散歩者goo 

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昨日記150118日(芸術論・芸術構造の覚書 ジム:筋トレ・ランニング20分間)<追>

2015年01月19日 13時14分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日は、日中はTVを見たりブログを書いたりしていた。
ブログに関しては、普段の行動記録に加えて個展の感想や作家トークに関しての論点等も書いたので、3100字近い長いものになった。

夜寝る前に、FBを見ていると、やはり同じ個展に関する評論が出ていた。
こちらは、新聞社に寄稿記事も出す文筆家の評論(感想)であるが、現代美術とか芸術と市場とかの掘り下げも足らないし現代芸術捉え方も浅いというより、古い洋画的美術品の見方をしているように感じた。
作家の論点は、正確にとらえているが、芸術全般に対する哲学的思考がかけているため、ダダの本質を消化できていないまま、昔の画商のような見方で評価しているように見えた。
これに触発されて、私が今まで思索・考察し口頭で発言してきた、芸術観や現代美術に係わる考え方の一部を覚書にしておいた。



芸術論覚書  2015/1/19  三宅忠夫
科学には限られた条件での絶対が存在する。(論理的に絶対がないということは、ゲーデルの不完全性定理で、論理学的に証明済み)
一方、芸術(音楽 美術 文学すべて)は、人間の価値観をパラダイムとして構成されていて、その価値観は人間に依拠するため、自然科学のように客観的絶対はなく、相対的なものである。
その前提として、文化芸術が、人間の存在無くして成立しないことは明らかであり、人間社会や歴史と同様、人間の消滅とともに消える。
即ち、人間の情報伝達、伝承が言語や文字その他情報媒体を作り、文化文明を伝承進化させてきたのであり、そこには動物としての活動する人間の存在が不可欠である。
逆に文化文明は、人間の特性(五感や知能や感性・感覚や運動能力や物理的生体機能やサイズ)に対応して生まれたといえる。
例えば、人間の体が、巨大恐竜サイズであれば、今の建物は違っていたであろうし、社会も違っていたであろう。

芸術は、(肉体を含めた実存的存在の)人間による五感と言語や行為を使った表現で、意思伝達や、説明や、日常のコミュニケーションを除いた、内面(感情・情感・情緒・知的なもの・・・)表現の一形態であり、表現方法は多様である。
芸術は表現された結果としての作品の存在を、前提とする。即ち表現されたものが言葉や音楽や形(作られた物)やこと(香りや演劇・舞踏含む)として存在し、本人の頭の中だけに存在する場合は、芸術とはいえず、外界(本人の外に)で物なり事で伝達されなければ、芸術ではない。(例えば、内面の情感や思いを作品以外で、言葉で他人に発せられても芸術となる。即ち頭の中ではなく外部に向かって表現されている。)

基本的には、芸術は表現者と鑑賞者(評価者も含む)が存在するが、自己表現として作品を公表しない場合も、物が存在すれば芸術となる。(後日他者が鑑賞できる。)
表現は、人間の五感(視覚 聴覚 嗅覚・・)の機能・性能(例:白内障になると視覚が白濁する、晩年のロートレックの作品はそのことをよく表している。多くの動物は紫外線や超音波も感じている。色の見え方も民族により、個人により違う可能性が強い)や思想・宗教といった価値観の基準で左右される。
また、芸術はそのカテゴリーによりそれぞれ価値観が違っていて、価値観の基準に沿って優劣が決まる。
人間の価値観は、民族・人種や、風土・環境・歴史や、宗教・思想やカテゴリー・属性で発生するが、時間と環境で変化する。

カテゴリーや属性も、人間の価値観で分類されているもので、フーコーも指摘するように、それぞれの持っている、伝統・歴史や宗教ややその他様々な構造的要素で分類されていて、そのカテゴリーの中での優劣がある。
従って、カテゴリーの違うものの優劣を比較することは無意味である。
即ち、価値観とは、客観的でなくグループまたは個人が信じているもの<幻想?思い込み>なので比較しようがなく、価値観が違えば優劣を比較できない。(その意味で価値観は、信仰と似ていて信仰は、最も強い価値観でもある。)

価値観を共有するものは、グループを形成しその価値観での優劣を競いヒエラルキーを作る。(民族・国家・宗教・趣味の団体・愛好家グループ)
現代芸術は、内容・コンテンツのみならず、構造的なものも表現内容としてとらえ評価する複合的視点も持つ。(例:現代美術で地と図とか、支持体を問題としたり、観客も表現の一部として取り込むのもそのような例である。)



話を元に戻すが、昨日は夜からジムに出かけた。
筋トレの中で、筋力が低下しているものを一通り行ったが、前回よりわずかに記録が低下していた。
筋肉疲労が残っている可能性も考えられる。
その後、ランニングを20分間おこなった
時速10kmで走り、その後時速6.5kmの歩きを2分間繰り返したが、以下はその結果である。
5―2―5-2-6
約3km余り走行した。
疲れはそれほど感じなかったし、息も上がったが前回よりは、体力的に慣れてきた。
しかし今日(1/19)は、多少足に疲れを感じるので、それなりに運動の成果が上がっていると思っている。
疲労感や、筋肉痛を感じているときに、筋肉をしっかりメンテすることで、筋肉が強化され体力がついてくる。
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