昨日のニュースで坂本龍一氏が3月28に71歳という若さで亡くなっていたことが報じられました。
誰もが知っている作曲家で、音楽音痴の私でも彼がYMOのメンバーで、「テクノポリス」や「ライディーン」や、「ラストエンペラー」などの映画音楽の作曲家であることは知っていますが、私にとっては映画「戦場のメリークリスマス」が一番印象に残っています。
また氏は、闘病生活の中でも反原発や辺野古への基地移設に対しても活発な活動をされたことでも有名です。
「戦場のメリークリスマス」と言えば1983年度の作品で、監督が大島渚、出演者がビートたけしやデビット・ボウイなど錚々たるメンバーで、当時としては禁断のテーマを扱っていたこともあり話題を呼んだ映画で、今日のTVでもビートたけし氏(現在は、ビートたけしではなくて北野武ですか‥)が『これで戦場のメリークリスマスは私一人になった』と話されていました。
私も何度も見ましたが、この監督の大島渚も私達世代というか少なくとも私には忘れられない一人です。
確か所属は松竹だたっと思いますが、安保闘争の盛んだった1960年頃に「青春残酷物語」や「日本の夜と霧」などを矢継ぎ早に発表し、日本のヌーベルバーグの旗手として、当時の若者に人気がありました。
1963年だったと記憶していますが、私が大学祭の実行委員となり、大学祭の講演に呼ぶ人を検討していた際に、大島渚をとの希望が多くて交渉に当たることになりました。
今のような便利な時代ではなく、まして何のつてもない大島渚氏と連絡を取るのも一苦労で、何とか探し当てた氏の自宅に書面での申し込みとなりました。
残念ながら、スケジュールが合わずこの企画は実現せずに、断りの手紙は氏の奥さんである大島明子さんの自筆で来ましたが、大島明子さんは元小山明子という人気女優で、その手紙は当時の仲間の羨望の的になったことを記憶しています。
坂本龍一氏の死去の話から色々と話しが飛びましたが、不思議な巡り合わせか、彼の死亡報道がされた翌日、即ち今日(4月3日)にWOWOWで映画「戦場のメリークリスマス」の放映が予定されていました。
現在録画中なので、後日ゆっくりと観て、今はなくなった3名を偲ぶことにしましょう。(まさ)