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「絆」の原点・無縁社会・貧困と大震災

2011年12月12日 15時44分53秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
昼食後、ぼんやりと情報ライブを見ていると、清水寺からの中継で今年の漢字に「絆」が書かれるのを見た。
「絆」は大震災以前に、2010年ニュースウォッチ9 シリーズ「“無縁社会”ニッポン」(http://www.nhk.or.jp/asupro/muen/100106.html)では、絆をコンセプト(下記参照)に番組が作られた。
「“無縁社会”ニッポン」のコンセプト(NHKのHPより)
「絆が断ち切られている現場を鋭いスクープルポでえぐり出します。絆を失った社会が人々にもたらしている“ひずみ”を徹底取材することで、絆の大切さを考えて行きます。」
はじめよう絆(http://www.nhk.or.jp/asupro/kizuna/)
しかし、日本全国に存在する絆の問題は、震災の影に隠れてしまったが、問題はそのままなのかも知れないのだ。

その後、大震災が起きた。
想像を絶する被害の深刻さに関心はすべて、東日本大震災に移った。
そこでも、改めて「絆」をテーマに語られるようになった。
今では、「絆」は東日本大震災の象徴とも言って良い漢字になった。
しかし、そこでは亡くなった人との「絆」、支援してくれた人達との「絆」、地域社会の人の互助や人間関係が「絆」で語られるようになった。

東日本大震災の被災者を救済し、経済を回復させる事は、喫緊の課題に違いないし、巨額の予算をつけ実行に移されている。
このように「絆」で象徴される東日本大震災に、大きなスポットが当る。
一方では、一般社会で、経済的に余裕のある人と、貧困の人が二極化し格差社会が進行するという流れが止まったという話は聞こえない。

貧困の人の多のなかに、貧困の為に大切な絆を失い、あてどない苦しみにあえぎ、無縁仏になる多くの人がいる事実も見逃してはならない。
貧困は、最後の「絆」ですら断ち切るのだ。

ただ、しばらくの間は、様々な復興対策の予算が執行され、貧困の人達にも仕事が廻りやすくなり、一時的には経済的に貧困者も一休みできる人が増えるだろう。
しかし、格差社会を生む構造的なものは何一つ変っていない。
やがて、復興太りした人と、復興予算が無くなると仕事を失う人との格差が生じるのは、目に見えている。
早く、恒久的な成長産業を育成し、失業者には実用的な教育訓練をし、社会保障と税の関係を見直し、格差社会の構造を変える努力を全力を挙げて進めるべきである。

このような状態にもかかわらず、我国では、公務員給与や議員報酬もそのままで、公務員や議員を優遇したまま、貧困にあえぐ非正規労働者や弱者に対する対策や年金保険等の社会保障等のセフティーネットを置き去りのまま、今年も終わるようである。
与党や党内野党は支援団体の既得権益や票を守るのに必死になり、野党は党利党略で政権の足を引っ張り、弱体化させようとしていて、どちらも国民のほうを向いていない。
まるで、国も政治も格差社会を助長し、貧困層や弱者を放置し、そのの犠牲の上に国を繁栄させようとしているように見える。

改めて、東日本大震災の被害者以外の貧困にあえぐ人達、即ち、絆の無い人や絆の無くなりかけている人達のことも思い出し、震災被害者と格差社会の犠牲者を合わせた、「絆」で象徴される問題を考えるべきだと思う。

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