老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ややこしい日本語 その(55) ~「二の舞」は「踏む」ものではなくて「演じる」もの?~

2024年03月23日 19時41分46秒 | 面白い言葉や語源など

(マルタ関係の写真整理に手間取っていますので、暫くは言葉関係などの書き込みになりそうです)

 先日の新聞で、“「二の舞」は「踏む」ものではなくて「演じる」もの”というような記事が載っていました。

 “不断は余り使わない言葉に「二の舞を演じる」という言葉がありますが、最近は「二の舞を踏む」という人が多くなっている、これは「二の足を踏む(思い切れずに迷う様子」や、「轍(てつ)を踏む(失敗などの先例を繰り返すこと)」という慣用句との混同と思われる。”というような内容だったと思います。

 「二の舞を演じる」という言葉は<前の人の真似をすることを意味し、中でも、同じ失敗を繰り返すことを言う。>という意味の言葉で、その由来として雅楽の曲の一つ『安摩(あま)』からきているとされています。

 即ち、『安摩』では、一の舞と二の舞があり、『二の舞』では、咲面(えみめん)をつけた老爺と腫面(はれめん)をつけた老婆という二人の舞手が、『安摩』の動きをまねて滑稽に踊ることから、「二の舞」という言葉は、前の人の失敗を繰り返すことや、滑稽な様を意味するようになりましたが、「二の舞」は舞楽の正式な演目の一つだったので「演じる」の方が正しいのだとされてきました。

 しかし、古くは、舞の動きを「踏む」と言うこともあり、御伽(おとぎ)草子の「唐糸さうし」(1700年ごろ)には、〈太平楽〔=舞の名〕をふむ〉と出てきますし、今日でも、やはりこっけいな舞の「三番叟(さんばそう)」は、その動作から「踏む」と言うようです。

 また、舞の振り付けのひとつに「踏む」という動作があるようで、この動作から「初舞台を踏む」や「場数を踏む」などの言葉も生まれ、舞の世界では「演じる」と同様に「踏む」が多用されているようです。

 というような状況で、2008年には三省堂国語辞典に「二の舞を踏む」が登録されたようですし、「二の舞を踏む」は間違いとは言えなくなっているようです。

 
 また、「二の舞」と「二の舞い」は使い分ける場合もあるようです。<毎日ことば>によると、<失敗を繰り返す>という意味だと「二の舞い」、舞楽なら「二の舞」。名詞は「舞」、動作を示す場合は「舞い」と区別しているようです。(まさ)


※ この項は、<https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/sankok12><@DIME><KOKUYO><世田谷自然食品>等を参考にさせていただきました。