応

2006年01月14日 | 歴史教育

 昨日で、今年度最後の授業もすべて終わりました。

 2つの学部では、聖徳太子の『十七条憲法』の全文を紹介し、解説しました。

 それは、日本人としての、正当な自信・誇りを持つことができるようになることが目的でした。

 もちろんすべての学生ではありませんが、感じでいうと8割以上の学生が、その意味を理解してくれたようです。

 以下、やや多いのですが、あえて紹介しておきます。

 一言いっておきますが、私は政治的には、右でも左でも、いわゆる中道でもありません。

 私たちは、それらのそれぞれに妥当な主張を統合したいと思っているのです。

 それが、成功しているかどうかはみなさんの評価にお任せするとして(拙著『聖徳太子『十七条憲法』を読む』〔大法輪閣〕、ケン・ウィルバー/拙訳『万物の理論』〔トランスビュー〕参照)。



 3年 男

 十七条憲法の素晴らしさはよくわかりました。

 これは聖徳太子のことに限りませんが、日本の歴史教育が過度な自虐から脱却し、かつ右翼的にならない、正当な教育を行えるようになるにはどのくらいかかるのでしょうか。

 先生の仰る通り、まずは自分の生きる姿勢を固めてから、市民として考えていきたいと思います。

 1年間ありがとうございました。


 2年 男

 十七条憲法には、おどろきました。真摯さ、聡明さというのが、簡単な文面なのにすごく伝わるものなのだなと感じました。

 聖徳太子という人について、今まではもはや神話と同じ感覚で見ていたのに、本を読んだだけで、その理念や情熱を、横にいるかのように感じます。高潔な志と、誠実な文に心が動きました。

 やはり日本国憲法はだめです。誇れない。美しくないので。しかし、私は十七条憲法の国に生まれたことをとても誇りに思います。

 ……できることをやらねば。


 2年 女

 憲法らしくないと思うけれど(道徳の教科書のようで……)、自分の国の昔の憲法に感銘を受けました。特に「まごころを持つ」くだりの所は、何かとはっとさせられる気になりました。

 こんなことが、この国のルールとされていたことに、日本人であることに誇りをもつことができました。

 現代人として、大人として(先日成人式でした)、先人の方々に恥じるようなことだけはしないように、しっかり地に足をつけて、進んでいこうと思います。


 3年 女

 大昔に制定された憲法が、今施行されている憲法より、理に適っていることに驚きました。

 確かに現在の日本は、十七条の憲法はいくら良いからといっても、状況的に採用することはできないでしょう。ですが、個人個人のルールとして仏教の教えの根付いた十七条の憲法を採用することは可能であると思います。

 また、私個人としては国を挙げての1大意識改革よりは、1人1人が信じ、納得し、それが次第に地域・国全体に波及していく方がルールの在り方としては良いのではないかと思います。

 世界情勢に敏感である政府が悪いというのではなく、ただ振り回されるような確固としたものがない政府が私はあまりよくないのではと思います。

 1年間、この授業をとって、仏教に対する考え・理解が深まったとともに、自然そして世界の見方の新たな視点を得ることができたように思います。

 1年間ありがとうございました。


 3年 男

 十七条憲法と聞けば、日本人であれば誰でも聞いたことあると思います。私も、もちろん知っていました。けれども「どういったものか」ということを深く考えたことはありませんでした。

 けれどもこの授業で扱われ、触れていく中で、改めてこの憲法の大切さと尊さを感じることができました。同時に自分自身の国の憲法について、能動的に考えていこうという姿勢を持っていなかったことに対してとても恥ずかしく思いました。

 まず第一に、前期でも学んだことではありますが、大戦後アメリカによって形成されたものが今現在の憲法なのです。つまりアメリカ主体で出来上がった憲法の下、私たちが生きてきたのだ。そのことを冷静に考えてみると、とても虚しく思いました。ただ流されているだけだったんだなと思いました。

 ですから、もう一度、きちんと読み、日本人である私自身、どういったものかということ能動的に理解しようとする姿勢を持っていきたいと思うようになりました。私自身の〝心〝と〝頭〝を使い、こういった作業していかなければならないと思いました。

 おそらく、私と同じような若者は多数いると思います。ですから、そういった多くの人たちもまずは、憲法に触れていくことから始めていくことが大切だと思います。そういった人たちにも私のように〝触れ合う機会〝に出会うきっかけがあればいいのにと思います。

 戦争やアメリカといったさまざまな要因のもと、今の憲法はあるわけだが、聖徳太子は初めに憲法を作った際に、平和が第一と唱えているのです。このことはとても大切なことだと思うし、人として生きていく上でかけがえのないことだと思います。

 同時に授業でも先生がおっしゃっておられましたが、われわれは和の国を目指した聖徳太子の子孫なのです。

 今のままの日本は〝無関心社会〝だと思います。私は今回十七条憲法を見てきて、1番にこういった社会について見直していかなければならないと思いました。特に私たちの世代の人間が、本来の憲法の意味を考えていかなければならないのだと思いました。

 聖徳太子の和というものは、「まあまあ、と事なかれ主義ではなく、きちんと話し合い、意見が合わなくても、対立するのではなく、きちんと理解し合い、仲良くしなさい」というものであり、こういったことも素敵なことだと思いました。それだけではなく、聖徳太子は、人間だけではなく自然や万国をも視野に入れ、考えていたのだ。7世紀初頭にもかかわらず、世界基準になるようなことを考え出していたという点にも感服しました。

 何度も述べましたが、十七条憲法については本来の形をもっと理解して、見直していこうという日本人の姿勢がこれから大切になっていくと思いました。


 聴講生 女

 率直にいえば、今、国会議員にこれを講義してほしいです。本当の賢者が治めるならば、憲法はこの十七条でこと足りるようにも思います。

 しかし、現実問題としては、現在、国を治めている方々がこのような憲法が存在していることを国民に知られるのはいやでしょうね。自分たちとずれがありすぎる。

 国会議員の方々が、なぜ先生の教えを正面から受けないのか? ずっと不思議でしたが、その理由が少しわかったような気がしました。

 民主主義の欠点の話はとても興味深く聞きました。現在の政治が民衆のレベルに合っているというのは、とても反省すべきことだと思いました。小市民でいるのは、本当は楽しくない。

 正しい教育を受けたことに感謝して、まず国民に、それから願を持つ人間を目指します。人間同士の平和と自然との調和を心がけます。


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コメント (4)
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